2008-03-10

ブリッジSEの現実

:::引用:::
1999年,一人の中国人が,上海から日本にやって来た。当時の改革開放政策で中国の若者達は皆,海外に出て世界を見るという夢を抱いていた。彼も,そうした“出国潮”にせきたてられるように,日本に渡った一人だ。

 上海では,日系のソフトウエア開発会社に勤めていた。国有企業の就職を断って,日系企業を選んだのは,いずれ日本に行きたいと考えていたからだ。

 その日系企業で仕事をしている間に,先輩たちは次々と日本での就職を決め,会社を辞めていく。自分のプロジェクト・リーダーもその1人だった。自分も世 界に出たいと彼に相談したところ,東京のある派遣会社の社長を紹介してくれた。上海で面接に合格した後,ついに来日を果たした。

 そして彼=周 翼さんは現在,システム設計支援ツール「JUDE/Professional」などで知られるチェンジビジョンで,オフショア先の中国ベンダーとの間に立つ,いわゆるブリッジSEとして働いている。先日,周さんとじっくり話をする機会があった。

 彼の基本的な仕事は,日本側の要求(仕様設計,タスクの調整,不具合の修正など)を中国側に伝える。それに対して中国側からあがってきた質問を日本側に回答してもらい,自分の理解で中国側に回答する。もちろん,開発要員の一人として仕様設計や実装,テストにも参加する。

 容易に想像できることだが,彼の立場はいろいろと苦労が多い。一番苦労するのは,やはり「日中双方の要求を理解すること」と言う。特に,複数のプ ロジェクトが並列に進行する場合,すべてのプロジェクトの仕様と状況を知り,それぞれの要求をきちんと処理しなければいけない。

 国内の一般的なSEやプロジェクト・マネジャも,顧客と開発者の間,または外部の開発会社と内部チームとの間で,同じ様な悩みがあろう。周さんの 場合はさらに,日本と中国のそれぞれの言葉や文化を理解したうえで双方の要求を理解/伝達し,プロジェクトを成功に導かねばならない。

 「日本側の仕様設計と開発計画立案に参加して,中国側の開発を指揮し,最後に日本側に正しく実現できた仕様を見せられたときに,とても大きな喜びを感じる」と周さんは言う。「ただの伝達役ではなく,国際的な開発を指揮したという充実感が湧いてくるから」。

 ほかにもいろいろとおもしろい体験談を聞くことができた。中国開発者から見た変な日本人リーダー,中国の求人サイトでは,どんな人材募集が人気が あるか,中国開発者は,自分をどんな点で評価されていると考えているか,自分が経験した失敗例──など。ぜひそれをITproで連載してほしいとお願いし たところ,快く引き受けていただいた。まもなくITpro Developmentで連載を始める予定だ。興味がある方は,ぜひ読んでほしいと思う。

 彼の話の中で興味深かったのは,自分の役割を「日中双方の状況を“見える化”すること」と認識しているという部分だ。

 オフショア開発で難しいのは,品質や納期の管理だけでなく,人的要素(中国開発者のやる気や積極性)をどうコントロールするかにある。そこに言葉や文化/慣習の違いによって起因するズレが加わると,問題が複雑化する。

 こうしたリスクを回避するには,当然ながら,お互いが十分にコミュニケーションを取ることだ。そしてコミュニケーションを促進するためには,互いの状況 を“見える化”することが重要という。見える化の対象は,それぞれのタスクや進ちょく状況だけでなく,メンバーの精神状態も含まれる。

 周さんをはじめとする,ブリッジSEと呼ばれる立場の人々はこうしたスキルを求められている。もちろんそれは,一般的なSEやマネジャにも必要なスキルに違いない。ただ,オフショア開発という特殊な状況では,ブリッジSEにかかる比重がより大きい。

 誰かが言った。「オフショア開発は,日本側がお金を出して,海外のベンダーやブリッジSEを鍛え,育てているようなものだ」と。確かにそうした側面もあるかもしれない。しかし,その認識は甘いと筆者は思う。

 オフショア開発を成功に導くためには,様々なリスクを回避,克服するための日本側の体制や仕組みが非常に重要だ。それに適したプロセスの構築や改 善が不可欠なのだ。相手先ベンダーやブリッジSEが変わった場合でも,柔軟に対応できる組織やチーム作りができるか。効果的で効率的なコミュニケーション を行うにはどうすれば良いか。考えて,実践しなければならないことは多い。

 オフショア開発で,その実力を試され,鍛えられているのは,むしろ日本の会社である。


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