現代ほどわたしたちに戦略が求められている時代はありません。今後、戦略策定力への期待は高まっていきます。顧客との関係を構築するCRMも、策定された戦略の中で位置づけを明確にし、実践していく必要があります。
バリュープロポジションから始まるマーケティング戦略
しかし、実際に戦略を策定し実施している様子を見てみると、勘所を押さえずに戦略を策定したり、現場の人たちが全く動かなかったりして 、戦略が失敗することがあります。世の中には数多くの戦略やマーケティング理論に関する書籍が出版されていますし、MBAに準じたマーケティング手法も広まっていますが、そのままビジネスの現場で当てはめて構築し、実施しようとしてもなかなか成果につながりません。
わたしたちはどのように戦略を進めていけばいいのでしょうか?
わたしは、企業の中で実際に戦略の立案と実践に携わってきました。本連載では、これから7回に分けて、ビジネスの現場で戦略を策定し、実施する場合に必要な考え方をご紹介していきます。(本連載は「戦略プロフェッショナルの心得――ビジネスの現場で、理論だけの戦略が実行できない理由」からの抜粋です)
第1回目はバリュープロポジションという考え方とその落とし穴のご紹介です。
「自分たちの価値をいかに差別化するか?」
これはマーケティングに関わる人にとって常に重要な課題です。ただ、どのように差別化すればいいのか、なかなか具体的なイメージがわかないことも多いと思います。
例えば、「差別化ポイントは何ですか?」と尋ねてみると、さまざまな答えが返ってきます。
「うちはスキルがあるし人材がいる。われわれの人材そのものが差別化要素である」
人材は重要ですが、自社の人材の何が具体的に優れていて、それが顧客にとってどんな価値があるのか、また、その優位点は時間が経過しても維持できるものなのかを明確にする必要があります。
「商品の性能は、ウチが業界一番。他社の数十倍である」
顧客にとって性能差が大きな意味を持つ場合は、強力な差別化になります。しかし、大きな性能差であってもそれが顧客にとってあまり意味を持たなかったり、最優先項目ではなかったり、性能差がある程度の期間でキャッチアップされる可能性がある場合、差別化にはなりません。
では、どのように差別化を行えばよいのでしょうか。差別化する際「バリュープロポジション」という考え方が役立ちます。バリュープロポジションとは何でしょうか。
バリュープロポジションとは、(1) 顧客が望んでいて、(2) 自社が提供でき、(3) 競合他社は提供できない価値のことです。
例えば、町の電器屋さんのケースで考えてみましょう。ここでは、競合相手として、家電量販店を想定します。家電量販店の価値や強みとしては、圧倒的な販売量に裏打ちされた価格競争力が挙げられるでしょう。一方で、町の電器屋さんが提供できる価値や強みとして、町の住民である顧客に対するきめ細かいサポートが考えられます。
数年前に引っ越した際、引っ越す前に使っていた照明器具の配線が断線し、新居に付けられない状況になりました。ハンダごてで断線部分を接続する簡単な作業なのですが、不器用な私の手に負えませんでした。
そこで家電量販店に電話しましたが、メーカーに直接問い合わせてほしいとの回答。あまり手間を掛けたくなかったので近所の電器屋さんに持ち込んだところ、その場で5分ほどで修理してくれました。料金は2000円。町の電器屋さんのフットワークあるサポート力を再認識した次第です。
ここで、町の電器屋さんがターゲットとする顧客は誰なのかを考えてみましょう。「とにかく安い商品を」と思っている顧客は家電量販店で商品を購入しますので、町の電器屋さんはターゲットとすべきではありません。「価格は少々高くてもいいから、手厚くサポートしてほしい」という顧客が、町の電器屋さんのターゲットになります。このように考えていくと「近所に住む、団塊世代の富裕層」はターゲット候補になり得ます。
例えば、定年を迎えてお金をある程度持っており、数十万円する大画面テレビのようなデジタル家電も購入を検討中。あまり価格には敏感ではないが、複雑になっていくデジタル家電にトラブルが起きた際に、自分では対応できないので、直接家に来てサポートしてほしい、そのような価値を求めている人たちです。
以上を考慮して、町の電器屋さんのバリュープロポジションを考えると、次のようになります。
- 【顧客が望んでいる価値】
団塊世代の富裕層が必要としている、手厚いアフターセールスサポート
- 【他社が提供できない価値】
大量廉価販売重視の家電量販店が提供できない、顧客の自宅まで直接サポートに出向けるフットワークの良さ
- 【自社が提供できる価値】
複雑になっていく最新のデジタル家電による生活を、顧客が十分に楽しめるように支援できるサポート力
実際、高齢化が進む住宅地で、徹底した商圏分析と顧客管理を行い、サービスに重点を置いて顧客をサポートすることで、毎年2ケタ成長を続けているメーカー系の販売店があります。この例で分かるように、バリュープロポジションを考える際のポイントは、ターゲットとなる顧客が絞り込まれていて、その顧客が望んでいる価値を理解しており、かつ、競合他社は真似できない自社の価値も把握できていることです。
バリュープロポジションが明確になっていれば、対象顧客や訴求ポイントが明確に絞れているので、そのままプロモーション戦略やチャネル戦略を展開することが可能です。ここで例として挙げた町の電器屋さんの場合も、このバリュープロポジションを起点に、どのようなプロモーション戦略やチャネル戦略を実行すればいいのか、練習問題として考えてみると面白いでしょう。
このように、バリュープロポジションの定義は戦略の出発点であるともいえますが、注意すべき点があります。それは、最初から思い込みでバリュープロポジションを決め付けずに注意深く検証すること、さらにいったん定義したバリュープロポジションであっても、常に現時点で有効か検証することです。検証されずに定義されたバリュープロポジションは、現実の顧客のニーズから乖離してしまい、企業の多くの人たちの努力が報われずに終わります。
特に最近は、市場が短期間で大きく変わります。当初は顧客のニーズに合っていても、市場が大きく変わってしまった場合には、バリュープロポジションの賞味期限は切れてしまいます。このような状況で、数年前のバリュープロポジションのままマーケティングや営業活動を実施しても全く成果が上がらないばかりか、逆に「顧客のことが分かっていない」というネガティブイメージを市場に発信することになりかねません。
一方で企業は、「これだけ性能や機能が優れた製品なのに、おかしい。努力が足りないせいだ」と考え、さらに努力を重ねることになります。しかし実際には、多くの場合、その優れた性能や機能は顧客にとって大きな意味を持っていないのです。実はここに落とし穴があります。
セールスが顧客に会って間違ったバリュープロポジションに基づいて詳しく製品を説明すると、顧客が納得し、売り込みが成功する場合もあります。この場合、何が起こっているのでしょうか。
実はこのような場合、時間をかけて製品を説明しているうちに、顧客自身が自分なりに企業側の説明を解釈し、自分に合ったバリュープロポジションを見つけている(言い換えると、企業が提案しているバリュープロポジションを自分なりに「翻訳」している)ケースが多いのです。
しかしながらこれをもって、企業側は「やはりわれわれは間違っていなかった。われわれの製品の価値(実は、間違ったバリュープロポジション)を待っている顧客はほかにもいるはず。われわれの営業努力が不足しているのだ」
と考え、さらに努力を重ねてしまうようなことも往々にして発生してしまうのです。バリュープロポジションは、いかに分かりやすく、かつスムーズに、ターゲットとなる顧客に受け容れられ、顧客の課題が解決できるかが鍵です。もし現在のバリュープロポジションが顧客になかなか受け入れられない場合は、再度見直す必要があります。
また、バリュープロポジションを考える上で必要な観点は、顧客自身の顧客(例えばエンドユーザー)について考えることです。なぜなら、企業の行動を決定する大きな要因の1つは、顧客の要望だからです。より的確にバリュープロポジションを定義するためには、顧客単体で価値を考えるのではなく、顧客の顧客も含めた業界全体のバリューネットワークの中における価値を考慮する必要があります。
バリュープロポジションの妥当性は、企業が多大な投資をして世の中に出した製品やサービスの成功を握る鍵です。それを検証するコストは、製品開発やプロモーションに掛ける膨大なコストに比べれば決して大きなものではありません。じっくり検証した上で、バリュープロポジションの定義を行うべきでしょう。
(注) 本書に掲載された内容は筆者である永井孝尚個人の見解であり、必ずしも筆者の勤務先であるIBMの立場、戦略、意見を代表するものではありません。
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