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誰も知らない中国調達の現実(31)-岩城真
日本製品を「安かろう、悪かろう」の代名詞から、低廉かつ高品質へと塗り替え、高騰する人件費と円高を乗り越えた改善体質を作り上げたのは現場力です。その現場力を担ってきた多くは、俗に「現場上がり」と呼ばれる団塊世代の技術者たちです。
日本の改善体質の根源である現場力は、ブルーカラーとホワイトカラーとが一体となることで生まれます。技術の管理者であるホワイトが、技能者(ブルーカ ラー)の作業に対し尊敬の念を持っていなくてはなりません。「現場上がり」と呼ばれる管理者は、実際の現場作業を知っています、そして自身の原点である現 場作業に誇りを持っているはずです。また、現場経験のない技術者も自身とは異なる能力を持つ作業者に対し、敬意を持っていたはずです。
一方、ブルーカラーは指示を待ち、指示されたことだけしかやらない、ロボットではなかったはずです。現状に疑問を持ち、自分で考え、提案し、改善してい く体質が現場にあったはずです。そのような土壌があったからこそ、「現場上がり」と呼ばれる優秀な管理者を輩出することができたのです。
ホワイトカラーとブルーカラーが一体となり、理論と実際が融合することで、日本の技術は進化してきたのです。
中国の多くの工場には、団塊世代の日本の技術者たちが多く活躍しています。今、中国は日本がかつて経験したように、人件費の高騰、人民元高に直面してい ます。「世界の工場・中国」の看板を掲げ続けるためには、この逆風を乗り越えなくてはなりません。そのためのヒントを彼らは持っています。もちろんかつて の日本と今の中国は、同じではありません。そのことは、中国にいる日本の技術者が一番痛切に感じていることだと思います。
中国の技術者は高度な理論をよく理解していると思います。理論は普遍です、変わることはありません。しかし実際の「モノ」は、様々な外部環境により変わります。その変化を知るには現場に行き、現物を見てなくてはわかりません。そのことで、問題解決が実現できるのです。
初歩的な在庫管理においても、納品書と出庫伝票を見るだけでは実際の「モノ」は管理できません。現場に行き、実際の「モノ」を自分で数えて在庫管理が実 現するのです。こんな初歩的なことでさえ、徹底・定着させることは容易ではありません。日本で育てばあたりまえに身につく感覚が、身についていないので す。それは個人の資質の問題でありません。しかし、だからといってあきらめてはいけません。愚直なまでにあたりまえのことがあたりまえに実現できるよう に、指導するのです。
しかし日本の手法をコピーしたり、リバイバルしたりするだけでは、日本を越えることはもちろん、現在のポジションを維持することもできません。大切なのは自ら動き、考える改善体質を中国ナイズさせることです。
私は中国の技術者にたえずお願いします。データをオープンにしてください。オープンにすることで、より多くの目で検証できます。そして現在を否定される ことを、恐れないでください。人が生まれたときから老化が始まるように、新しい工法、手法も発案された時から陳腐化が始まります。恥じるとすれば、陳腐化 を放置したまま、現実を箱の中に仕舞い込んでいることです。
団塊世代の技術者と仕事をする若い技術者に私は話します。彼らいっしょに仕事をし、直接指導を受けられることを、ラッキーだと思ってください。もう10年もすれば、そんな機会はなくなってしまいます。もちろん私もラッキーだと思っています。(執筆者:岩城真)
中国企業、 特に旧国営系であったりすると、工程で不具合が発生した時、クレーム品として返却された製品を分解する時、あるいは試運転調整時に、ズボンのポケットに手 を突っ込み遠巻き眺めている技術者(管理者)たちの姿をよく目にします。これを見ると、私はどうしても「ブルーカラー(製造現場)とホワイトカラー(設 計、技術)の溝」を感じてしまいます。
もちろん日本でもこの溝の広がりは確実に進行しているように感じていますが、ある意味中国の製造工場の方が先行しているように感じます。
現在の中国は、日本以上に学歴が重要視される社会です。製造業では大卒=ホワイトカラーと、高卒以下=ブルーカラーの図式があります。
私の担当するあるサプライヤーが、2人の大卒を採用しました。1-2年もすれば、管理者として工場運営の一翼を担ってもらう人材です(中国では「将来の 幹部」などといった、悠長なことは言いません。求めるのは即戦力です。優秀であればあるほど独立し一国一城の主となるか、よりよい給与と待遇を求め転職し ます)。 総経理(社長)の考えで、1年は旋盤工として実習させようとしました。残念ながら、1カ月ちょっとで2人ともドロップアウトです。
こんな例もあります。日系の工場で、大卒を採用しました。工場ですからホワイトカラーといっても、総経理以下、普段は作業服を着ています。しかしその新 入社員は、当初頑なに作業服の着用を拒みました。彼の言い分は「作業員として採用されたのではない。汚れるような仕事はしない」。結局、「作業服ではな い。制服だ。着用できないならクビだ」。そう言って、着用させたそうです。
作業服を着用する意味は、二つあります。一つ目は、現場に 入ったときの衛生上(業種により着衣を汚さないためと、汚れを持ち込まないためがある)と安全上(例えばネクタイをして旋盤の前に立ったら危険である)の 点によるもの。二つ目は、組織としての一体感を維持するためです。日本の工場では、総務、経理といった職種の人でも作業服を着用しています。ブルー、ホワ イトの一体感を重視しているのです。
いずれの例も、中国のホワイトカラーの歪んだプライドを垣間見た気がしました。設計者は図面を描 くとき、どのように加工して作るのかをある程度考えながら図面を描かなくてはならないと思います。しかし現実の製造現場を知らなければ、正しく想定するこ とは出来ません。それどころか、どのように作るかを考えるという発想さえ生まれないでしょう。それは設計者に限ったことではありません。生産技術はもちろ んのこと、品質管理、工程管理な、どすべての技術者(ホワイトカラー)が現場に立ち、作業者(ブルーカラー)と同じ目線(手を油で汚しながらも実際の製品 に触れる)になったときにしか見えてこないものがあります。
ブルーとホワイトの乖離は、出来るはずのない図面、基準、標準が作られ、 図面や基準と異なる「偽」の製品を生産する工場を生みます。中国の工場で、時間をかけて管理者と議論して決めたことが現場では実施されず、定着しないとい うことが良くあります。その原因を作業者にだけ求めても、解決の糸口はつかめません。実際の製造現場を作業者の目線で見ることなく作られたものは、実際の 「餅」ではなく、「餅の絵」だったのかもしれません。
中国は日本の何十年か後から猛烈な勢いで追い上げて来ています。それは、良いこ と(技術や社会システムの発展など)も悪いこと(公害など) もです。しかし、日本と同時に進行していること、先行していることさえもあるのです。もちろん、良いことも悪いこともです。
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2008-09-30
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