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大都市なら世界中どこにでもあるといわれるチャイナタウン。中華料理を筆頭に、物産や衣料品など、中国製の“衣食住”が席巻する。日本では、東アジア最大といわれる横浜中華街が有名だが、豊島区のJR池袋駅西口周辺は、1980年代から来日し始めた「新華僑」経営の中国系商店が集まる。そこを「東京中華街」として売り出す構想が浮上している。昼夜問わず中国語が飛び交う都内屈指の繁華街・池袋西口を歩いてみた。【井崎憲】
◇隣国の存在、大きさ実感
「横浜や神戸のような中国式の楼門があるわけではない。『東京中華街』はリアルなものでなく、中華の良さをPRするネットワークのようなものにしたい」。8月に池袋の中国系50店舗で発足した「東京中華街促進会」の胡逸飛理事長(46)はそう話す。中華料理店を中心に赤と黄色の中華風看板がやや目立つが、「中華」が軒を連ねる路地はない。新宿や渋谷と比べ、少しだけ多いという感じだ。
一帯で唯一目立つのが、赤い球体の灯籠(とうろう)(日本の提灯)をつり下げ、店舗壁面も赤で統一する大手物産店「陽光城」。店先に中国の朝食として人気がある揚げパン「油条」や味付け卵「茶葉蛋」が並ぶ。店内は紹興酒や羊肉などの輸入食品約2000種類があふれ、香辛料が香る。同店の顧梓芹さん(38)は「客の8割は中国人。昔はザーサイやピータンも横浜に買いに行ったが、今はここに来る」。
池袋駅周辺は交通の便が良く、都内でも家賃が比較的安いアパートが集まるため、72年の日中国交正常化以後、留学してきた中国人が住み始めた。池袋はこうした新華僑の色が濃い。
幕末期の横浜開港から発展した横浜中華街の料理店は、中国人には「味付けが薄くて和風化が進んでいる」と感じる場合があるという。歴史の浅い池袋は故郷の味を残しており、都内周辺の中国人が郷里の仲間と定期的に会う場所にもなっている。書店や中国人向けの携帯電話ショップなど、生活と結びついた店も多い。
こうしたコミュニティービジネスチャンスとみて、中国資本が進出し始めた。中国に600店以上を持つ火鍋料理大手「小尾羊(シャオウェイヤン)」は昨年7月、西口で開店した。池袋に日本本社を置き、六本木や銀座にも出店。王明琳社長(45)は「テナント料が手ごろで、中国企業や中国人が集まる繁華街は魅力」と話す。
「反響が大きく広告主も驚いてます」。池袋と隣接する豊島区南大塚で発行されている中国語週刊紙「東方時報」の何毅雲社長(52)の笑顔は順調な経営を物語る。全国の購読者に郵送して10万部以上を売り上げる最大手の同紙でさえ、日本の不動産会社が広告を出すのはまれだったが、9月11日号は、大手不動産会社が売り出す世田谷区の高級マンションのカラー全面広告が最終面を埋めた。増え続ける在日中国人の中には、富裕層もいる。企業の広報戦略がその現実を裏付けていた。
一方、地元には日本の商店街も数多くある。胡さんから構想を聞かされた池袋西口商店街連合会の三宅満会長(63)は「『中華街』としてひとくくりにするのは唐突。まず町内会に入ってパトロールや清掃を手伝ってもらってから」と、現段階では同一歩調は取らないスタンス。胡さんは「池袋を盛り上げたい気持ちは同じ。よく話し合いたい」と時間をかけて地元商店街と共生できる方法を練るという。
メード・イン・チャイナの物品や留学生・観光客でなく、定住する中国人と向き合う必要性は今後どの地域でも増えるだろう。頭では分かっていても体感できなかった隣国の存在の大きさを、新華僑の集まる池袋で実感できた。
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2008-09-25
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