◇“弱み”につけ込まれ失職、帰国資金も工面できず
日本人がブラジルに移住を開始して100年に当たる昨年春、日本全国で二つの国の長い交流を祝うイベントが催された。それから、わずか半年余り。 移民の子孫にあたる日系人らは今、不況のあおりを受けた「派遣切り」などで真っ先に職を失っている。近畿で最多の約1万4000人のブラジル人が暮らす県 内で、日系人労働者の現状を追った。【近藤希実】
■突然の解雇
しんしんと雪の降る1月15日の夜。名古屋市から軽乗用車を走らせ、米原市の人材派遣会社を訪れた日系ブラジル人のミヨシ・タカヒロさん(62)=仮名=は「何も解決しなかったね」と肩を落とし、白い息を吐いた。
ミヨシさんは昨年12月1日、同社から同月5日での解雇を言い渡された。寮も退去させられ、今は名古屋市の長女宅に身を寄せる。15日は、ミヨシ さんの加盟する「アルバイト・派遣・パート関西労組」(事務局・大阪市)が会社と団体交渉を行ったが、解雇撤回などの要求は聞き入れられなかった。
組合は、会社が解雇を4日前に通告したことを「解雇予告を30日以上前と定める労働基準法違反だ」と指摘。一方、会社は日本語で「退職願」と書かれた書類にミヨシさんらが署名したことを挙げ、「自主退職だから(同法は)関係ない」と主張している。
ミヨシさんらは日本語を読めないため、通訳に「クビだ」と説明され、「仕方なくサインした。自分から辞めるわけがない」と反発したが、議論は平行線をたどった。
■祝福ムード一転
自動車など製造業の工場の多い県内では、昨年後半から非正規労働者の解雇が加速した。外国人の場合は特に深刻で、県国際協会が湖南、長浜両市で調査したところ、ブラジル人の4割が失業していることが明らかになった。
「こんなひどい状況になるなんて信じられない」。ブラジル人の生活支援を行うNPO「関西ブラジル人コミュニティ(CBK)」=神戸市東灘区=の松原マリナ代表は困惑する。
昨年は、1908年4月に日本人800人を乗せた「笠戸丸」が神戸港を出港しブラジルへの移民が始まってから100年。CBKも4月に神戸市で百周年祭を催し、コンサートや写真展、映画に日本人も含む1万人が訪れ、記念の年を祝ったばかりだった。
食品工場の多い神戸市では、まだ失業者は少ないが、「残業や勤務日数が減り、みんな不安がっている。少し前までお祝いムードだったのに……」と声を震わせた。
■使い捨ての労働力
現在、日本に暮らすブラジル人は約31万人(入国管理局調べ)。大半は、バブル景気に沸く日本で不足していた労働力として迎え入れるため、90年の出入国管理法改正で定住ビザを得られるようになった日系人だ。
ミヨシさんは、1930年代に山形県からブラジルに渡った両親の間に生まれた日系2世。法改正を機に91年に初来日してみると、誰でも拳銃を持て る環境で警察官として働いたミヨシさんにとって、日本は「安全で住みやすい国」だった。そんな日本で働きたいと思い、日本とブラジルに交互に数年ずつ滞在 する生活を続けた。
昨年7月、ブラジルの仲介業者に給料5カ月分にあたる11万円を紹介料として払って日本での職を探し、4度目の来日をした。しかし、1年間の雇用 契約を結んだのに、数カ月で失職。失業保険もなく、月給22万円から寮費や光熱費を引かれ手取り4万~5万円で、貯金もなく、帰国資金を工面できない。
両親は「一度は日本に帰りたい」と言いながら、果たせないまま既に亡くなった。その両親の祖国日本で今、ミヨシさんは複雑な思いを抱える。「特別な思い入れのある国だった。でも、僕はただの使い捨ての労働力に過ぎなかった」
毎日新聞 2009年2月8日 地方版
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