2009-02-18

中国映画のなかの日本のイメージ、変化の兆しが

:::引用:::
 中国にも、徐沛東や譚盾(タン・ドゥン)などといった映画音楽の巨匠がいるため、「どうして中国テイストの映画を日本人に担当させるのか」などといった声も多いが、譚盾が担当した『グリーン・デスティニー』や『HERO』の音楽は恨み悲しみの度合いが強すぎて壮大さに欠け、『レッドクリフ』の音楽にには及ばないように思う。

  日本は中国よりも早くから西洋音楽を学び、西洋音楽と東洋音楽の融合を重視してきた。映画音楽においては、旋律と画面を見事に結び付け、完璧なまでに融合させている。これに対して中国の作曲家たちは、その後を追うのに必死だ。

  中国語圏の映画監督たちは、日本の作曲家は中国の作曲家より中国の伝統文化の音楽の精髄をよく理解し、もの悲しく洒脱な東洋の情緒を描き出すことができると考えている。そのため、大作の音楽はほとんど日本の作曲家に依頼する。これは単純に、市場化と自由化によってもたらされた結果ではないのだ。

  正月映画の『非誠勿擾』はよりあからさまだ。日本で1960年に発表された流行歌『知床旅情』を劇中に直接用いて、その美しい旋律によって中国式ロマンスに異国情緒を加えている。この作品に取り入れられている日本の要素は音楽だけではない。葛優(グォ・ヨウ)は舒淇(スー・チー)を笑わそうと、大きな眼鏡をかけ、立派な鼻と二本の髭をつけるという日本式のジョークをとばす。

  また、美しく静かな北海道の景色もふんだんに盛り込まれている。果てしなく続く北海道の道路を車で走るシーンでは、片側には緑色、もう片側には黄金色の美しい平原が広がる。この作品は北海道にとって最高の観光PRとなったことだろう。映画を見た多くの中国人が北海道に興味と好感を抱き、行ってみたいと考えているからだ。

  これらの中国の映画における日本のイメージは、従来のように悪くねじ曲げられたものではない。監督本人や香港・台湾の地域文化は歴史責任についてあまり意識しておらず、作品づくりを愛国宣伝の場にしようとは考えていない。彼らは日本製品や日本文化を排斥することはなく、逆にそれを心ゆくまで享受し、それに浸っている。『葉問』には一部、抗日の痕跡が見られるが、それでも川井憲次を大胆に起用している。これは愛国の問題ではなく、芸術のしからしめるところである。(おわり)
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