「昔の話がいちばんキライ!」。ソウルで会った日本人女子学生の言葉である。少し説明を要する。
1年近い語学留学の結果、彼女は地元の親切な男子学生たちとかなり意思疎通できるようになった。すると時々、歴史認識をめぐる日韓摩擦の話題が出る。興奮気味に話す韓国人学生の主張は一方的だと思えるのだが、反論できない。
「だって学校でも習わなかったし、昔のこと、あまり知らないから……」
変化球で議論をかわすには会話能力が不足なので、もどかしいばかり。言いたいことを言って再び友好的な笑顔に戻る韓国人学生に怒りが募り、仲たがいはしないものの思い出すと嫌な気分になるという。実はかなり頻繁にあるケースだ。
日本の若者、いや戦後世代の多くが、明治から太平洋戦争敗戦までの歴史知識に乏しい。あえて言えば根底には日米関係がある。米国で今月20日(日本時間21日未明)、オバマ新大統領が就任するのに向けて、この問題を考えてみたい。
◇同盟の懸念材料
国際情勢から始めよう。オバマ氏の使命は重い。世界を揺るがしている経済危機だけでなく、テロや中東紛争での果てしない流血、北朝鮮に象徴される大量破壊兵器拡散の恐怖、食糧やエネルギー資源の争奪戦など、極めて深刻な課題が待ち受けている。
もちろん期待も高い。ブッシュ大統領は身勝手な外交や大義なきイラク戦争で世界の信頼を失ってしまったが、「チェンジ」を叫んで人種の壁を破った オバマ氏なら流れを変えられるのではないか。米国の文化的、精神的なソフトパワーを発揮して、心に響く国際協調のハーモニーを奏でてくれるのではないか。
だが日本では懸念も広がっている。イラクからアフガニスタンに軸足を移す予定の対テロ戦で、オバマ政権が同盟国に支援を求めるのは確実だろう。この要請に日本は応えられるか。
アフガンの治安はひどく悪化している。イラクのような自衛隊派遣はできないとなった場合、米国は巨額の費用負担を求めるという見方がある。
その金額に、不況に苦しむ日本国民が驚き、さらにオバマ政権が北朝鮮の核問題や日本人拉致問題で日本への配慮を欠いたりすると、対米感情が悪化するのは避けられまい。
もともと日米同盟には危うい側面がある。安保条約は太平洋戦争の勝者と敗者の同盟だ。安全保障の根幹を米国に任せ、日本国内で広大な米軍基地の運 用を認めるという特殊な状況は、戦争に負けたのだから仕方がないというあきらめや、軍備にカネをかけず経済発展できるのは結構なことだといった主張も背景 に維持されてきた。
しかし、開戦に至る経緯や原爆投下、東京裁判などをめぐって、米国へのわだかまりや日本内部の対立が今も残り、時には表面化する。航空自衛隊のトップが、粗雑な米国陰謀説を含む論文を発表した昨年の事件は、その一例だろう。
表に出ない場合もある。ブッシュ大統領は日本の真珠湾攻撃と9・11テロを同列に扱う発言を続けた。不快に思っても日本人はおおむね沈黙した。学校での近現代史教育を難しくしている重要な一因は日米関係のこういう悩ましさである。
一方、米側から見ても日米同盟は盤石ではない。安保条約による軍事面での統合が深まる一方、同盟を支える政治、経済、文化の人的ネットワークはひ どく劣化した。中国系米国人が日系の3倍以上に増えた。日本の影響力も米国からの関心も希薄化している。日本研究でライシャワー元駐日大使の弟子にあたる ケント・E・カルダー氏の近著「日米同盟の静かなる危機」(渡辺将人訳、ウェッジ刊)の指摘である。
そういえば、ワシントンで会った日本語に堪能な米国人青年は、希望するレベルの就職先が少なくて困っていた。中国の爆発的な経済成長と米中交流の 急拡大を背景に、中国専門家なら良い条件のポストがいくらでもあるという。「日本研究を専攻したのは失敗でした。先見の明がありませんでしたね」。日本語 でそう言って、苦笑いした。
◇まず知ることから
結論を述べよう。悩ましい側面があっても日米同盟は重要である。北朝鮮が核計画を放棄せず、ロシアや中国の野心的な動向が目立つ現状ではなおさら だ。ところが日米同盟の実態と意味について一般国民の関心は十分でない。オバマ政権との付き合いを機に認識を深めることが望ましい。
同時に進めるべきは、日本と世界の近現代史の基礎を学校でしっかり教え、大人も学ぶことだ。弱肉強食の帝国主義時代、日本がどのように興隆し、敗 亡したのかを正しく把握しておきたい。その知識がないと、偏った情報を根拠に怒りをたぎらせ、かつて日本を滅ぼしたようなナショナリズムに陥る危険があ る。
米国との関係を、もっとのびやかなものにしたい。そのためには、わだかまりを解かねばならない。おそらく長い年月がかかる。まずは「昔の話」をきちんと知ろうという提言である。
毎日新聞 2009年1月4日 東京朝刊
●●コメント●●
0 件のコメント:
コメントを投稿