2009-01-24

経営理念や システムの曖昧さが 不人気の原因

:::引用:::
長年にわたって海外における日本企業の現場を見て痛感するのは、企業のグローバル活動の成功の鍵を握る現地人材に、日本企業がいかに人気がないかということだ。

  2005年に中国で2万7000人の大学生を対象に行ったアンケートでは、人気企業トップ50社の中に日本企業はソニー(22位)と松下電器産業(41 位)の2社しか入っていない。社会人に対するアンケートでは、「働きたい企業の国籍」として、日本企業は欧米はもとより、韓国、香港、台湾、そして中国地 場企業より下にランクされている。

「中国は反日感情が強いから」と思うかもしれないが、欧米でもアジアでも、 トップクラスの学生が進んで日本企業に勤めようとする国は、台湾を唯一の例外として全くないと言ってもいい。親日的といわれるタイでさえ、「日本の製品や 文化は好きだが、日本企業には勤めたくない」という人が多いのだ。東大大学院を卒業し、日本人に帰化した外国人が、就職先として選ぶのは日本企業ではな く、欧米企業や地場企業だという、悲しい事実もある。

 一口に世界といっても、国によって企業選択の基準はかなり違う。

 たとえば中国人というと、日本人には「お金で動く」というイメージがあるが、実際には中国の有能な人材ほど自身のキャリアを重視しており、少々給料が安くともキャリアアップに役立つなら、そちらを優先する。

 当然「どんな内容の仕事か」「何年働けば管理職になれるか」「どのような基準で昇格を決めるのか」といった点について、納得のいく答えを求める。また実力主義・個人主義の傾向が強く、日本的な年功序列や横並び賃金は忌避される。

 同じ中国でも華南地域、また、香港やシンガポールの中華人は、金銭面へのこだわりが強くなる。少しでも給料がよいと、それまでのキャリアをあっさり捨てて転職することも厭わない。

  反対にタイ、インドネシアなど東南アジア諸国では、実力主義の傾向は少なく、成果主義賃金で大きく差をつけたりすると、「かわいそうだから私の分を分けて あげてください」と言われたりする。職場の雰囲気や企業風土を大切にする点は日本人と共通するが、日本人より自らのキャリアや、企業の社会的ステータスを 大切にする。

 インドでは経営理念や理論が企業選びの基準となる。「各人の給料がいかにして決定されるか」と いった仕組みが明快で論理的でないと働く人々は我慢できない。また、企業の掲げるビジョンにも重きを置き、その企業がインドという国や社会にどのような貢 献をしているのかを気にかける。

 国によってこれほど企業に求めるものが違うにもかかわらず、どの国でもおしなべて日本企業には人気がない。

 その最大の理由は、日本企業では何もかもが「曖昧」であることだ。仕事の責任範囲、昇格基準、給与体系、評価基準など人事諸制度が明確でないばかりか、企業の経営理念、海外拠点の経営方針もはっきりしない。

  金銭を重視する人にとって「どれだけ働けば、いくらもらえるのか」がわからず、キャリアを重視する人にとって「いつ頃どのような仕事を任されるのか」がわ からない。ビジョンを重視する人にとっても「どんな理念を持った企業なのか」がわからない。そのため誰からも魅力を感じてもらえない。

  日本企業の場合、そもそも本社ですら、給与の算定基準や経営ビジョンがはっきりしない企業もある。さらに本社で明確な方針を出していても、現地に伝わって いない。「海外子会社の現地化を進め、○○年までにこのポジションに現地人を昇格させる」と本社の会議で決定しているのに、肝心の現地のマネジャークラス には伝えられず、昇進させようと思っていた当人が見切りをつけて転出したりする。

 第二の理由として、現地人材 への権限の委譲も少ない。「日本の企業なんだから日本人が回すのが当たり前」という姿勢があからさまで、現地人材を欧米などで現地子会社の副社長クラスに 登用しても、実質的な権限は与えず、重要な問題は日本人だけで集まって決めることが依然少なくない。ましてアジアとなると、現地採用の人材をトップ近くの ポジションに就けている例はほとんどない。

 第三に、有能なマネジャークラスへの報酬が低い。コストカットのために海外に進出する企業が多く、また、年功序列型報酬制度のため、勤続年数が長いだけで、無能で貢献度の低い人間が、入社間もないけれども有能で多くの仕事をこなしている人間よりも多くの報酬を得ている。

 これは能力を自負する人材にとっては我慢できない事態で、このため日本企業では仕事のできる人からやめていき、そこそこ働いて安定した生活が確保されることを重視する人材だけが残る傾向にある。

  第四に、体系的な人材育成プログラムがない。日本企業の場合、新人研修やワーカーのスキルアップには熱心だ。しかし、上の層になればなるほど、育成プログ ラムがなくなり、緻密な育成プログラムを用意する欧米企業と正反対である。これでは意欲のある人材は残らないし、入ってこないだろう。

  第五に、社会貢献の姿勢が少ないことが挙げられる。欧米企業は各国政府が行う社会的な事業に寄付したり、学生に奨学金を出すのに熱心だが、日本企業はあま り積極的ではない。一つの大学で50人ないし100人の学生に多額の奨学金を提供する欧米企業に比して、日本企業は「年間3000円を、二人に対して」と いった具合にスケールが大きく異なる。なかには社会貢献に熱心な企業もあるが、全体としては少数派で、それらの企業も「日本企業だから」とひとくくりに評 価されて損をしている。

 第六に、日本人は英語が不得手だ。多くの国の人々が集まったとき、言葉がわからないとビジョンも示せず的確な指示もできない。「日本企業はグローバル度が低い」「一緒に働いても、コミュニケーションがとれない」と思われてしまうのは大変、残念である。

 日本企業のこうした弱点を克服し、有能な人材を集め、登用し、有効活用して競争力を高めていくにはどうしたらよいだろうか。

 最大の課題は、世界のどの地域にも適用できるようなリーダー選抜の基準を整備することと、どのような人材をその企業のリーダーにするかというリーダー像を明確にすることだ。

昇進、リーダー育成を
「卒業型」から「入学型」に

  欧米企業では、早期に幹部候補生を選抜し、真のリーダーになるために、つまり、幹部層に「入学」するための育成を施す、「入学型」選抜育成がなされる。こ れに対して、日本企業は、今、あるいは過去の仕事で一定の高業績を実現できた者を、その仕事から「卒業」させて、ご褒美として、次の層に上げる、という 「卒業型」選抜を採択してきた。「卒業型」では、下のポジション(セールスマンなど)で成功しても、上のポジション(セールスダイレクター)で成功すると は限らないし、優秀な人材の早期抜擢は実現しない。

 また、欧米企業は、企業理念とビジネスプランを受けて、そ の企業のグローバルリーダー像を明確にしている企業が多い。一方、日本の大手企業54社に対する「グローバル化に関するアンケート」(06年実施)の結果 では、「グローバルリーダーの要件を確立している」と答えた会社は11%となっている。優秀な現地人材にしてみれば、選抜の基準が曖昧なため、努力のしよ うがなく、自然と「どうせ日本人でなければ偉くなれないんだ」という気持ちになってしまう。

 欧米の一流企業はその点が明らかに違う。GEは「GEバリュー」という企業理念から、採用、評価、選抜基準にまで落とし込み、グローバルベースで用いている。

人事が強くなれば人材の流出は抑えられる

 人事部門のステータスが高くないことも、日本企業が競争力を上げにくい原因となっている。本社人事部も、各国子会社のマネジャークラスについて、年齢や出身大学が書かれた名簿は持っていても、「誰がキーマンなのか」という最重要ポイントは掴んでいない。

  人事が、事業会社や国の枠を超えて、グローバル、リージョナルベースでリーダーを選抜しようと試みても、事業会社や各国の利益と合致しないゆえに、計画が はばまれることがある。現地人材からしてみれば、学ぶ機会、異動のチャンス、登用の余地が限定されることとなり、人材の流出につながる。


 有能な人材に対して「今、彼のいるタイではポジションの空きがないが、インドネシアで空いているポジションに行かせよう」といった人事異動ができれば、優秀な現地人材の流出を抑えることができるのだ。

 一般に欧米企業は、極端に言えば「優秀な人間は何としても確保するが、そうでない人間がやめるのはしょうがない」と考えている。待遇面でも重要な人材に厚く、それ以外の人材に薄い。公正な「ひいき」をしている。

  日本企業はこの逆で、ワーカークラスに対しては賃金もよく、福利厚生も充実している。日系メーカーではストが少ないのはこのためだ。普通に働いている並レ ベルの人材を、大きな差をつけずに全員昇給・昇格させる。本来「ひいき」されるべき優秀な人材、高業績を上げた人材が逃げていくわけである。平等に見える 不平等である。

 しかし、その国でその国にあった製品を開発したり、販売するとなれば、日本流ではうまくいかない。優秀な現地人材がいなければ市場は開拓できないし、企業のイメージをよくしなければ優秀な現地人材が獲れない。

  グローバル化時代に日本企業が生き残るためには、各国の優秀な現地人材をいかに登用してダイバーシティーなオペレーションを実現していくかにかかってい る。そのためには現地人材を選抜育成するシステムを構築することと、優秀な人材に働いてみたいと思ってもらえるグローバルブランディングが不可欠である。


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