2009-01-26

中国は大丈夫か[35]増殖する40万円カー~中国発自動車大革命

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 中国の自動車販売台数は今年、670万台を超え、584万台の日本を抜き、米国に次ぐ世界2位に躍り出る見込み。原動力となったのが、3万元(約 44万円)という値段に代表される民族系メーカーの安価なクルマだ。「安い価格でそれなりの品質」だった中国車も外国から技術を導入し、品質向上を急いで いる。中東やアフリカ、中南米などの低所得新興国への輸出ラッシュも始まった。

(編集委員 石黒 千賀子、伊藤 暢人、宮東 治彦、大西 孝弘、佐藤 嘉彦、
北京支局 田原 真司)

 東シナ海に突き出た山東半島の北岸にある山東省煙台市。そこから高速道路を西へクルマで1時間半ほど走ると、龍口という田舎町にたどり着く。近郊農業のほか工業も盛んで、中国の農村部の中では所得水準が高い。大きなビルや商店もあり、ちょっとした地方都市の雰囲気だ。

月収4万4000円で買える

 その龍口に今、本格的なモータリゼーションの波が押し寄せている。

 「品質のもとは管理である」――。

 2002年3月、中国の新聞各紙にこんな日本語が書かれた一風変わった広告が掲載された。製品の商用車よりでかでかと写るスーツ姿の日本人、それ が河手だ。新聞広告の主は、中国の商用車大手の北汽福田汽車。品質管理に長けた日本人が指導したから、福田汽車の品質は高いということをアピールしたもの だ。

 河手はトヨタ自動車系の部品メーカー、ジェコーで工場長や常務取締役などを務め、トヨタ生産方式(TPS)の生みの親である大野耐一(故人)から直接薫陶を受けた。子会社の社長として64歳で退職した後も、日本でTPSの指導を続けていた人物である。

 ジェコーに視察に来た中国の大学教授の紹介で、2000年に福田汽車の総経理が河手に指導を要請したのが発端だった。

二言目には「改善は会社がやること」

 「先生の真理を社内に伝えたい。全面的にバックアップしますから、お願いします」。初めは戸惑った河手だったが、若い総経理の熱意に心を動かされる。結局2001年から4年間、同社の最高技術顧問に就くことを決めた。

 三顧の礼で迎え入れられただけあって、住居のほか通訳や世話役がつくなど待遇は良かったが、指導は苦労の連続だった。最初の半年などはTPSの概念すら全く通じなかったという。

 「改善は会社がやること。我々がやるならお金をください」。現場の従業員は二言目にはこう言ってくる。品質不良が起きても、そのプロセスを追究し ようとしない。TPSはまず問題の個所を明らかにして、重点的に改善するところから始まる。だが、中国では問題となる従業員の立場が危うくなるためか、品 質管理はおろそかだった。

 「このままでは伝わらない」

 思い余った河手は用意された部屋を飛び出し、品質管理部長などと同じ部屋に移動し、社内で繰り返しTPSがなぜ必要か説いて回った。宴会でも何度 も杯を酌み交わした。さらに社員の良い点を極力褒めるようにして信頼関係を築くと、まず中間管理職の意識が変わった。現場の従業員がTPSを理解してから は、貪欲に指導を仰ぎ、「先生」と慕ってくるようになった。

「教えてほしいなら誰にでも教えろ」という教え

 赴任から2年目。車体組み立て工場の生産効率が悪く、ラインのレイアウト変更が必要だった時のこと。本来は休日がチャンスだが、中国人にとって重 要な休日である10月の国慶節にライン変更していいものか。ためらう河手に対し、現場から1週間の休日返上でレイアウト変更をしたいとの申し出があった。 「ようやく苦労が報われた思いがした」と、河手は振り返る。

 河手の指導の結果、福田汽車傘下の9工場の生産効率は2003年末までに軒並み4割以上高まり、中には2倍以上になる工場も出た。

 「見てください。ここなんか今では日本よりきれいな工場ですよ」。福田汽車から栄誉表彰を受けた河手は、写真を手に目を細めた。

 日本の生産ノウハウを中国企業に伝えることは、日本の国益に反するという意見もある。

 だが、河手は話す。

 「現状に満足せず常に向上を考える大野さんの指導を受けて私の人生は変わった。中国でTPSが必要とあれば、徹底的に教える。『教えてほしいなら誰にでも教えろ』というのが大野先生の教えなのだから」

元三菱自の海外立ち上げマン

 中国の自動車メーカーを技術支援するのは部品メーカー出身の河手だけではない。自動車大手OBも目立つ。

 「こりゃまた、べらぼうに広い敷地だなあ。一体どんな工場を作るんだ」

 2004年2月。中国・瀋陽の経済特区にある5万m2を超える工場敷地を前に、吉田尚義(67歳)は目を丸くした。

 土地の持ち主は、遼寧省政府系の中堅メーカー、瀋陽華晨金杯汽車だ。従来は、三菱自動車の合弁会社などからエンジンを購入していたが、自主開発エンジンを生産するという。

 生産するエンジンの排気量は1.6~2.0リットル。欧州最高水準の排ガス規制「ユーロ4」のクリアを目指し、設計や設備はドイツの企業に発注するなど新鋭ラインという。だが、最大の問題は、生産管理ノウハウの欠如や技能者の人材不足などだった。

 同社にとって、吉田は最適の人物だったに違いない。吉田は三菱自動車の元乗用車生産本部生産技術部部長付。京都製作所を振り出しに、現場の生産技 術全般を渡り歩いた。三菱自では採算が悪化した工場の再建や海外事業に奔走した、自称「便利屋」。実は瀋陽にある三菱自のエンジン合弁工場の立ち上げにも 関わっている。

やっぱりモノ作りや現場が好きだから

 三菱自のエンジン販売先の中国メーカーの自主開発を支援する――。

 一見、競合相手への技術流出とも取られかねない支援をなぜするのか。吉田は笑いながらこう答えた。

 「やっぱりモノ作りや現場が好きだから。若い熱心な連中に教えると逆に教えられることも多いし。それに日本の技術レベルとの差はまだまだ大きいよ。自分にできることを教えるのは、互いのためによいと思ってね」

 若い優秀な幹部もいたが、現場の技術レベルはまだ高くなかった。例えば、日本ならば2ラインで年間70万台のエンジンが生産できる土地だが、聞く と能力は20万台といい、レイアウトに疑問を感じた。吉田は幹部や現場の作業班長ら40人程度に生産管理ノウハウや作業手順を教えたほか、グループの金杯 汽車にも指導に行った。

 「このクルマは乗るとがたがたするぞ。こりゃノイズカーだな」「ここの溶接はなぜバリが残るんだ。電極をこう変えたらどうだ」などと、具体的な品質改善のアドバイスを重ねた。

 そんな功績から、吉田は功労者として遼寧省から表彰されたが、先方の企業の予算の関係もあり、1年で顧問契約を終了した。華晨金杯のエンジンは当 初より1年以上遅れ、今年6月にようやく生産を始めた。ワンボックスカーの「金杯」や乗用車の「中華」など一部に搭載されているようだが、吉田は「品質は まだまだこれから」と見る。華晨金杯のエンジン工場も赤字だ。

人作りに挑むいすゞ元役員

 河手と吉田。2人の事例から浮かび上がるのは、中国は単なる技術移転以上に人材育成を求めていることだ。

 「モノ作りより人作り」。そんな中国の自動車産業の悩みに正面から応えようとしている日本人OBもいる。

 日中産業教育研究会(東京都)の副代表を務める渡部陽(78歳)。いすゞ自動車でトラックや乗用車「べレット」の設計、開発を務め、最後は開発担当役員にまで上り詰めた人物である。その渡部は今、中国で世界最大級の自動車専門大学の立ち上げに奔走する。

 中国のデトロイトと自称する広東省広州市。その花都区の中の総面積100万m2に達する広大な敷地に、9月14日、華南理工大学の「広州汽車学 院」がオープンした。4年生大学と社会人教育を行う工業訓練センターからなり、在籍目標学生数は1万5000人。エンジン、設計、生産など自動車工学に関 する幅広い分野をカバーする。

 渡部は学院を立ち上げる中国の投資家の依頼を受け、日本事務所の顧問として、技術者OBの教員確保や日系自動車会社への協力要請などに動く。

日中協力は人材育成や産学連携などを通じて

 渡部はいすゞ時代、日系メーカーが中国政府に技術を移転した1980年代半ばから、折に触れて中国に技術支援をしてきた。定年後は清華大学などの 顧問として、中国で自動車工学を指導。その後は国際協力機構(JICA)の団長として、海外に技術支援を行った。そしてこんな発想にたどり着く。

 「この辺でも、庶民が自家用車を買うようになってきた。月に70台くらい売れているかな」。龍口でディーラーを経営する単汝寧はそう説明してくれた。

 龍口の路上を見ていると、走っているクルマが北京や上海とは全く違うことに気づく。外資系メーカーの高級車はほとんどなく、オート三輪やトラクターが大通りを堂々と走る。中でも目立つのは「微型商用車」と呼ばれる、日本の軽ワゴン車に似た小型車だ。

 微型商用車の価格は安い。3万元(約44万円)前後から買えるので、「3万元カー」とも呼ばれる。月収3000元(約4万4000円)あれば何と か買えるため、オートバイ代わりという感覚で売れる。微型商用車の販売台数は昨年100万台を突破。統計上は乗用車に入らないため目立たないが、昨年の乗 用車の総販売台数が280万台であることを考えると、その多さが際立つ。

民族系メーカーの独壇場

 そんな3万元カーが大量に作られ、そして売れる。一方で、メルセデス・ベンツのような日本円で1000万円を超す高級車も売れる――。この市場の 多様性こそが中国自動車市場の特徴だが、欧米、日本、韓国メーカーなど国際的なブランドがしのぎを削るのは販売価格10万元の中級車以上のクラス。3万元 の低価格車市場は外資系が入り込めない、民族系メーカーの独壇場だ。

図表、乗用車の車種別販売台数(2006年1~7月)

 そんな3万元カーの世界に近年、変化が生じている。貨物車のような軽ワゴン車タイプに加えて、乗用車タイプが増え、それと同時に売れ行きも右肩上がりで伸びているのだ。

 代表車種が民族系大手の奇瑞汽車が2003年に投入した排気量800ccからの小型乗用車「QQ」だ。

 丸みを帯びたデザインに、黄緑や青、黄色などの色鮮やかなバリエーション。「安いし、かわいい」。週末になると地方の販売店に若い女性の姿が目立 つという。設計が韓国のGM大宇自動車技術の「マティス」とうり二つで、コピー問題で米ゼネラル・モーターズ(GM)側から訴えられたが(後に和解)、今 年は7月までに7万台以上売れた。中国の乗用車の売れ筋ランキングの堂々6位だ。奇瑞汽車は低価格のセダン「旗雲」も9位に入った。

 北京、上海、広州など大都市の路上を見ると、走っているクルマの大半は外資系ブランドだが、乗用車の車種別ランキング1位は実は天津一汽夏利汽車 の「シャレード」だ。ダイハツ工業が1990年代の初めに技術供与した小型車をベースに、独自の改装とコストダウンをしたもので、これも実売価格は3万 4000元(約50万円)と、30年前の日本の軽自動車並みに安い。

GMが注目し資本参加

 3万元カーはかつて外資が中国メーカーに技術供与した旧型車を改造したり、模倣したりしたものがほとんど。安全性、耐久性、環境性能、知的財産権など問題も多いが、値段の安さから所得の低い農村を中心に普及してきた。

 だが、その波は今後、大都市にまで広がりそうだ。北京や上海では交通渋滞を緩和するためなどの理由で、今春まで排気量1000cc以下のクルマが 幹線道路を走るのを制限してきた。しかし、中国政府がエネルギー効率の高い小型車の振興を打ち出したのを機に、この規制を撤廃。原油高によるガソリンの値 上げで、消費者の目が安くて燃費の良い小型車に集まっていることもあり、人気に火がつく可能性が高い。

 こんな3万元カーを、外資も無視できなくなり始めた。米GMは2003年、合弁相手の上海汽車が買収した微型商用車大手の五菱汽車(現上海GM五 菱汽車)に出資、昨年は33万7000台を販売した。スズキも合弁会社を通して参入、ほかの外資も「競合しないとはいえ、やはり気になる」(日系合弁会社 の幹部)と漏らす。

 3万元カーを筆頭に、急速に存在感を増す中国自動車メーカー。なぜこんなにも力をつけてきたのか。その背景を探ると、意外な事実が浮かび上がった。

トヨタ生産方式の伝道師

 その人物は川崎市の自宅の応接間で、ゆっくりと話し始めた。名は河手逸郎(76歳)。読者には馴染みがないだろうが、中国ではちょっとした有名人である

 「モノ作りは人作り。これからの日中協力も人材育成や産学連携などを通じて貢献すべきだ」

 中国には自動車学部を置く大学が約20あり、将来の自動車大国を支える人材育成に力を入れているが、実用型の人材を育成する指導者不足に悩んでいる。一方、見回せば、日本では自動車産業を支えてきたベテランたちや、団塊世代のOB予備軍が潤沢におり、需給はマッチする。

 さらに広州ではトヨタ、ホンダ、日産自動車が皆、合弁生産に取り組むが優秀な人材獲得に悩んでいる。広州汽車学院で自動車関連の人材が育成できれ ば、「日系メーカーをはじめ、販売店や整備会社など関連産業への人材供給拠点となり、健全な自動車産業の発展にも寄与する」。これが渡部の夢だ。

リストラや定年退職などでOBが大量に発生

 中国の自動車産業を支援する3人の日本人OBたち。彼らは、いずれも80年代に競争力を高めた日本の自動車産業の礎を支えた技術者たちだ。

 彼らだけではない。取材班が今回、中国地場の自動車産業の実力を探ると、皆が「日本人技術者OBが最近、相当来ている」と口を揃えた。

 日本の自動車製造業に携わる就労者数は2004年で79万人。ピークの1998年に比べわずか6年で13万人減った。国内生産台数は年1000万 台強とほぼ横ばいで推移していることを考えれば、リストラや自動化、定年退職などで自動車業界OBが大量に発生していることが分かる。そこに技術向上を図 る中国の人材獲得ニーズがぴたりと重なった。そんな構図が透けて見える。

 実際、日本金型工業会会長(大垣精工社長)を務める上田勝弘は、中国ローカルの自動車部品工場を訪れるたびに、何人もの日本人技術者に会うという。「お、ここはいい製品を作っているな、と思うと必ず日本人がいる」。

奇瑞汽車には日本人工場長

 関係者の話を総合すると、多くは取引のあった日本人らの人脈をたどって、技術指導の要請が舞い込むという。金型や部品会社でリストラされた社員や 定年退職したOBが応じるケースが多いが、中国大手の奇瑞汽車では三菱自出身者が工場長を務めるなど、大手の自動車OBの採用も目立つ。大体が技術顧問の 肩書で、一定期間指導する。こんな形態は家電業界の人材が一時韓国などに流れた構図に似ている。

 中国などに人材斡旋するパソナグローバル社長の畑伴子によれば、処遇は年収で200万円から1000万円までと幅広い。ただ、「中国側の都合で待 遇や条件が変わることが多いほか、命令系統がはっきりせず、会社内で浮いてしまう場合もある」(畑)。中国車の実力とともに、指導する日本人OBの実力も 玉石混交となっている様は、急成長しながらも混沌とした中国自動車産業の実態を如実に表すかのようだ。

 こうした技術支援は、個人の取り組みにとどまらない。最近では、事業拡大を狙った技術支援の動きもある。

 独立系の部品メーカー、三桜工業は今、中国の地場メーカーへの売り込みを画策中だ。日系メーカー向けの納入は増えているが、設備拡張に対応するには販路を広げたいところ。ただ、民族系メーカーは開発能力が低く、三桜工業が設計から協力していかないと納入につながらない。

支援はビジネスの布石

 そこで、三桜工業はメーカーに派遣するゲストエンジニアの養成に乗り出した。現在、7人の中国人を日本で研修中。彼らを将来は地場メーカーに送り込んで開発を手助けさせるが、それは、三桜工業が作りやすい配管を設計し、納入につなげる狙いがある。

 中国は今年、日本を抜いて販売台数で670万台を超え、世界2位の市場に躍り出る。さらに2010年には1000万台を超えるとの予測も多い。

 巨大マーケットを巡り、続々乗り込む日本人技術者OBや日系企業――。

 長年、金型図面など技術流出問題を指摘してきた金型工業会会長の上田は最近、考えを変えた。中国で1カ月前に買ったコピー品の自動巻き機械式時計。高い精度が要求される機械式時計だが、今でも1秒の狂いもない。

 「製品は世に出した時点で技術が流出するもの。日本の自動車産業がかつて、米国のクルマを解体して真似したように、中国が真似るのは当然。いずれ 追いつかれるのも時間の問題だ。すべての技術をシャットアウトするのではなく最適立地で共存共栄する。日本は彼らが真似できないものをやる。もはやそんな 時代なんだ」

(=文中敬称略、以下次号)


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