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サーチナへの投稿の一部を紹介する。「日本は小さな島国であるからこそ、島国根性に陥らないよう注意してきた。外国の文化は積極的に取り入れる伝統があるが、現在の中国から学びたいことはない」と主張する。前回の「警戒される中国、一等国になれるのか?」の続編。婦乱軒酒多飲(ハンドルネーム)さんの投稿。以下はその要約。
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日本人は小さな島国に住んでいる。だから逆に、「島国根性」をいましめるようになった。大きな目で物事を見よと教えられ、オープンマインドで世界の人たちと接することを学ぶ。個人差はあるが、諸外国の生活や、習慣、行動などを頭から否定することは少ない。自分なりに理解して、よいと思ったことは取り入れるようにする。歴史的にも、そのような傾向があったはずだ。
しかし現在、多くの日本人にとって、中国から取り入れたいと思うことはあまりなさそうだ。むしろ、近くに中国人が引っ越して来たりすると、警戒心を抱いて家の戸締りを強化することすらある。やはり、中国人は自分の利益しか考えていないと思えることが原因だ。
日本も戦後、信用してくれる国が増えてきたと感じることができるようになるまで、50年かかった。中国の将来を背負って立つ若者も、50年先を見つめて、利己心に走らずに、アジアや世界に目を向けて、自己を成長させ、活躍の場を見出してほしいと願っている。
中国人にはよい特性があると周囲の人々や他国から認められれば、中国が中心となってアジア自由貿易経済圏を作ることも可能だと思う。コンピュータ分野をはじめとして優秀な人材も育っているのだから、文化の発信源になることも、夢ではないと思う。
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原文はかなり長いので、2回に分けて掲載した。独立して読んでいただいても、要旨が分かるようにしたため、重複した部分もあることをご了承いただきたい。
経済・技術など、国全体をみれば、日本と中国の格差が最も大きかったのは、1970年代後半から1980年代前半にかけてだろう。しかし当時は、あまりの差の大きさや官僚主義的発想に驚いたりあきれたりしても、中国人の人間性そのものを問題視する日本人はあまりいなかった。
ところが現在、中国を嫌う、あるいは批判する日本人の多くが、中国人の「性格」を問題にする。往来が密になって欠点が見えてきたということだけで、理由を説明するのは難しそうだ。中国人自身が「昔に比べて、中国人の考え方はあまりにも利益本位になってしまった」と、しばしば自己批判する。(編集担当:如月隼人)
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