2009-04-15

上海で挑戦する回転寿司チェーン:がってん寿司・大島氏

:::引用:::
――2年間で上海市内5店舗オープンを目指す

  日本で約100店舗を展開している回転寿司チェーンの『がってん寿司』が、昨年11月、地下鉄「世紀大道駅」すぐそばにある96広場に、海外第1号店となる上海店をオープンさせた。歯科開業医から飲食業の世界に飛び込んだという異色の経歴を持つ『上海合点寿司餐飲管理有限司』の大島敏董事長に、飲食業に対する思い、上海に進出した経緯などについて話を聞いた。

――歯科医から飲食業に転身した理由は?

  祖父母はかつて東京・向島で置屋を経営しており、戦争で疎開した埼玉県寄居町でも繁盛させていました。家にはアウトローの人たちが出入りしていて、今思えば、社会から疎外された人たちが新開地で寄り添うように助け合って生きていました。

  私はそういったなかで育ったのですが、まだ子どもでしたから、自分の家は旅館のようなものだと思っていました。両親が子どもには裏の部分を見せなかったんでしょうね。しかし、同級生から仲間外れにされたり、友達の家に遊びに行くとその親から塩をまかれたりと、子ども心にも自分が周りから差別されているのが分かりました。

  そのため飲食業は差別される職業なのだと思い込み、小学生のときの文集では「自分の力で飲食業が差別されないようにしたい」と書いていました。このときの思いが今の企業理念「Good Person 
Good Company 私たちは素晴らしい人 素晴らしい仲間を目指します」の基になっています。

  そんなわけで子どもの頃から飲食業をやるのが夢だったのですが、両親は私を弁護士か医者にしたがっていました。それで大学受験のとき、父親と「東大に合格したら、好きなようにしていい」と、半ば騙されるように賭けをしたんです。ところが、当時は学園紛争真っ盛り、その年の大学入試が中止されてしまって(笑)。まあ、いずれにしても合格は無理だったでしょうけどね。

  翌年に岩手医科大学の医学部と歯学部に合格し、将来開業しやすいのは歯科医のほうだという理由で歯学部に入りました。歯医者になって資金を作ってから飲食業に転身しようと考えたんです。結局、29歳で歯科医院を開業し、 37歳のときには開業時の借金の返済を終えたうえで、手元にそれなりのお金を残すことができました。

――回転寿司店の経営を始めた経緯は?

  飲食業については、皮膚感覚では分かっていましたが、実際の経験はゼロ。まずは経験を積むために『元禄寿司』のフランチャイズチェーンに入りました。私は飲食チェーンをやるからには50店以上に増やせるものをやりたかったのですが、その当時、チェーンとしてまだ発展していなかったのが、回転寿司とラーメンだったんです。

  元禄寿司のフランチャイズ店を始めるにあたり、社長から5店舗にまで増やしたら独立してもいいという約束を取り付けました。社長としても、どうせ歯医者の先生の道楽だろうから、そんなのできっこないと思って安請け合いしたんでしょうね(笑)。

  当時の回転寿司というのは、店内の雰囲気があまりよくなかった。店員は愛想が悪いし、楽しく食事をできるような場所ではありませんでした。私は活気のある店にしたくて店員たちと相談すると、誰かが「合点承知!」という掛け声を提案してくれて、それを始めることにしました。

  とはいえ、店内で「合点承知!」と大声でいうのは恥ずかしいですよ。それで辞めていった店員もいました。ところが、この「合点承知!」が地元の子どもたちのあいだではやりだして、それからは店員たちも抵抗がなくなっていきました。私が元禄寿司から独立したときに店名を『がってん寿司』にしたのは、こんな経緯があったからです。

  独立から10年間は追い風でしたね。どこに出店しても、お店はいつも満員。1時間待ちなどザラでした。当時、“回転寿司ブーム”が日本中にわき起こっていたんです。今ではそのブームも落ち着いていますが、いつの間にか100店舗に増えていました。

――海外第1号店に上海を選んだのは?

  回転寿司の経営で問題なのが、いい人材が集まりにくいこと。飲食業は人材集めに苦労するのです。それを解決するためにはどうしたらいいかと考え、「10 の種まき」を目標にしました。この種を1つずつまいて会社を発展させていけば、自然といい人材が集まってくると考えたんです。この10の種まきは「M&A」や「都心に出店」などで、このうちの9つは比較的簡単に実現しましたが、残りの1つがなかなか実現しなかった。それが海外出店でした。

  実は、当社よりずっと大きい会社から、いい条件のお話をいただいたこともあります。しかし、そういうところのお話は「海外出店したらここを変えないといけない、あそこはこうしないといけな
い」と言われるばかり。それよりも、失敗してもいいから自分たちのやり方のままでやりたいという思いがあり、契約に至りませんでした。

  海外1号店を中国の上海に決めたのは、独資で出店できる、つまり自分たちで思ったようにできるということからです。また食材についても、すでに日本の店では全食材のうちの3割は中国産で、それらの食材については手に入れやすいということと、上海では長崎や築地から新鮮な魚介類が入荷できるということもあります。

  当社は現在、がってん寿司以外の業態も含めて178店舗をチェーン展開していますが、多くの飲食チェーンが採用するセントラルキッチンを持たず、各店がそれぞれの手で材料を仕込んでいます。また、効率化のために機械で作った寿司を出す店もありますが、当社の店では職人が手で握るなど、これまでのチェーン店のやり方とは逆行する方法で、お客様に寿司を提供しています。これは、中国に来ても変わりません。

――海外出店についての今後の計画は?

  上海で出店するにあたって、実は日本人からは遠い場所に店を開きたいという思いがありました。中国で出店するからには、中国の人に支持されたいと思っていたからです。もちろんその思いは今でもありますが、実際には多くの日本人のお客様に足を運んでいただいていて、ああ、それなら日本人の方々にもっと近い場所に出店しておけばよかったと後悔しました。

  そこで、現在は古北・虹橋地区で2号店の物件を選択しているところです。今回上海に来たのも、それが目的です。いい物件が見つかれば、最短で4ヶ月後には2号店をオープンできます。中国大陸に関しては、上海はこの1~2年で5店舗まで増やすつもりでいます。やはり、多くの方々に認知されるためにはスピードも重要です。そして、海外に送り出せる人材を日本で育てながら、香港、台湾、そしてタイ、韓国、シンガポールと広げていきたい。

  上海店の売り上げは、今のところまだ目標に達していません。この96広場は新しくできた場所ということもあってか、周囲を歩いている人がまだ少ない。違う場所にしていたらもっとよかったかもしれませんが、1軒目が好調だからといって2軒目、3 軒目もうまくいくとは限りません。なので「今やらなくていつやる?」という気持ちで挑戦していきたい。そしてこの上海でも、素晴らしい人、素晴らしい仲間を育てあげていくことができたらと思っています。(情報提供:China Concierge)

大島敏氏(おおしま さとし)
株式会社アールディーシー 代表取締役 上海合点寿司餐飲管理有限公司 董事長
1950年埼玉県寄居町生まれ。岩手医科大学を卒業後、80年に歯科医院を開業。87年に回転寿司店
『がってん寿司』1号店を寄居町に創業し、以来、関東を中心にチェーン店の拡大を続ける。現在は寿
司・とんかつ・ラーメン・食堂・自然食レストランなど178店舗を展開中。
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