2009-04-23

中国残留邦人から見た日本「生きていることが幸せ」

:::引用:::
故郷を遠く離れて海外で生活する華人は頼るところもなく、裸一貫から身を起こし、現地の人の何倍も努力をしなければならない。もし体が不自由であれば、その苦労の度合いは推して知るべしであろう。

  ある国の生活水準を判断するには、長者番付や国民の平均所得だけでなく、社会的弱者層である障害者の声に耳を傾ける必要がある。障害者たちが「今の暮らしに満足している」と答えれば、その社会は健全であり、国民全体の政府に対する満足度も低くはないと言える。それでは、日本で生活する中国の障害者たちはどうだろうか。彼女たちの生活の現状を見てみよう。

  ◆梅さん「生きていることが幸せ」

  61年前の戦争によって幼くして孤児となった梅さん。彼女の記憶によると、6歳の時に難民所で高熱が続いた後、普通の子どものように歩くことができなくなった。かなり経ってから医者に見てもらったところ、軟骨炎と小児麻痺と診断された。しかし親切な中国の養父母は、障害があることを気にせず彼女を引き取って養ってくれた。

  1990年、孤児であると認定された梅さんは夫と息子と一緒に帰国し、千葉県に定住した。梅さん自身が障害者であるうえ、夫も病気がちで、二人とも労働能力がなかった。そのため、当時は毎月12万円の生活保護で暮らしていた。

  生活がようやく安定した頃、中国の養父が重い病を患ったという知らせが届いた。梅さんはできるだけ出費を抑え、もともと十分ではなかった生活費の中からいくらかを捻出して中国に送った。養父が亡くなるまでの7年間で200万円余りも送金したという。養父が亡くなった後は、もう一人の養女が養母の世話をするのを拒否したため、梅さんはさまざまな困難を克服して養母を日本に迎え、面倒を見ることになった。

  梅さんは自分自身が障害を抱えているうえに、半身不随の養母と病気がちの夫の面倒も見なければならなくなった。当時、梅さん夫婦の生活保護のほか、養母も毎月5万円の生活費を受けることができた。また、3LDKの県営住宅にずっと無料で住み続けることができ、3人の医療費もすべて無料であった。

  日本で養母の面倒を見ていたときは確かに大変だったが、病院や住宅は無料であったため経済的には大きな負担がなく、自分の老後の心配も解消されたという。養母との仲はとても良く、2001年に養母が亡くなるまで、異郷で寄り添って暮らした。

  日本は居住地の財政状況によって障害者の受けられる福祉が異なる。梅さんによると、東京のような大都市に比べると彼女の住んでいる地域は障害者に対する助成が少なく、日常生活においては県内のモノレールに半額で乗車できるほかは優遇があまりないそうだ。

  しかし現在は毎月受けている生活保護で暮らしていくことができる。息子夫婦は中華料理屋を営んでいるが、商売はあまり上手くいっておらず、収入は少ない。それでもずっと苦しい生活を送ってきた梅さんにとっては、贅沢な料理が食べられず、質素な食事であることなど大したことははい。しかも歳をとったらそんなに食べられるものではないと話す。それよりも、自分の障害や夫の深刻な高血圧、心臓病の医療費がすべて無料であることがうれしいという。

  梅さんは次のように話す。「私の現在の状況は、豪華な一軒家に住み、数十万円の年金をもらって暮らしている同世代の人とは比べものになりませんが、退職金ももらえず、病院に行くお金もない親戚に比べれば恵まれています。何事も良い方向に考えなければ」
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