前回、このコラムで、河南省の南街村と山東省の西霞口村の変化を通して中国の農村が再び集団化の道を歩み出すのではないか、と述べた。確かに集団化の道を貫いてきた村は、自己責任で農業を営む多くの村と比べると、進んでいるように見える。
こうした集団化経営に成功した村のいくつかに乗り込んで自ら調査もしてみた。感心したところも多い。しかし、腑に落ちないこともかなりあった。厳 密に言えば、これらの村の集団化の成功は、農業には頼らない経営戦略がある。それは、地元政府設立の企業つまり郷鎮企業による工業製品の加工、製造と販売 によって収入が保証されている実態だ。わかりやすく言えば、そのビジネスモデルはかつての人民公社に近いような農業の集団化経営に加え、郷鎮企業による収 入があり、さらにカリスマ性のある指導者がいて成功しているのだ。
江蘇省江陰市にある華西村は早い段階から豊かな村として知られており「中国第一村」と呼ばれるほど集団化経営に成功した村の老舗的存在である。 80世帯、1520人、面積がわずか0.96平方km。2004年、同村の村民はすでに1人当たり所得が12万2600人民元になった。これは当時の中国 では普通の農民の年収の42倍近く相当する。周辺の農村を合併すると同時に、中国で貧困で有名な寧夏回族自治区に「寧夏華西村」を、ロシアと隣接する黒竜 江省に「黒竜江華西村」を作るなどして、勢力を拡大している。
1997年にこの村を訪ねたとき、すでに多くの農民の家に自家用車が配給されていた。村営製鉄所や村営衣料品工場などが村民たちの豊かな生活を保 証している。村のリーダーである呉仁宝氏は、毛沢東の人民公社時代に、朽ち倒れんばかりのぼろ家に豆腐工場をひそかに設けて、現金収入の確保に工夫してい た。上層部が検査に来ると、工場であるぼろ家に藁などをかけてばれないように偽装して上司の目をごまかした。のちに人民公社が解散して、農業経営が自由に なった時、他の村の農民は農業に専念することしか知らなかったが、呉仁宝氏率いる華西村は郷鎮企業の雛型を形成し、工業化の道を先に一歩踏み出した。
「先に踏み出したその一歩は非常に大きい意味をもっていた。販路、市場、経験など市場経済の分野ですべて私たちが一歩リードする形で走り出した。 その一歩が今になって他の農村を大きく引き離し、私たちに大きな成功をもたらした」という呉氏の言葉が印象的だった。華西村、南街村、西霞口村などの集団 化成功村に見習って、山西省壺関県小逢善村、河南省新安県土古洞村など多くの村も自発的に合作社を作り、集団化経営の道を歩み出した。
しかし、これら集団化経営を貫く村の成功は中国の農業経営の問題を解決していない。華西村と同じように前回のコラムに取り上げた南街村と西霞口村 も村営企業で発展と高福利を支えてきたのである。南街村は農村向けの格安インスタントラーメンを作る企業などをもっている。海に臨む西霞口村は漁業、船舶 修理、海運、旅行などで村の経営を支えている。そのいずれも農業を主要産業にしていない。
だが、経済が発展し、競争が激しくなったいまの中国では、技術レベルが低い製鉄所と衣料品やインスタントラーメンを加工する町工場的な企業で集団化成功村のこれからの躍進を引き続き支えていけるのか、と聞かれると、強く疑問に思うと答えるしかない。
南街村は銀行から巨額の融資を受けて維持している。ここ数年、村営企業の経営状況が悪化し、従業員の給料の滞納事件も起きている。南街村のトップ も「私たちはほかの農村に南街村をモデルとして押し付けていない」と弁解に回り、守りの姿勢を固めている。西霞口村にも、穏やかではない噂が付いてまわっ ていた。韓国に近いという地の利を利用して車などの密輸入で財をなしたという内容だ。山東省内でこの噂を何度も聞いた。
一番大きな問題は、これらの村の成功は村民の所得向上と生活改善といった結果をもたらしたが、中国が抱えている農業問題を解決していないことだ。その意味では、これらの村は中国農村全体のモデルにはなれない。
そこで新しい集団経営モデルが注目を浴び始めた。農村の「農民専業合作社」だ。日本の農協に近い農民専業合作社の構想は06年10月末に採用さ れ、07年7月1日から発効した「中華人民共和国委员会農民専業合作社法」によって設立できるようになった。厳密には農業の集団化経営ではないが、作物の 植え付け面積の配分や集荷などを共同で実施し、収入を加盟農家に配分する。昨年11月、安徽省合肥市に進出したフランス系スーパー、カルフールを訪問する と、同社の副社長銭莉さんが「カルフールの店頭に並ぶ農産品をすでに一部農民専業合作社から仕入れている。これからはこの比率をさらに増やしていく考え だ」と教えてくれた。
実は、08年3月に、カルフールは上海市郊外の農民専業合作社からの仕入れを開始した。その試みはすぐに全国各地のカルフールに広がった。中国政 府も外資系スーパーが始めたこの試みを支持し、昨年末、商務省、農業省が共同で「スーパーと農民専業合作社の連携テストに関する通知」を配り、2012年 に、テストに参加する企業の生鮮農産品調達率の50%以上が農民専業合作社の供給によるものであることを期待すると同時に、これによって近代的な農産品の 流通システムを構築しようという考えも明らかにしている。
ちなみに、スーパーで販売される農産品は、その全生産高の6%に過ぎない。これからこの割合を大きく高めることで、農民が安定した販路の確保によって安定した収入が得られ、自然に安心して農業に従事できる環境を作ろうとしている。
中国の農業は個人経営状態から集団化または準集団化の方向へ一歩踏み出したと見ていいのではないか、と私は思う。ひょっとしたら、こうした近代的小売システムとの連携で、中国の農業は新たな道の模索に成功するかもしれない。
最後に、面白いエピソードを披露したい。前回紹介した1978年に「家庭請負制」という名の自己責任で農業を営む改革・開放制度を取り入れ、人民 公社崩壊のきっかけをつくったとされる安徽省鳳陽県の小崗村では、幹部たちが南街村に習って集団化の道に戻ろうと言い出した。しかし、今さら単に集団経営 に戻るだけでは意味がない。結局農業の経営をどうするのかという根本的な改革についてはまだ暗中模索が続くだろう。
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