2008-06-18

香港も中国大陸の優秀な人材の獲得にのろしを上げた

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今年1月下旬、香港特別行政区政府ナンバー2の唐英年(ヘンリー・タン)政務長官が東京を訪れた。唐氏を歓迎するため、香港経済貿易代表部が東京・ 六本木のミッドタウンで昼食会を主催し、香港出身者を含めた日本在住の中国人約80名が招かれた。春節を祝う意図も兼ねての集まりに私も顔を出した。

唐氏はその席上でスピーチを行った。ひと通り、香港の現状を紹介した後に、なんと熱っぽく中国大陸出身者の私たちに人材誘致の話を始めた。香港政府 がいまどれほど海外から優れた人材の募集に力を入れているかを強調し、ぜひその下見に香港を訪問してみたらどうかと誘う。スピーチの節々に、香港の人文的 環境は日本に負けていないというニュアンスをにじませ、日本に在住している中国系の優秀な人材を香港へ移住してみないかと誘っている意図を隠さなかった。

唐氏のスピーチは、人材誘致の狙いをスマートな社交辞令で包んでいたため、半信半疑で聞いていたが、どうやら相当本気らしい。香港側の将来の発展を 支える人材に対する渇望と、人材確保への意欲の強さは理解しているつもりだが、それでも香港特別行政区政府のナンバー2の高官が日本社会に対するヘッドハ ンティング的な誘致活動を公的な場所でやることにはやはり驚きを覚えた。

今年3月には具体的な人材確保作戦が展開された。香港経済貿易代表部が、日本にいる中国人学者や研究者などで構成している団体「華人教授会議」の関 係者たちを招いて、東京・九段にある同代表部内で昼食会を開いた。話題のひとつはやはり例の人材確保だった。同代表部内部での開催による安心感もあって か、内容はよりストレートで参加者の心を揺らす作戦が出た。香港の大学教員の年俸にまで触れ、香港での就職の実利を強調しながら香港への移住を働きかけ た。

そのあまりにも大胆な口説きに、主催者の熱意と意欲をいやがうえにも感じ取り、香港の変貌ぶりに驚いた。

実は長い間、香港は海外に居住している中国大陸出身の高学歴者を受け入れることに対して、むしろ敬遠に近い非積極的な態度を取っていた。だから、日 本の中国人社会から香港に移住した人はそうはいなかったし、移住しようともあまり思わなかった。香港在住の友人の話によれば、香港は中国大陸出身の高学歴 者を香港地元の大卒を脅かすライバルと見なしていたという。

ところが、中国大陸の経済が発展していくにつれ、香港の相対的な優位性は薄れてきている。製造業の地位を中国大陸の珠江デルタ地域に奪われ、海運も 深圳、上海、広州など中国大陸側の港湾に戦いを挑まれ、厳しい競争にさらされている。幸い、観光業と金融業が健闘して香港経済の地位を何とか保っていた。 しかし、さらなる発展を図るには、IT(情報通信)産業、バイオテクノロジー(生物科学)・製薬産業、半導体設計産業、アニメを代表とするコンテンツ産業 など、いままでの加工産業とは異なる産業を誘致し従来の意識を覆すほどの勇気と行動力がないと、香港は勝ち残れない。こうした危機意識が香港政府を人材誘 致作戦に走らせたのだろうと思った。

香港返還が実現した1997年より前には、中国大陸出身の高学歴者が香港に就職する機会はほとんどなかった。1999年に「優秀人材輸入」という名 の人材導入プログラムが始まった。狙いは高学歴者と人材の誘致だったが、実際は見えない壁が存在し続けていた。2003年7月までの7年間に、わずか 280人にしか居住許可を出さなかった。平均年間40人、月に3人しかいないという厳しい結果であった。一方、中国大陸から単純労働力を受け入れる枠はな んと一日あたり150名もあった。当初、香港が必要なはずの人材である中国出身の高学歴者に対してはむしろ頑なにガラスの壁を設けていたのである。

2001年、香港政府はさらにターゲットを絞った人材誘致プログラムを始めた。その名もストレートに「内地専門人材導入プログラム」となっていた。 内地はいうまでもなく中国大陸を指す。香港に不足している金融と科学技術系の人材の誘致に焦点を絞り始めた。2003年このプログラムが終了するまで、香 港政府は319人を受け入れた。その前のプログラムよりはいくらか人材導入のスピードを速めたが、ガラスの壁は撤回していなかった。

そこで03年7月から、これまでの二つの人材導入プログラムを取りやめ、「内地人材導入プログラム」という新しいプログラムを開始した。プログラム 名から専門という2文字を外したことからもわかるように、人材導入の敷居を下げた。現在も進められているこのプログラムは、これまでの人材導入プログラム と比べて大きな特徴が二つある。これまで学歴に対して厳しいハードルを設けていたが、今度はそこまで求めなくなった。次に、金融やIT業界に限定すること を止め、業種の制限も撤廃した。07年9月末までの4年間で、香港政府は1万8000人の申請者に移住許可を出した。人材導入のスピードは速まった。

しかし、香港に限らず目を世界に向けてみると、中国大陸出身の優秀な人材を獲得する競争は今に始まったことではない。07年11月、シンガポール訪 問を終えたばかりの温家宝首相は、北京を訪れた香港特別行政区曾蔭権長官に対して、香港はイノベーション、教育、人材、環境という四つの面の政策で先行し ているシンガポールに学ぶべきだ、と指示した。中国政府は、香港のこれまでのやり方に不満をもっていたのだ。

そこで香港政府は「優秀人材輸入導入プログラム」を装いも新たに復活させた。要求される言語については中国語でいいとし、英語ができれば評価点数を プラスする。年齢も50歳以上と制限を緩め、専門分野での勤務経験年数も5年から2年へとハードルを下げた。さらに、雇い主が見つからなくても、とりあえ ず1年間の香港滞在許可を出す。その後の様子を見てその滞在許可をさらに1年間延長することができるとした。

新「優秀人材輸入導入プログラム」の第1号の適用者はピアニストの朗朗さんだった。著名な音楽家が新「優秀人材輸入導入プログラム」の広告塔を勤め てくれるようなこの運びに、香港政府も大いに喜んだ。その勢いに乗って唐英年政務長官と香港経済貿易代表部が日本でも新「優秀人材輸入導入プログラム」の ための宣伝攻勢を仕掛けてきたのである。

外国人材の活用に多くの課題と規制を残している日本は、在日外国人にとっては厳しい舞台だ。ある意味、香港はそのような環境下にある中国大陸出身者 はとても魅力ある人材の宝庫だと思って、誘致の攻勢を仕掛けてきたのだろう。在日中国人の中には香港への移住を考える人がそれで増えるかもしれない。


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