小平達也
■同じタイムゾーンの中で進む地域的グローバル化
「時差を利用した24時間開発体制と高い技術力、英語能力」――。これが、インドのITリソースを活用してアメリカが成功している理由だと一般にはいわれている。本連載第23回 「アメリカ人ITエンジニアもいなくなる」 の「MY JOB WENT TO INDIA」で、アメリカでは金融業を中心にインドのITサービスを積極活用し、生産性向上を果たしているという点を紹介した。一方で、24時間開発体制 などのオフショア開発では、テレビ会議、電話会議を行う場合でも時差の関係があるので「どちらかが無理をして遅くまで起きている(もしくは早起きをす る)」必要がある。このような状況を受け、アメリカの多くの企業は同じタイムゾーンにある中南米に注目し、欧州企業は東欧の開発拠点を活用する動きが出て いるようだ。
日本企業を振り返ってみるとどうだろう。同じタイムゾーンの中での最大のエンジニア輩出国はご存じのとおり中国 で、時差もわずか1時間である。中国が漢字圏における最大のエンジニア輩出国である一方、最大の英語人材輩出国はインドだが、日本―インド(成田―ニュー デリー)間の移動には9時間かかり、時差は3.5時間ある。だが移動時間がその半分で、日本との時差も中国と同じく1時間という英語圏がある――。それが フィリピンだ。
■フィリピンのITエンジニアは、高いポテンシャルを持っている
国際情報化協力センター 情報調査部の保谷秀雄部長は「アジアの中でインドと並び英語が使われているフィリピンでは、政府の雇用対策の一環で3~4年前からIT産業、特にコールセ ンターやBPO(Business Process Outsourcing) 市場が急成長している。これらの市場で現在23万人が働いている」と語る。フィリピンのソフトウェア企業400社のうち300社以上は輸出志向企業で、 フィリピンの人材も英語能力の高さや優秀さで世界的に注目されている。すでにシンガポールやマレーシアなど各国で雇活躍しているが、同氏によると最近では インドやロシアの企業がフィリピンの人材に注目し始めているという。
では、日本企業との関係はどうか。フィリピンの日本向けソ フトウェア輸出志向企業は40社ほど。フィリピンソフトウェア産業協会(PSIA)の中には日本市場グループができ、今後積極的に日本企業に対してアピー ルをしていきたいという考えのようだ。保谷部長によると「受注活動をスムーズに行うためには、さまざまな活動を通じて日本企業が持つフィリピンのイメージ を高めることが重要」という。
「現地の方々はホスピタリティにあふれ、コミュニケーション能力が高い。日本企業との親和性でいうと、アジアの中でも非常に高い部類だ」 (国際情報化協力センター 主任研究員 浅井知子氏)
技術スキルのみならず、文化的な親和性(カルチャーフィット)とのバランスも考えると、日本企業はフィリピンのITエンジニアにとって働きやすい環境であるといえる。
■フィリピン人エンジニアの動向
実際に現地ITエンジニアの動向を見てみよう。東南アジア8カ国で計500万人以上の登録者を持つジョブストリート・ドット・コムは、フィリピンで最大の就職・転職サイトである。同社のデータを見るとフィリピンで登録しているITエンジニアの合計(ソフトウェア技術者、アドミニストレータ、ハードウェア技術者)は12万6289人であり、同国における登録者全体の7.4%を占めている。
| フィリピンで登録した人 | |
| (人) | (%) |
ジョブストリート・ドット・コムの登録数 | 170万5234 | |
IT技術者合計 | 12万6289 | 7.4 |
ソフトウェア技術者 | 5万8838 | 3.5 |
ネットワーク・システム・DBアドミニストレーター | 4万89 | 2.4 |
コンピュータハードウェア技術者 | 2万7362 | 1.6 |
ジョブストリート・ドット・コムのフィリピンで登録しているITエンジニアの合計 (出典:ジョブストリート 2008年5月調べ) |
上記12万6289人のITエンジニアのうち工学および数学・物理学の専攻者は10万3674人で、IT技術者全体の82%にも上っている。日本では文系 出身のITエンジニアが多いが、フィリピンの場合はエンジニアリングやサイエンスのバックグラウンドを持つ理工系人材がITエンジニアになっていることも 特徴といえるだろう。
日本で働くフィリピン人ITエンジニアの現状
日本企業は高ポテンシャル層を中心に海外のITエンジニアを積極採用し、国内には3万5000人を超える外国人ITエンジニアがいる。在日フィリピン人ITエンジニアの現状を見てみる。フィリピン人ITエンジニアの採用実績がある、先に紹介したジョブストリートの日本法人の菱垣雄介社長に話を聞いた。同社はフィリピンから累計で約90人のITエンジニアを採用している実績がある(主要な分野はファームウェア開発)。
小平 「フィリピンのITエンジニアを日本企業に派遣し始めた経緯を教えてください」
菱垣氏 「東南アジアの人々に、より深い業務経験を得てほしいとの考えから、東南アジアで採用し、日本国内で雇用するという事業を始めました。当初はハードウェア の品質管理業務も行っていましたが、徐々にソフトウェア開発分野へ派遣業務の比重を高めていきました。フィリピンを選んだのは、日本との交通時間が短かっ たことが最大の理由でした。
もちろん、大学進学率が高く、大卒者採用が行いやすいこと、IT産業が発達していることも背景としてありました。また、豊富な人材を持つ割に国内産業は成長途上なので、現地の有能な人材は『チャンスが限られている』という問題意識を持っていました。」
小平 「フィリピンのITエンジニアの特徴は何でしょうか」
菱垣氏 「いくつか挙げられますが、まずは背景的なことをご紹介すると、1つ目のキーワードは『国内産業の不在』です。フィリピンの大学進学率は28%で、ベトナ ムの10%、インドネシアの17%と比べると東南アジアの中ではとても高いのですが、国内産業の発展がこれからなので、上流工程に対応できるエンジニアが 少ないのです。
当社で行う面接の選考結果を見ても、特に電子回路系は、自分で実践的に回路を理解し設計できるような人は あまりいませんでした。また、ファームウェア系といっても、ユーザーインターフェイスなどハードウェアの知識が要求されない業務に従事している人が大半を 占めています。インターネット関連のソフトウェア開発エンジニアにしても、小規模なシステム構築経験しかないのが普通です。
現在のフィリピンでは、新しい回路や機構を開発するという産業はまだありません。産業がないところでは、経験も得られない。知識と意欲がありながらも、業務経験を積む機会に恵まれていない、という状況なのです」
小平 「なるほど。高い大学進学率を誇りながら、卒業後国内産業で力を発揮する機会自体が少ないわけですね」
菱垣氏 「そのとおりです。2つ目は『キャリアパスの不在』です。現在のフィリピンのIT産業は、中国やインドとは異なりオンサイト-オフショア、上流-下流など の軸で描けるようなキャリアパスはまだありません。例えば、フィリピン国内のソフトウェア技術者は、収入の変動が非常に激しいものの、平均すれば500ド ル程度の月収をシーリング(上限)とした業務にとどまることが多いのです。技術的にも収入的にもその上を目指そうとすれば、シンガポール、アメリカ、ヨー ロッパといった場所での業務に挑戦する必要があります」
なお、フィリピンの方の多くは、非常にフレンドリーで、日本 人だけでなくほかの国の人々とも親和性が高いといえると思います。分かりやすい例を挙げると、フィリピン人の医者(メディカル・ドクター)が他国に行きお 手伝いさんや介護士をする、というホスピタリティが高い精神性は、フィリピン以外の国ではちょっと想像ができないですね。
その一方で、柔軟性が高過ぎるというか、物事を自分の都合の良いように解釈してしまうことがあります。自分たちに課すハードルや、業務に求められる必要条件の設定を勝手に低くしがちであるという面が一部ではあるのです」
小平 「ところで、語学の話になるのですが、フィリピンには英語によるコミュニケーション力のポテンシャルの高さを感じますが、日本語運用能力はどの程度なのでしょうか」
菱垣氏 「現地でジョブストリートに登録しているITエンジニア12万6289人のうち、日本語を業務レベルで習得している、と自己申告している人は174人で、 全体の0.1%にすぎないのです。実は、これはフィリピンに限った話ではなく、当社が展開しているアジア8カ国全体にいえます。これがアジアまたは世界の 中での『日本語の地位の現実』なのです。従って、日本企業が、“技術力+やる気”のある人材と一緒に仕事をしたければ、そのための受け入れ環境を整えるこ と、日本語教育制度の充実などが不可欠になります」
今回出てきたフィリピンに関する5つのポイントを、以下にまとめる。
その1:フィリピンは日本から近く、ほぼ同じタイムゾーンに位置している
その2:フィリピン人はホスピタリティがあり、コミュニケーション能力が高い
その3:フィリピンは英語人材が豊富
その4:フィリピンのITエンジニアは理工系の高等教育を受けている
その5:フィリピンの国内産業は発展途上段階であるため、ITエンジニアが上流工程などのキャリアを考える場合、海外勤務を選ぶことが多い
日本人ITエンジニアはいなくなる? バックナンバー
- 第1回 海外のエンジニアは脅威か
- 第2回 優秀な人材に見向きもされない日本企業
- 第3回 国内で活躍する海外ITエンジニアの最終目標
- 第4回 中国人ブリッジSEのキャリアパス
- 第5回 インド系企業の多国籍チームから何を学ぶか
- 第6回 日本市場攻略で一丸となる大連市と現地IT企業
- 第7回 海外エンジニアとの日本語コミュニケーション術
- 第8回 日本のITエンジニアに足りないもの
- 第9回 IBMのPC事業売却がエンジニアにもたらすもの
- 第10回 日本企業を囲む「内定辞退の壁」
- 第11回 スピードとチャレンジに欠ける日本のIT業界
- 第12回 上海の採用担当者が見た日本人ITエンジニア
- 第13回 日本で働く海外ITエンジニアの悩み
- 第14回 中国での面接事例から学べるテクニック
- 第15回 ITエンジニアこそ、日本最大の資源
- 第16回 中国初体験のITエンジニアが語る日本との違い
- 第17回 日本人ITエンジニアがインドで学ぶ理由
- 第18回 「フラット化する世界」のキャリア形成を考える
- 第19回 ITエンジニア獲得競争に勝つ地域、負ける地域
- 第20回 異端か? 日本人ITエンジニア
- 第21回 「ミステリアス」な日本に求められる“力”とは
- 第22回 中国・インド・ベトナムの理工系人材を徹底比較
- 第23回 アメリカ人ITエンジニアもいなくなる
- 第24回 中国とインド、進むIT業界の「相互乗り入れ」
- 第25回 「戦わずして勝つ」。戦略のプロに学ぶ自分戦略
- 第26回 海外の活力を取り込む4つのポイント
- 第27回 松下電器産業の社名変更に見るグローバル戦略
- 第28回 外交のプロに学ぶ、自分を「伝える力」
- 第29回 日本人が知らないフィリピン系ITエンジニアの実力
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