「パラダイス鎖国」という造語がある。住み心地のよい「パラダイス」のような日本に閉じこもって「鎖国」のような状態になることを指している。特に 若い方々が海外への興味を失って,海外旅行に行かなくなったり,海外勤務を避ける傾向にあるという。さらには,同じような傾向が日本の製造業にも蔓延して いて,そこそこ大きな規模の日本市場に閉じこもって国際市場での競争力を下げていることにつながっているとする。
名付け親は,日本の自動車メーカーに勤務後,米国に留学して今はシリコンバレーに住んでいる海部美知氏で,『パラダイス鎖国~忘れられた大国・日本』(ア スキー新書)という本を出されている。海部氏は2005年に日本に一時帰国した際に,「日本は,誰も強制していないけれど,住み心地のいい自国に自発的に 閉じこもる『パラダイス鎖国』になってしまったのではないか」(本書p.003~004)と感じたという。これを同氏のブログに書いたところ反響があった ために,一冊の本にまとめたそうである。
ということで,かなり有名な言葉のようであるが,筆者は最近まで知らなかった。ある賞の事務局的な仕事をしている関係で,複数の審査委員の方か ら,「過去の成功体験にあぐらをかいて諸外国との切磋琢磨を忘れることの危険性を指摘している」,「海外から日本を見る目を活かして鎖国状態から脱却する ための処方箋を示している」といった推薦コメントを頂いたので,遅ればせながら一読した次第である。
海外より温泉
同書を読んで筆者がまず考えさせられたのが,20代の若者の海外旅行熱が冷めているというくだりだ。海外より日本の温泉に行く方が面白いと考える若者が増えているのだそうだ。
それに対して,著者である海部氏の学生時代は,「アルバイトでお金を溜め,バックパックを背負って,ヨーロッパやインドを学生旅行してまわった。 80年代前後のことである。私だけでなく,多くの日本人が,急に身近になった『海外旅行』に興奮した時代だった」(p.014)という。
そういえば,筆者も学生時代の70年代後半にアジアからヨーロッパにかけて放浪した口である。筆者や筆者の友人たちの直接の目的はヒマラヤであったが(そのあたりについて書いた以前のコラム),山に行くためには「下界」を通らざるを得ず,そのうちにそこに住む人々や日本とはあまりに違う生活スタイルなどに興味をそそられた。
身近になった「海外」
「海外」に興奮した30年前の若者と,「海外」に醒めている現代の若者との間にある違いは何なのだろうか。
一つ考えられるのは,30年前と現代では,貧乏旅行するための情報量が違うということである。現代は,安宿や陸路のルートなどを懇切丁寧に開設し たガイドブックがあり,本屋に行けばおびただしい旅行記や滞在記が並んでいて,さらにはインターネットでも情報が入る。インドでも東南アジアでも比較的気 軽に行けるようになった。
貧乏旅行者向けのガイドブックの定番は『地球の歩き方』だと思うが,同ガイドブックが創刊したのが1979年で米国編からスタートした。インド編が創刊されたのは1984年のことであった。同書は「バックパッカーの絶大な支持を得た」ということなので,若者がインドを旅行するためのハードルを低くしたのは確かなようだ。
『アジアを歩く』と『地球の歩き方』
筆者が70年代後半にインドを初めて旅行した際には,まだ『地球の歩き方』はなかった。で,何を頼りに旅行したかというと,行こうとする国に旅行 した経験のある人に直接聞くことが一番確実だった。特に,その国または隣接する国の安宿に泊まると,日本人または欧米人の貧乏旅行者がたむろしていたので 情報収集した。それと,しいて挙げると『アジアを歩く』(深井聰男著,山と渓谷社,1974年初版)というガイドブックがあった。
本棚の片隅で埃をかぶっていた同書を久しぶりに引っ張り出してみた。なぜか捨てられなかったのである。表紙の文字はかすれて消え,紙は黄色く変色 しているが,パラパラと眺めていると,カルカッタの街角で眼光鋭くこちらをうかがうリキシャのおやじの顔や,イスタンブールの橋から見た夕陽がゆっくりと 海峡に落ちてゆく光景が蘇ってくるようだ。
同書は,新書版よりやや大きい版形の226ページの中に,ギリシャ,トルコから西アジア,南アジア,東南アジアまで当時通行できたアジア諸国の安 宿や陸路ルートの情報をすべて収めている。記述はよく言えば簡潔,悪く言えばぶっきらぼうだ。情報量としても少なく,古くて使えないものも多かったが,貧 乏旅行者向けのガイドブックは筆者が知る限りこれしかなかった。皆,この情報をベースとしつつ,口コミの情報を自分なりに追加して,なんとか旅行してい た。
対象との距離が短い一人旅
そして,筆者にとっては同書はガイドブックというよりは,著者の深井氏がところどころに書く,旅行の心構えのような文章に「旅心」をかきたてられたものであった。例えば,「まえがき」の中からいくつかピックアップしてみよう。
目的を持った瞬間に旅はその個性と自由さを失い,単なる仕事になり下がってしまう。特に本書で触れるような未知の世界では,旅の可能性はほぼ無限に近く,出発前に明確な日程や目的を作って自らの旅を規制することは得策とは思えない。
このアジアの陸路の旅はできればひとりで行くことをすすめたい。何故なら一人旅は自分と対象の間に距離を置かせない。現実がそのまま旅人の目,耳,心に侵入し,予測できない感動を与えてくれる。
「弱々しい小鳥」
しかし,一人旅をすすめる深井氏は次のようにも書くのである(p.23)。
さらに例えば,カルカッタの項にはこんな文章まである(p.155)。
強盗にあって「どうということもない」という精神状況に果たしてなれるものなのか,筆者らは不安に駆られつつもこのガイドブックを握り締めてイン ドに向かったのだった(なお筆者は実際に70年代後半にインド・ネパール・パキスタンを数カ月にわたって旅した際,泥棒や換金詐欺には何回か遭ったもの の,強盗には幸いにして遭遇しなかった)。
『なんでも見てやろう』
当時を思い返してみて,このガイドブック以外で筆者らの世代の海外への「旅心」を刺激した本としては,小田実氏の『なんでも見てやろう』の影響が 大きかったように思う。今手元にこの本がないので詳しく紹介はできないが,筆者が当時この本を読んで印象的だったシーンが二つある。一つは,小田氏が確か 米国のハワイに行った際のことで,夜中に道路清掃車が走り,ホテルの部屋では熱いお湯が際限なく出てくる様に圧倒的な豊かさを実感するシーン。もう一つ は,インドのカルカッタである事情で路上で寝る羽目になり,路上生活者の生活に触れて衝撃を受けるシーンである。
片や圧倒的な豊かさと生活水準の高い世界,片や圧倒的に生活水準の低い世界---。一見,まったく違うものであるが,旅行者にとっては共通点があ る。日本では経験できない未知の世界であったということだ。当時の若者は,少ない情報の中から,未知の世界に思いを馳せ,未知の中に何か面白い「発見」が あるだろうと期待して旅に出た。
「差異」が好奇心を刺激する
ということは,海外に対する興味が増すのは,「日本」と「海外」の間に大きな差異を感じて,好奇心を刺激するからであろう。
現代の若者が海外に興味をなくし,海外旅行に行かなくなっているとしたら,日本と外国との差異が縮まってきたということが考えられる。その一つは,先述 したように『地球の歩き方』などガイドブックが充実し,その後,藤原新也氏の『全東洋街道』や沢木耕太郎氏の『深夜特急』など優れた旅行記が出版されて, アジアの旅行情報が比較的手に入りやすくなったことが関係していると思われる。もちろん,こうした情報に刺激されて旅行に行く方もいるとは思うが,ベール に包まれた未知のものに対する憧れが掻き立てられるということは少なくなってきた。つまり,情報量が増えて,身近になったことが,かえって海外に行こうと する意欲をなくす原因になっている可能性がある。
グローバル化が「差異」をなくす
加えて考えられるのは,いわゆるグローバル化によって,世界各地の文化に根ざした差異そのものがなくなってきていることだ。
実は筆者は今年1月,ほぼ30年ぶりにインドを再訪したが,なにより驚いたのが,コカコーラやケンタッキーフライドチキンを堂々と売っていたことであった(これについて書いた以前のコラム)。インドがそれまでの鎖国的な社会主義的自立経済を改め,外資企業の参入規制を緩和し,輸出入の自由化を推進したのが1991年だが,それ以来自動車メーカーはじめ外資系企業が参入し,インドの街にはこれまではまったくなかった外国製品があふれることになった。
旅行者の目から見たら,日本でも欧米でもどこにでもある外国製品が増えること,それらの製品にあった道路や町並みに変わっていくこと,さらには外 国製品を使った生活様式に変わっていくことは,「差異」の縮小であり,好奇心を減退させる。筆者自身,近年アジアの大都市に出張などで短期間滞在しても, 一見するとどこも「小さな東京」のような感じに思え,昔のような「旅心」を刺激されることは少なくなった。現代の若者が,異質な存在としての海外に興奮す ることがなくなり,「どうせ同じようなものだったらより快適な日本でいいや」,という気持ちになるのも当然の成り行きのようにも思うのである。
「海外離れ」と「競争力低下」の関係
さて,問題なのは,こうした若者の海外旅行離れの現象と,日本の産業界,特に携帯電話機などの電機産業が90年代に入ってグローバル化の波に乗れ ずに競争力を下げてきた現象の背景には,同じ「パラダイス鎖国」という「メカニズム」が働いているかどうかである。だとしたら,日本の将来のためにも,若 者にもう一度海外に目を向いてもらうようにもっていくことが必要であろう。
ただ,『パラダイス鎖国』の著者である海部氏は,これは若者たち自身の問題ではないとして,次のように書いている(同書p.59)
日本が豊かな先進国になって,海外へのあこがれがなくなったのは,抗いがたい時代の流れである。ま た,日本を代表する企業が新しいグローバル化の公式を見つけられないというのも,時代の流れである。こうした状況のために企業のインセンティブ・システム が混乱をきたし,『リスクや苦労を背負っても海外で仕事をしたい』と思う若い人が減っているとしたら,若い人たちを責めることはできない。産業のコスト構 造と,海外事業のビジネスモデルはガッツや根性だけで変えられるものでない「ゆるやかな開国」
では,どうしたらよいのか。「対策編」として海部氏が挙げているのは,Web2.0などのITを使った「ゆるやかな開国」である。そのイメージは,「情 報と人のつながりである『クラスター』が日本全国から世界へと広がれば,より多様で質のよい情報が入ってくるようになる。以前のような,河岸の格差をベー スにした海外へのあこがれでなく,自分の興味に基づいてグローバルに活動を広げれば,自然に海外との広がりができる」(p.99)というものである。
海部氏は続けて,その「開国の中味」としては,世界市場で「ジャパンブランド」を維持するために「常にイノベーションを起こし,最先端の技術を生 み出し,時代を先取りしたサービスや製品を作り,世界市場で効果的に販売することで,コスト競争力のある新興工業国やBRICs諸国と差別化を図っていく こと以外にない」(p.100)とする。
筆者のWeb2.0に対する理解が足りないためだと思うが,「ゆるやかな開国」と「ジャパンブランドの維持」が,どうつながっていくのか今ひとつ 分からなかったが,今後のイノベーションのあり方として,国と国の間にある差異を利用するのではなく,グローバルな協業による差異の創出が重要なるという 指摘は重要だと思った。
「小さな差異」に対する感受性?
ただ一方で,逆に考えてしまったのは,ITがグローバル化を加速して差異が飽和していくにしても,今現在の製造業の競争力を考えたときに は,BRICsなどがまだ先進国ほどには飽和状態にない点に注目すべきではないか,ということである。これまでのように誰が見ても大きな差異を利用するの ではなく,一見気がつかないような,いわば「小さな差異」に対する感受性を高める必要があるのではなかろうか,という気がした。
例えば筆者はシンガポールに比較的長期間滞在していたことがあるが,一見して東京と変わらない大都会に見える街も,ちょっと裏道に入れば昔ながら の雰囲気を残しているところがある。シンガポールが昔から持っていた独自の「文化」とグローバル化により均質化したものが複合し折り合いをつけながら発展 してきているのである。「独自のもの」と「均質化するもの」を見分ける精度を高めるといったらよいだろうか。
また,アジア諸国で旅行者が観察する「差異の減少」の現象の中に,アジア諸国が保護主義的な政策を転換し,グローバル化の流れの中に組み込まれて 大きく動き始めたダイナミズムを感じるという興味の持ち方もできるのではないか。その波は,韓国・台湾などのNIEs諸国からおこり,東南アジア諸国を飲 み込み,さらにインドなどBRICsにも押し寄せている。差異が埋まっていくダイナミックな過程を見るというのは案外「面白い」ことかもしれない。
「差異の縮小」と「競争力低下」の関係
さらに,筆者が考えてみたのは,こうした海外旅行者から見た「差異の縮小」という現象と,90年代に入って日本の電機産業が競争力を下げた現象には,何らかの類似性があるのではいか,ということである。
90年代に入って,日本の電機産業が厳しい状況になった理由としては様々な解釈があるが,個々の企業の戦略という視点でみた場合,この連載コラム の中でも何回か触れてきたように,エレクトロニクス産業のアーキテクチャがグローバルなレベルでモジュラー型(インターフェースなどが標準化された部品・ モジュールを組み合わせて製造する方式)に転換していったのに対して,日本自身は旧来のやり方(擦り合わせ型に向いた組織能力)でモノを作っている(い た)ことが大きいと考えられる。
それは例えば,製品を構成する部品をすべてカスタマイズして「完璧な差異化」で勝負していたのが,徐々に標準部品・モジュールの比率が高くなって きて「部分的な差異化」をせざるを得ない現象ではないかと思う。そこに,30年前の旅行者が日本と海外の大きな「差異」に感激していたのが,徐々に均質化 する部分が増えて「差異」が小さくなってきて興味を失った状況に近いものを感じるのである。
「違うところ」と「同じところ」
製品やプロセスがモジュラー化した状況の中で競争力を上げるにはプラットフォーム型のビジネスモデルを構築する必要がある。本稿ではこの点については詳しく触れないが(興味があればこれまでのコラム1,コラム2,コラム3など参照),本稿のこれまでの文脈から言うと,製品に「小さな差異」つまり「他社と違うところ」と,「均質化したもの」つまり「同じところ」のメリハリをつける戦略が重要になる。「違うところ」で製品の付加価値を上げ,「同じところ」でコストダウンを図る。
「違うところ」の意味は二つあると思われる。一つはプラットフォームの内部に技術ノウハウをブラックボックスとして組み込むことと,もう一つは顧客のニーズに合わせて必要なところだけカスタマイズすることである。
そして,後者の顧客ニーズを把握するために必要なのが,これからの成長市場であるBRICs諸国の生の姿を見ることだ。これからの日本を担う若者 がこれらの国を旅行して,グローバル化によって均質化していく中で,各国ごとの「小さな差異」を感じることが,今後の日本の製造業にとっても大切なことで はないかと思う。
「貧困」を肌で感じる意味
最後に,海外を旅行することの意味として考えてみたいのが,これまで見てきた「好奇心」や「面白い」という表現からはやや外れるが,アジアやアフリカ諸国に存在する「貧困」を肌で感じることである。
筆者は,小田実氏が『何でも見てやろう』で描いた,1950年代に見たカルカッタの路上生活者の様子に驚いた。そして自ら70年代にカルカッタを訪れ, 病気の方や子供までも含む路上生活者の様子や橋の下に折り重なるように寝ていた難民の方々を目の当たりにして衝撃を受けた。さらに,今年1月にニューデ リーを数日訪れただけでも,路上で大道芸をする少女や展示会場でリサイクル品を収集する少年など,依然として存在する貧困に息を飲む思いだった。
ただ,30年前にはこの絶対的な貧困がはたして解消していくのかどうか可能性すら感じなかったが,現代のインドはそこから抜け出せる光が見えてきたようにも思った。
例えば,インドのTata Motors社が今年発売する予定の28万円カー「nano」である。Tata社がインド市場に合った独自の工夫を加え,開発には世界の部品メーカーがグ ローバルに参加することによって,画期的な低価格と一定の品質を達成したが,一方でインド国内では貧困問題を解決する一つのアイデアを提示するものとして 注目されている。Tata社は部品キットを供給し,インド全土で企業家を育成し,自動車を核とした産業を根付かせようとしているのである。「これが富を (インド全土に)行き渡らせるアイデアだ」(That is my idea of dispersing of wealth.=THE TIMES OF INDIA 1月11日付け)とTata氏は語っている(関連記事)
今後,アジア,さらにはアフリカなど後進国の「貧困」をどうしていくのかが,先進国にいる人間にも問われていく。深刻化する地球環境問題や資源問題を考 えるうえでもこの視点は欠かせないだろう。まだ世間のしがらみにそれほどとらわれていない若者が,同じ空間で同じ人間として,海の向こうで貧困にあえぐ人 々に向き合うのは意味のあることだと思うのである。
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