◇日伯学園園長・戸澤江梨香さん(41)
病院で「おなかが痛い」とさえ日本語で言えない子どもたち。「日本で暮らすなら日本語は必要」と01年、ブラジル人教師の反対を押し切り、日本語の授業を毎日始めた。
当時、群馬県大泉町のブラジル人学校「日伯学園」では、ポルトガル語で授業し、地域との接点も断っていた。
「子どもたちがブラジルに戻るときに、母国語が話せなくならないように」と、ポルトガル語を重視する学校は少なくない。だが、出稼ぎのつもりで来日した両親が定住する傾向が増えてきた今、日本社会に溶け込めない子どもたちをつくり出している。
戸澤さんは祖母に連れられ7歳で来日。日本とブラジルを行き来し、言葉に苦しんだ。19歳で再来日して東京・丸の内で商社に就職。「ブラジルで日本人として育てられたのに、日本では『外国人』扱い。自分は何者かと悩みました」
大泉町で90年に日伯学園を開いた母親に「学校運営を手伝ってほしい」と頼まれ、「同じ境遇の子のため」と了解した。
現在、学園では3~18歳の日系人の子ども約210人が学ぶ。戸澤さんは「母語のポルトガル語と両方身につければ、自信になる。日本社会にも貢献する大人に育ってほしい」と話す。地域になじもうと、ボランティア活動への参加や日本の小中学校との交流も行う。
今月から、私立通信制高校と提携し授業する異例の取り組みを始める。修了すれば、日本の高校卒業資格が取れる。「将来は日本の子どもも一緒に学べる学校にしたい」 【桐野耕一】=つづく
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「日本語を忘れないように」と願う祖母に連れられ74年来日。小学6年で帰国。ブラジルで中高に通い、85年に再来日した。01年から園長。
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