大型バスから降り立った101人は、だれもかれも同じ紺色の背広に赤い野球帽をかぶっていた。
吉林省劉朴村からは村長(前列左から3人目)以下20人が研修に来た=長野県川上村、筋野健太撮影 |
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船からカツオを運び出すインドネシア人(左と奥の2人)。作業は2時間以上続いた=宮崎県南郷町、筋野健太撮影 |
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高原レタス生産量日本一を誇る長野県川上村に、4月9日から3日続けてそんな一行が到着した。全員が中国東北部・吉林省の農民だ。今月下旬までに計615人。これから11月まで、人口4800人の村に仮住まいし、農業研修生として信州野菜を育てる。
「お母さん、おはようございます」。到着の翌朝、レタス農家の女性(62)に、楊光さん(23)と王凰竜さん(21)があいさつした。覚えたての日本語だ。
驚いたことに今年の2人はいきなり日本名を名乗った。「片岡と呼んでください」と楊さん。王さんも「私は佐藤です」。中国の送り出し機関が、日本人が呼びやすいよう今年から研修生一人ひとりに日本名をあてがったという。曲さんは谷口さんに、宋さんは新美さんになった。
研修生は1農家2人まで。楊さんと王さんの住まいは改装したカラオケボックスだ。4畳半大にベッド二つと小机が並び、プレハブの台所兼食堂もある。「少し狭いけど、電化製品もひと通りそろっていて快適」と楊さん。
2人とも実家はトウモロコシ農家で、年収は1万元(約15万円)ほど。地元当局の出稼ぎ奨励広告を見て、7カ月働くだけで年収の4倍と知り、長野行きを決めた。
語学や生活習慣の研修後、畑に出る。春はレタスの苗を植え、夏の間は収穫に追われる。秋はハクサイだ。
研修生に支払われる手当は月々8万5千円。時給換算すると約530円。長野県の最低賃金669円以下だが、7カ月で帰国する彼ら研修生には最低賃金法は適用されず、合法的な額だ。ほかに受け入れ農家は、研修生の渡航費や光熱費、米代も負担する。
20年ほど前まで、農繁期の川上村には若い日本人があふれた。日当6500円に残業代を含め1万円、3食付きで宿泊代もタダ――。そんな募集広告を「フロムA」など求人誌に載せれば、大学生や高校生が押しかけた。
それが十数年前から、働き手不足に陥った。農家の伊藤嘉武さん(63)は「求人を出しても日本人が集まらねえ。来ても3日ともたずに逃げ出すようになっ た」と嘆く。腰をかがめての植え付け、未明から始まる収穫、重い箱の運搬。実入りはよくても、きつい仕事が嫌われるようになった。
日本人アルバイトが減って、まず村に現れたのはイラン人やインドネシア人たち。レタスの収穫作業が始まる午前2時ごろ、農家に姿を見せては「シゴト、手伝います」と懇願して回った。
だが就労資格が不安定だった。昨年と一昨年でインドネシア人やスリランカ人ら計約30人が東京入国管理局と長野県警に拘束された。ビザが切れていた。
中国人受け入れは4年前から。最初は48人で、順調に増えたが、一昨年、研修生の深夜労働は法令に触れると入管から指摘された。農家は頭 を抱えた。収穫期には未明から働かせて残業代を支払っていたからだ。「300時間まで残業をさせてあげてと最初の説明会で言われた。忙しい時に使えて、研 修生も残業代に大喜びだったのに」。計15万円の残業代を支払ってきた農家の女性(59)は残念がる。
地元JAなどが相次いで受け入れ資格を停止された。代わって、研修生を受け入れるため、約200戸の農家が村農林業振興事業協同組合を 設立した。「中国人研修生はもはや欠かせない労働力。お金は多めに払ってでも日本人を雇いたいが、日本人はもう来てくれない」と組合の佐原吉平理事長 (64)は話す。
食料の自給率が39%まで落ちた日本。中国製食品への不信が広がる一方、日本の自給の現場はいまや中国人頼みになりつつある。外国人に依存する「農」や「漁」の現場を訪ねた。
■カツオ漁にインドネシア人
宮崎県南郷町の目井津(めいつ)漁港を訪ねた。長野県川上村がレタス日本一なら、近海カツオ一本釣り漁では、南郷町が漁獲日本一と聞いたからだ。
カツオの水揚げ作業に立ち合った。ここでは若い日本人の不足を補うように、インドネシア人たちが働いていた。
4月7日午前2時半、5日間のカツオ漁を終えた第28一丸が戻ってきた。乗組員20人のうち6人がインドネシアからの研修生と実習生だ。
6人は交代で深さ2メートルの魚槽に足から入り、1匹3~15キロのカツオをしゃがんでは甲板上に持ち上げる。つらい作業が釣果6トンをすべて水揚げするまで2時間以上続いた。
「キツイ仕事、私たちが交代でやる。日本人やらない。でも船の日本人、みんな先輩だから仕方ないよ」。3年目の実習生(22)はそう話す。エサとなるイワシの片付け、カツオの血の散った甲板の清掃、食事後の食器洗いが仕事だという。
毎朝日の出の15分前には起床する。カツオの群れと遭遇すると、全員が甲板に出てサオを垂らすが、1年目はエサ運びだ。釣りに加われるのは2年目からだ。
南郷町は93年、漁業分野でいち早く外国人研修生の受け入れを始めた。漁師のなり手が激減したからだ。80年に2874人いた漁師はいま4分の1に。漁師の平均年齢は55歳まで上がった。
当初の2年はフィリピンから受け入れた。しかし、失跡事件が続き、漁協も役場も懲りた。以後はインドネシアの水産高校の卒業生に絞った。みんな20歳前後で、いま町内に161人もいる。
水産高校で航海は経験ずみのはずだが、1年生は最初の2、3航海の間、きまって船酔いで七転八倒する。穏やかなインドネシアの海と違って日本近海は波が荒い。
スミントさん(21)は「ミント」、コシムさん(21)は「シム」と名乗った。来日前から日本人が呼びやすいあだ名が付いている。2人の 実家は米農家で月収は1万2千円ほど。手当は1年目が月4万円。2年目が7万円、3年目が8万円だ。2人は半年ごとに10万円ほど送金する。コシムさんは 「国に帰っても漁業の勉強を続けたい」と話した。農業より漁業の方が稼げるそうだ。
出港の前日、6人が共同生活する部屋を訪ねた。最新の携帯ゲーム機とポータブルDVDプレーヤーが新鮮だった。カツオ漁では1年の大半を洋上で過ごす。ゲームと映画や日本のドラマを見るのが船上での楽しみだという。
3年目の実習生のジュナエリさん(22)の呼び名はジュナだ。「日本の船のGPS(全地球測位システム)やエンジンの技術はすごい。もっとお金もほしいし、船のハイテク機器のことも吸収したい」。漁の途中、富士山は見たが、東京や大阪にも行ってみたいと話す。
いま、燃油の高騰が漁村を直撃している。1リットル30円台だった重油がここ4年で80円台に突入。カツオの北上に応じて北へ移動するカツオ船は年に重油約1千キロリットルを消費し、コストは約5千万円も上がった。なのにカツオ単価は横ばいで、漁船側にしわ寄せが来る。
ある船主によると、大半のカツオ漁船の乗組員の給与は、利益を乗組員の数で割って決まる。インドネシア人は対象となる人数には入らず、その分、日本人の収入が確保できているという。彼らがいないと、燃料費がかさむ近海カツオ漁の経営はすでに立ち行かなくなりつつある。
町職員時代、受け入れに奔走した阪元勝久南郷町長(65)は言う。「若い人がいなくなる中この制度には助けられた。雇用の問題は地方では切実。企業が来てくれないと、若い人の職はなく定住はしない。豊かな自然だけでは生きられないんですよ」
日本一のレタスとカツオの生産現場を歩き、外国人に頼らざるを得ない現実を見た。農林水産省の掲げる7年後の食料自給率45%という数字 がはるか遠くに思える。就農対策を担う同省経営局の田中誠二参事官は「外国人への依存が固定化すると、外交関係の悪化などで急に人手が確保できなくなった 時に生産が立ち行かなくなる」と危機感を募らせる。
国内の39歳以下の新規就農者数は年間約1万1千人。農業分野で急増する外国人研修生は06年で7496人。次代を担う就農人口で外国人に追い抜かれるのは、もう時間の問題だ。●●コメント●●
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