■シリーズ・「働く」 第2部■
熊本市にある築40年、2Kの木造アパート。6畳間の窓には、カーテンの代わりにタオルケットが掛けられている。あとは小さなテレビ、こたつ、スチール棚。20代女性3人の部屋にしては物寂しいが、「あそこと比べれば、天国です」と谷美娟さん(20)は言う。
外国人研修・技能実習生として来日したのは、18歳だった2006年4月。昨年8月まで暮らした熊本県天草市の縫製工場の寮は、2段ベッドしかなかっ た。そこで中国人女性12人が寝起きし、狭い風呂は1人ずつ交代で使用。外出が許されたのは、2週間に1度の買い出しだけだった。
会社倒産後の昨年9月、一時移された別の寮から、同僚5人と着の身着のまま逃げ出した。一緒に持ってきた私物の手帳に、1年5カ月間の勤務時間が記してある。
《8月3日(木)8時半-23時▽4日(金)8時半-24時▽5日(土)8時半-1時▽6日(日)9時半-18時半》
終業はおおむね午後10時。休日は月に1、2日。それで月給は約6万円。1日8時間で計算しても、時給は約250円。同県の最低賃金620円の半分以下だ。
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「給料が高い」「寮は2人部屋」「帰国後に家を建てた人もいる」。中国・青島市の農家に生まれた谷さんは、中卒で地元縫製工場で働いていたとき、日本で 働いた経験のある知人の話を聞き、来日を決めた。1000元(約1万5000円)の月給では、仲介する青島の派遣会社に登録料として払う約4万元は賄え ず、親せきや親の友人に借金した。
おかしいと思ったのは、青島発のフェリーで下関港(山口県)に着いたとき
だ。迎えに来ていた社長に印鑑とパスポートを取り上げられた。車で天草に着いた後、午後6時から9時まで働いた。
勤めていたのは、地元の日本人6人と、中国人の研修・実習生12人。国内の大手高級下着メーカーなどから請け負った製品をミシンで縫う。中国人に課せら れたノルマは、5人1組で1日700枚だったのが、800枚、1000枚と次第に増えた。縫い目がゆがむと、日本人社員に突き返された。
遅いときは午前3時まで縫った。深夜に寮に戻った後、同僚と手分けして、その日の夕食と翌日の昼食の準備をした。
「ミシンの音が耳から離れない」と同僚が次々不眠症になり、帰国した。自分も原因不明の鼻血が毎日のように出た。休みを求めて中国人全員で2日間のストライキをすると、リーダー格の実習生が強制帰国になった。
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「『日本人と給料が同じなら、中国人を使う必要がない』と会社に言われ、ショックでした」
今年3月14日、熊本市の熊本地裁前。口頭弁論を前に、谷さんはマイクを握った。熊本市のローカルユニオン(地域労組)の支援を受け、同僚3人と昨年12月、会社や外国人研修・技能実習制度を運営する財団法人などに、未払い賃金などの支払いを求める訴訟を起こした。
谷さんは、研修生の残業や、実習生の最低賃金以下での労働が禁止されていることを、最近知った。実習生を酷使する問題が全国で相次いでいることも、知った。
提訴前に熊本労働局が仲介した話し合いの場で「今まで雇った中国人は喜んでくれていた」と語った社長は、裁判で違法労働や劣悪な住環境について否認。全面的に争う構えを見せている。
今は支援者の好意で、アパートの家賃は無料、家具や食料もカンパに頼っている。帰国を促す家族を電話で説得し、日本での裁判を許してもらった。だが来日時の借金はまだ返せていない。
「もう働くのを止めて7カ月。何もしないでいるのが一番つらい」。焦る気持ちは消えない。
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▼外国人研修・技能実習制度
「途上国への技術移転による国際貢献」を目的に、1993年に始まった。日本で1年間の研修、2年間の技能実習を受ける。しかし実際は、人手不足や人件費削減のため、「安い労働力」として単純労働をさせる隠れみのになってきた。
2006年に入国した研修生は、99年の2倍の約9万3000人。06年に不正行為を行った企業などは、過去最高の229に上った。法務省は07年12 月、研修生の残業や、外出の禁止、パスポートの預かり、実習生の最低賃金以下の労働‐などを不法行為と明記した制度の新指針を策定した。
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