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■英才教育を徹底
2月3日、超難関校として名高い開成中(東京都荒川区)の合格発表。上海出身の沈中元(シェン・チョンユワン)さん(41)は、合格者の受験番号を記した掲示板の前で、長男(12)と妻をカメラに収めた。「受かったことに驚きは全くない。きょうはただ確認しに来た感じです」。国立大付属中や他の難関私立中にも合格した。
長男には英才教育を施してきた。沈さんによると、幼稚園児の時には連立方程式を解き、小学生になると中学の教師用の教科書で勉強した。
沈さんは京都大大学院から日本エネルギー経済研究所に入り、課長に相当するグループリーダーを務める。長男は日本で生活を築いていく可能性が高い、と思う。「中国人という生い立ちにはハンディもある。少しでもいい環境と、多くの選択肢をつくってやりたい」
東京都葛飾区に住む唐文栄(タン・ウェンロン)さん(38)は、長男(12)が小学校に上がる時、夫を日本に残して実家の上海に戻り、地元のインターナショナルスクールに4年間通わせた。
きっかけは、長男が幼稚園児の時に始まった「ゆとり教育」。区立小の教科書を見て、薄さと内容にがくぜんとした。長男には米国の大学進学を視野に、幼稚園児の時から英語のテープを聴かせた。日本で私立小に通わせるなら、学費が安く、英語も中国語も学べる上海でと考えた。
唐さんは、小学生だったころの記憶に今も時折うなされる。ストップウオッチを手にした算数の先生が、児童を立たせて1人ずつ20問のドリルを解かせる。時間内にできないと廊下に立たされた。「自分の考えを育てない中国の教育がいいとは全然思わないですよ。でも、就職も競争、結婚だって競争。競争のない人生はない」
■学歴至上にためらいも 東京都内の王鳳英(ワン・フォンイン)さん(45)は毎日、長男(10)が塾や学校で習う内容を、一つ一つ中国語に訳して問題集の余白に書き込み、暗記させてきた。長男は王さんの仕事の都合で4歳からの3年間、北京で育った。「この子には言葉の壁もある。先生の話を本当に理解しているのかどうか」
北京の大学で物理を教えていた王さんは90年、留学した夫の戴昭宇(タイ・チャオユイ)さん(46)を追って来日。日本では長男の勉強のサポートに徹してきた。
「いい大学に入らなければ、人生のパスポートが手に入らない」。その思いのほかにもう一つ、競争に負けられない理由がある。地元の小学校に通っていた長男が2年の時、「学校に行きたくない」と言い始めた。浴びせられた罵声(ば・せい)の意味を、王さんに尋ねることも増えた。学校や教育委員会にも相談したが、納得いく対応が得られず、王さんはこう思うしかなかった。「外国人は自分しか頼れるものがない」
一方、夫の戴さんは、医師として患者と接してきて「人の魅力や幸福は学歴では測れない」と思う。だが「あなたの意見は理想論」という妻の意見も否定できない。「妻と二人三脚で暗中模索です」
日本と中国。双方の教育を体験する中で、自分なりの答えを見いだす人もいる。
川崎市の喬蕾(チアオ・レイ)さんは夫と長男(14)の3人暮らし。長男が小学1年の時に約1年間、実家のある北京の小学校に通わせた。仕事で日本に残った喬さんは、電話で学校の様子を聞くのが日課になった。
中国では、担任が成績や態度の良い児童を様々な「幹部」(委員)に指名する。ある日、長男が「扇風機の担当幹部に指名された。僕にだけ、つけたり消したりする権限があるんだ」と得意そうに話した。「幹部って何をするの」。そう尋ねた喬さんに、長男は「みんなを管理するに決まってるじゃないか」。それを聞いて、喬さんは長男を日本に呼び戻そうと決めた。 「権力を持つことが偉いと思うような人生は送ってほしくなかった」。母国で官僚だった喬さんがいう。長男が通った川崎市立の幼稚園で、全員に交代でいろいろな係を経験させる日本の教育に共感していた。
「世の中にはいろんな一番があることを日本に来て知った」と喬さんは語る。呼び戻した長男が、喜んでゴミ出し係をする姿を見て安心した。(林望)
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出世して、日本でしっかりと生きてほしい。そんな親の思いに応えようと、華人の子供たちが受験で奮戦する。だが、日本の教育になじめない子供たちも非常に多い。いかに対応するか。考える間も、新たに、中国人留学生が続々とやってくる。13億人の隣国から少子化の日本へ若者が流れる構造がある。「在日華人」シリーズ第2部は、教育現場から報告する。(五十川倫義)
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