2009-03-02

看護の志、言葉の壁 でも「頑張ります」 ルポにっぽん

:::引用:::
 東京のベッドタウン・千葉県柏市。千葉・柏たなか病院3階の病棟は昼食の時間。食事を運ぶ運搬車から、煮付けのにおいが廊下に広がる。

 「もう少し食べましょうよー」。女性患者の口に、おかゆをすくったスプーンが運ばれる。「いらないんだもの」としかめっ面の女性の口のすき間に、スッと一さじ。

 「これで最後でーす」

 スプーンを手にニコニコ顔の女性は、頭にイスラム教信者の女性がかぶるスカーフ「ヒジャブ」をつけている。

 ザイニ・ワルダニ・シトルスさん(27)。インドネシアと日本両政府の経済連携協定(EPA)に基づき来日。半年の研修を経て2月から、4人の仲間と一緒に働き始めた。

 インドネシアの看護師資格を持つ。大手病院の救急で2年、サウジアラビアの公立病院で3年働いた。「日本で最新の医療技術を学びたい」とEPAの募集に手を挙げた。

 午前は医療用具の消毒や準備、昼は患者の食事の介助や口のマッサージ。午後は授業。病院が雇った2人の日本語教師が付き添う。

 手術室の隣にある材料室で様子をみせてもらった。

 マスク姿で黙々と、大きなガーゼ布をはさみで切る。作業台で1センチ四方にたたんで、箱にすき間なく並べる。傷口の止血に使うガーゼだ。

 「インドネシアではこういう仕事は誰がしてますか?」と尋ねると、「看護助手です」。

 日本語の先生が、戸棚から手術用具を二つ取り出した。はさみによく似た形だが、先端の形がわずかに違う。「これとこれ、何がどう違うの?」と尋ねる先生に、ザイニさんは日本語で使い方を説明した。ただ「鑷子(せっし)」など名前は知らなかった。「日本語だけの問題なんですよね」と先生。

 病院は、5人のために担当の看護師を2人置いた。日本語の上手な在日インドネシア人も相談相手に呼んだ。

 半年の研修費用なども病院が負担した。5人分で300万円。病院を運営する医療法人社団葵会の加田理恵・理事長補佐は話す。「人手不足を安く補いたいから外国人の看護師を受け入れると思われるのなら心外です」

 5人が、インドネシア料理をふるまってくれるという。夜、敷地内の寮を訪ねた。

 台所にあるテレビの上には、白衣姿でほほえむザイニさんの写真が飾ってあった。左袖にアラビア文字。サウジアラビアの病院で、同僚が撮ってくれたという。

 入国から2週間余で手術室に配属され、内科や外科の病棟へも。注射や薬剤の用意など、仕事は現地の看護師と全く同じ。スタッフや患者とは英語で話していたという。

 5人にどうしても聞きたくなった。資格もキャリアもあるのに、日本の国家試験に受かるまで補助的な仕事だけで3年間、頑張れますか?

 おしゃべりでにぎやかだった部屋が静かになった。言葉を探すような間があってから、1人がぽつりと「仕方ありません……」。ザイニさんが言葉を継いだ。「患者さんとコミュニケーションするのが大事。いまは話せないから、(医療行為は)したくない。試験に合格したらここでずっと働く。無理でも、日本の進んだ医療を見られるだけでもいい。頑張ります」

 22日に東京・八王子で1回目の国家試験に挑戦した。試験問題は日本語。先生と自己採点した。全240問のうちたぶん、正答は30問。「恥ずかしいよー」とザイニさん。

 チャンスはあと2回。来年の試験に向けた1年が、また始まった。

 ■勉強、手探り

 「けんおんしゃ。ちしょく。分かりますか?」

 横浜市の特別養護老人ホーム「さわやか苑」。筒井博子・介護部長は2人のインドネシア人女性にゆっくりと話しかけた。2人が持つ紙には「検温者、遅食」とある。夜勤者から日勤者への申し送りに使う用語だ。

 EPAで介護福祉士候補者として来たエマ・ユリアナさん(23)とチトラ・バレンティンさん(22)は、母国の看護大学を卒業したばかり。筒井さんの話を傍らの通訳が解説すると、2人は真剣な表情でノートにつづった。「日本語、難しいです」。チトラさんはため息をついた。

 母国での資格を前提に、滞在許可期間に計3回受験できる看護師に対して、介護福祉士は1回。日本で3年間の実務経験が必要なためだ。

 「日本人でも半分は落ちる試験なのに、1回勝負だなんて。何とか合格し、ずっとここで働いてもらいたい」とホームの運営法人の大矢清理事長は応援する。

 日本語授業は週2回。介護にかかわる日本語指導や国家試験対策は、法人職員の大川典子さんが担当する。社会福祉士で日本語教師の経験もある大川さんは、教材を手作りしている。「2人とも勉強熱心だけれど、日本語も介護も一緒に勉強できるカリキュラムはない。どう教えたら合格できるのか、手探りです」

 ■資格とっても7年

 EPAが始まるずっと前から、外国出身の看護師がいると聞いて訪れた。

 千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦さつき台病院。ベッド数300余の中規模病院だ。2階のナースステーションで看護師たちがきびきびと動いていた。

 その一人がベトナム人のブイ・ティ・フェンさん(29)。日本語を学んで2年余で来日し、群馬大学に合格。医学部保健学科での4年の勉強をあわせて計約6年で、日本の看護師国家試験に通った。同病院で働き、今年で6年目になる。

 ベトナムでの日本語授業などからずっと日本の民間団体「AHPネットワーク協同組合」に支援を受けた。同病院にいるほかの5人のベトナム人看護師も同じだ。

 スピードが求められる外科病棟で、医師の指示を後輩に伝えるほどのブイさん。だが頭の中には常に「7年」の期限がこびりついている。

 日本では、看護師としての在留期限は7年で、それ以上ビザは更新できない。つまり、看護師になったら7年で出国しなければならない。弁護士や研究職などは何度でもビザ更新できるのに、だ。

 この2月、先輩のベトナム人看護師に朗報が届いた。7年の在留期限を前に永住ビザが認められたのだ。同組合の支援で日本の看護師資格を取ったベトナム人56人の中で初めて。「非常にまれなケース」(同組合)という。

 ブイさんはますます迷っている。せっかく苦労して看護師資格を取ったのだから、もっと日本で働き、在宅看護などの技術も高めたい。永住ビザが無理なら大学院に進むか、それともほかの国に――。

 「日本で教育を受け、資格をとって働いてきた。なぜビザ更新ができないんでしょう」。ブイさんは大きな目をさらに大きくして、尋ねる。

 ■外国人活用、展望なし

 厚生労働省推計によると、団塊世代の高齢化などに伴って14年には、04年の4~6割増にあたる140万~160万人の介護職員が必要と見込む。看護師はいまでも4万人程度が不足しているという。

 だが同省は、資格を持ちながら働いていない「潜在看護師」(約55万人)や、「潜在介護福祉士」(約20万人)の復職を支援すれば、不足は解消できるとの立場。日系人や日本人の配偶者らを除き、政府が外国人労働者の受け入れを認める16種類の「専門的・技術的分野」に介護は含まれず、看護は日本の国家資格を持つ人だけに、7年を上限に滞在を認めるのみだ。

 今回のEPAでは、3~4年以内に国家資格を取得すれば、その後は更新しながらずっと日本で働き続けることができる。だが政府はあくまで「人材交流」と位置づけ、インドネシアとフィリピンで2年間に千人ずつに限る。資格試験や日本語の教育は、病院や施設側が計画して費用や指導者を負担するのが要件だ。

 世界は異なる。人手不足の中東や英米、シンガポールなどでは大量の外国人看護師を受け入れている。英国看護師助産師協会によると、99~07年に新規登録された計約25万人のうち、34%に当たる約8万5千人が海外からの看護師だった。三井情報総合研究所の丸山智規研究員によると、優遇策をとる国も多いという。アラブ首長国連邦は自国の資格を求めない。シンガポールは自国の資格を取れば、事実上何回でもビザ更新が可能。さらに東南アジア諸国連合は、加盟国間で資格を相互に認証する制度に合意した。

 「日本でも介護・看護分野の人手不足は容易に解消できず、外国人受け入れの流れは避けられないのに、国にビジョンがない」とアジアの介護労働事情に詳しい安里和晃・京都大大学院准教授。「今回のEPAでも、国は教育支援を病院や施設に任せきりにしている。能力ある人材を育成・活用するために、統一的な教育プログラム開発や労働条件の整備などを主導すべきだ」(前田育穂、錦光山雅子、生田大介)

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 ■インドネシアからの看護師、介護福祉士の候補者受け入れ■

 インドネシアと日本両政府の協定に基づき、計208人が来日。100カ所の介護施設や病院で資格のいらない看護助手や介護助手として働いている。看護師候補者は母国で資格を持つ人のみで滞在許可期間は3年。介護福祉士候補は4年。その間に日本語で国家試験に合格しないと帰国しなければならない。

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