筆者は以前,拙著の中で,これからの時代は「限りなくSEに近い能力を持ったビジネスパーソン」と,「限りなくビジネスパーソンに近い能力を持った SE」がせめぎ合い,その結果として,両者の能力を併せ持つ真のスーパーSEが誕生する,という旨の話を書いたことがある。そもそも,そういう考えに至る きっかけとなった出来事があるので紹介したい。
あれは1989年,筆者が勤めていた銀行のロンドン支店に出張した時のことだ。筆者の使命は新しいシステムをロンドン支店に導入することで,その プロジェクトは何とか成功にこぎ着けた。しかし,それよりも収穫だったのは,初めて「ディーラー」という存在を間近に見ることができたことだった。
ディーラーというのは,世界中の金融機関同士で「カネ」という商品を売買する仕事をしている人のことである。「カネ」にも色々とあって,ドルやポ ンド,円などの通貨のほかに,証券や債券もあれば,デリバティブ(金融派生商品)のように“将来の売買に関する契約”を売買するような難解な商品もある。
どの商品を扱うにしても,ディーラーの仕事に共通して言えることが2つある。1つは,激しい値動きを見極めながら,ほんの数秒で巨額の資金を取引 するため,大きなリスクを背負うこと。もう1つは,為替レートなどの売買条件が一瞬のうちに変わるので,迅速な判断と実行が求められることだ。できるだけ 速く情報を集めて判断を下すには,コンピュータのサポートが欠かせない。
ディーラーはもちろんSEではない。本業はあくまでも金融取引である。だから,コンピュータが動く原理も知らないし,ミドルウエアだのインタ フェースだのオブジェクト指向だのといった専門用語についても深い知識はない。だからディーリング・システムを本格的に再構築しようとすれば,システムの 専門家であるSEの力を借りなければならない。
だが,ここで注意してほしいのは,「本格的な再構築の場合は」という“ただし書き”が付くことだ。実は,多少の機能追加や操作性の改善などは,ディーラーが勝手にやってしまうのである。
ディーラーは下手なSEよりもソフトウエア,特にアプリケーションに強い。確かにメインフレームで動くような本格的なプログラムは作れないが,C 言語などを利用した簡単なパソコン向けプログラムなら組めるし,表計算ソフトのマクロを駆使した複雑な収益計算などは朝飯前である。片や,システムの専門 家であるはずのSEは,大がかりなプログラムは組めても,表計算ソフトでちょっとした家計簿を作るのにも苦労したりする。
要するに,基幹部分を担当するか末端部分を担当するかの違いはあるものの,ディーラーも立派にSEと同等か,それ以上の役割を果たしているのであ る。この十数年でパソコンの能力やソフトウエア技術が飛躍的に向上したため,メインフレームと無縁のディーラーでも,自力で高度な機能を実現できるように なった。以前からエンドユーザー・コンピューティングという発想はあったが,インフラが整った今,この流れは確実に加速している。いわゆるパワーユーザー が爆発的に増えているのだ。
十数年前に膨大な数の端末に囲まれて仕事をしているディーラーたちを見て,筆者はパワーユーザー時代の到来を予感したが,今まさにそういう時代を 迎えようとしているのである。SEとユーザーの技術格差は確実に狭まってきている。だからこそSEは,深い知識と高度な技術力に裏打ちされた,SEならで はの「職人芸」を身に付けなければならない。
かつてロンドン支店の光景を見たとき,筆者は自分に対して「しっかりせえよ」とハッパをかけた。同じように現代のSEにもハッパをかけたい。「SE諸君,パワーユーザーに負けるな!」と。
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