20年を超える内戦で荒廃したカンボジアの教育復興を支援するNPO法人が佐賀市内にある。「カンボジア教育支援フロム佐賀」。4月で10周年を迎 えた。現地の学校建設に尽力し、現在は、建てた学校への日本語教師派遣や、その学校の卒業生の進学支援に力を注ぐ。メンバーは「カンボジアの未来を担おう とする人材が出てきた。将来が楽しみ」と話す。(谷川季実子)
カンボジアの首都プノンペンから南東に90キロのプレイベン州リング村。ヤシの葉ぶきの高床式住居が点在する水田地帯にれんが造りの校舎がある。「カンボジア日本友好学園」。日本人の支援で99年に開校した半官半民の学校だ。
3ヘクタールに中学、高校棟や図書館が立つ。地元の子ども約千人が英語や日本語などの語学や、数学などを学ぶ。9月には260人が10期 生として入学した。フロム佐賀は、同学園の建設に援助を行うほか、現在は高等部の運営も担う。学園理事長のコン・ボーンさん(71)は「フロム佐賀はカン ボジアの子どもたちの未来を変えた」と感謝する。
設立は98年。佐賀市出身のジャーナリスト村井孝至さん(故人)が、カンボジアの教育現場の再生を目的に93年に設けた「カンボジア教育支援基金」に、同市内の主婦らが共感して作った団体だ。県内各地でバザーや募金を行い、収益を校舎の建設費に回す活動から始めた。
カンボジアでは、75~79年のポル・ポト政権下での大量虐殺によって、多数の知識人が犠牲になった。今も国の教育予算は少なく、教員や 教材の不足は深刻だ。フロム佐賀の松尾由紀子事務局長(54)は「校舎を建てて支援は終わり、では、現地の教育水準の向上にはつながらない。質の高い教育 の継続が必要」と話す。
そのため、フロム佐賀は年1~2人のボランティアの日本語教師を派遣してきた。4年前には奨学制度を設け、大学に進学した卒業生に学費支援を行う。これまでに48人が奨学金を受け、大学に通う。
フロム佐賀はそうした地道な活動を続け、今年で10周年を迎えた。松尾事務局長は「これからの10年」の活動の方向性について、「最終的には私たちの支援がなくても、学校が自立して運営できるようにしたい」と語る。
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プノンペンの王立法律経済大学に通うケン・ソチェットさん(22)は、友好学園の1期生だ。「フロム佐賀が私に夢を与えた」と言う。
学園近くの農村に、貧しい農家の三男として生まれた。地元の学校では、教師たちが農作業や、収入の足しにとアルバイトを優先するため、休 講になることも度々あった。まともな授業は期待できなかったが、それが当たり前だった。「農業を継ぐことが当然で、高校や大学に進むなんて考えたことはな かった」
転機は99年に訪れた。当時通っていた地元小学校の教師に「日本人が近くに中学校を建てた。外国語の授業もあるから、関心があれば応募しなさい」と言われ、興味半分で進んだ。
実際、通って驚いた。先生が毎日授業を開いた。筆記用具や教科書などの支給もあった。「何より授業がおもしろかった。外国語、世界史、科学……。視野が大きく広がった」
卒業後、フロム佐賀の奨学金の支援を受け、05年に大学に進み、法学を専攻。将来は政治家になって、欠陥の多いカンボジアの法制度の改善に力を注ぎたいと思う。
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