前回の当コラムでも取り上げた「日中双方の会社が山梨県で繰り広げた中国人女工哀史」は、中国国内だけでなく、世界中の華人社会や、事件の発生地である日本にも強烈な衝撃を与えた。中国中央電視台(CCTV)も数回ゴールデンタイムにこの事件を報道する特集番組を放送し、新華社通信や中国新聞社通信は随時この事件に関する最新ニュースを配信している。事件を採り上げなかった中国のメディアが見当たらないほど集中豪雨的な報道ぶりを見せた。今どきこのような雇用体系が日本と中国に存在すること、およびそのような状態を日中両政府とも今まで取り締まってこなかったことに中国国民が意外に感じている。
インターネット時代である今日、情報の伝達速度と伝達範囲はある程度予想していた。しかし、それでも私のコラムの反響を見てやはり驚きを禁じえない。現代の文明の利器が情報伝達に及ぼす影響や私自身の取るに足らないわずかな知名度以外に、この事件が中国でこれほど反響を巻き起こした現象の裏には、おそらくより深い原因があるのではないかと思った。それは中国中央政府および事件の対象となった地域の地方政府が、政府にとって都合がよい話題でなくても、かつてのように報道の規制をしていないのではないかということだ。
この事件に関し、中国政府側も異例とも言える反応をしている。外交部報道官がこの問題に対する記者会見では2度も「日本側が中国国民の合法的な権益を守るよう望む」というコメントを出した。外国へ労働者を派遣する業務を管轄する商務部からも数度コメントが出ている。今回のコラムは、あえて中国側のより深い原因に焦点を当ててこの問題を分析したいと思う。
労使関係の矛盾は中国の社会経済の発展を拒む要因
いろいろな資料をあさっているうちに、中国労働法学研究会副会長で中国人民大学労働関係研究所所長である常凱教授が2006年10月に発表したレポートと出会った。これまで労使関係と労働法についての研究を続けてこられた常教授のこのレポートに、私がぼんやりと感じたその「より深い原因」がずばり指摘されていた。「労使問題は中国で次第に人々の関心を集めるようになり、実際にさまざまな事件が起きているが、それらはみな表面的なものであり、深層部分にさらなる問題がある。(中略)労使関係の矛盾は、中国の社会経済の発展に影響を及ぼす主な矛盾だ、というのが我々の結論である」あるいは「中国の社会経済の発展を阻む主な矛盾のひとつである」とレポートでは述べられている。
常教授は労使関係の矛盾に関心を持つことの重要性も指摘している。中国労働部の統計によると、ここ数年、中国における労働争議は急増しているという。2005年に遼寧省大連開発区ではわずか10数日で10万人規模の日系企業従業員がストライキに参加した。これほどの規模は最近では世界的にも珍しい。事件によってはメディアで公表されていないものもある。労使関係という問題にきちんと関心を持たなければ、従業員の権利問題はやがて企業の経営や競争力に、そして中国のさらなる発展にも大きな影響を与えることになり、避けては通れない問題だ。
労使関係の矛盾だけでなく、行政機関や一部業者の不公平さも表面化しつつある
今回の研修生・技能実習生問題と同時期に、新華社通信の『瞭望新聞週刊』やCCTVなど中国を代表するメディアが大々的に報道した問題がある。今年6月貴州省で発生した「甕安事件」と7月に雲南で起きた「孟連事件」だ。これらは、中国国民の基本的な権利に対して国民はその権利を得られなかったことに共感し、長年に渡るうっ積感が爆発し、デモや暴動に発展してしまったものだ。このような事件に対し中国のメディアは、ごまかしたり隠しだてしたりすることなく、事件を正視し公然の話題として採り上げた。日本の研修生・技能実習生問題はまだこのような過激な状況にはなっていないが、関連がないわけではない。
「甕安事件」は、深夜に帰宅途中の女子学生が入水自殺したという事件だ。地元の公安局(警察)は、女子学生が自ら川に飛び込んだという数人の目撃証言を元に自殺だと断定した。しかし女子学生の両親は自殺する理由がなく、何らかの事件に巻き込まれたものだと主張した。目撃証言をした数人の男性から性的暴行を受けたがゆえに、女子学生が自殺したのではないかという見方がある。両親は公安局に再調査を求めて陳情しに行ったが、帰りに今度は両親が何者かに暴行された。一時は、両親に暴行を加えたのは公安局関係者ではないのか、という見方もあったりするなどして、公安局を批判する大規模なデモや暴動が起きた。「孟連事件」は、ゴムの木の栽培をして生計を立てている少数民族に対して、理不尽な扱いをする中間業者の問題だ。やはりデモや暴動に発展している。
『瞭望』は、「甕安事件」について、「自らのことしか考えない」特殊な利益のみに依存している一部の地方政府と役人が、長期にわたって事件を正常に処理せず、問題を世論と法治の死角に置いていたことが問題を大きくしたと指摘している。デモや暴動発生の報道にアレルギー反応が薄れつつある中国政府
2008年9月10日付けの『南方週末』は、「甕安事件」、「孟連事件」が多くのメディアに採り上げられ、デモ・暴動などの集団的事件に対して政府側のアレルギー反応がなくなりつつあることは「偶然ではない」という論評を掲載した。最近の政府内には、一部の特殊利益を追求する集団を切り離す理性的勢力が台頭してきているという。理性的勢力は、国家機関全体が一部の特殊な利益集団に再び乗っ取られないように動き出しているのだ。これは従来の利益構造に対する一種の革命ではないか、と論評は踏み込んでいる。
理性的勢力は、労使問題や特殊利益を求める動きに対する国民の反応は、政治的な陰謀といったことは存在しないと理解しているという。このような新しい考え方で問題解決に新たな手法を導入しようとする動きが醸成されつつある。事件を政治化してはならない、科学的根拠に基づいた論理を展開しなければならない、と論評は指摘している。
私はこの論評に感銘し、期待も得た。山梨県で起きた中国人女子技能実習生事件の解決に対しても、中国政府は新しい考え方で対応してほしい。中国大使館も中国政府も、今回の事件を現在の日中関係を脅かす予想外の事件と受け取ることなく、中国に存在している労使矛盾が国境を越えて日本にも現れたと理解すべきである。労働者保護関連の法整備が中国より遥かに進んでいる法治国家日本では、法にのっとってこれらの事件が解決されるものと信じてほしい。
そして、より重要なのは次のことではないかと思う。中国の地方政府は、日本の悪徳業者と結託して研修生・技能実習生から不当に搾取し様々な不正行為・違法行為を犯した中国国内の送り出し機関に対する取り締まりを本気で進めること。中国大使館にとっては、海外にいる自国民の権利保護に対して真剣に対応することが必要だ。
もちろん、外国人研修生受け入れ制度の欠陥をこれまで放置してきた日本政府はもっといろいろ行動を起こすべきだ。2008年9月29日付日本経済新聞の社説「単純労働力めぐる虚構の制度を改めよ」に指摘された通り、「(外国人研修・技能実習)制度が掲げる目的・理念と、制度を利用する企業側の実際のニーズがかけ離れていることが、様々な問題の根底にあるのは明らかだ。現実に大半の事業所で法令違反が起きていることや国際的な批判の高まりを考えると、早急に制度を廃止し事態を正常化すべきである」ということをしっかりと心に刻んでほしい。
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