勝間 本日はお忙しい中、お時間をいただいてありがとうございました。
竹中 よろしくお願いします。
勝間 今日(9月17日収録)は大変なときにお呼びしてしまいました。金融の話でお呼びしたのですが、まさしく9月15日にリーマン・ブラザーズの破綻のニュースがあり、今日はAIGの国有化のニュースがありました。これから金融界がどうなってしまうのかという不安と、金融とは、何か怖くて恐ろしいものというイメージが、特にサブプライム問題以来ついてまわっているような気がします。ただ今日は、金融とは、実はもっと明るくてポジティブなものなんだということについてお話をさせていただきたいなと思っています。最初にまず、なんでそんなにみんな金融を怖がるのかということについて少しお話をおうかがいしたいんですが。
◆リスク=「危険」は間違い
竹中 金融というと、まず「リスク」といわれますね。日本経済新聞から以前ピーター・バーンスタインの『リスク』という本が翻訳出版されたのですが、その中で、「リスク」という言葉ができたのは、宗教改革のときだったと書かれています。人間は神の束縛から自由になったその時から「リスク」という概念ができてきたというわけです。金融というものは、非常に強く今までコントロールされてきたのが、より有効な資産の活用のために自由化されたわけです。それで自由になったから初めて「リスク」という概念が出てきたわけです。リスクを恐れるということは、私たちが不慣れであるからという理由に尽きるのではないでしょうか。しかし、やはりリスクときちんと向き合っていかないと、私たちの生活もよくなりません。そういう意味で、いま試練のときだと思います。
勝間 「リスクをとらなければいけない」のではなくて、「リスクをとる自由ができた」と思うべきなんですね。
竹中 ええ、そうだと思いますね。
勝間 『リスク』は私も読んで、いろいろなところで勧めている本です。リスクの計量ができるようになって、私たちは『神頼み』とか『運』から離れられたと書かれていたと思います。
竹中 その通りです。もう一つ問題だと思うのは、リスクという言葉は、日本では「危険」とか「危険度」と説明されることが多いということです。これは非常に大きな間違いだと思います。リスクとは、確率の問題としてとらえられるのが本来の形です。
もちろん、「ナイトの不確実性」といわれるような、非常に不確実で何が起こるかわからず、最悪の事態を想定しなければならないケースもあり得ます。金融危機というのは、まさにそういう「ナイトの不確実性」のような出来事であるわけですが、そういうものとリスクが「危険なこと」と一括りされて混同されているということは不幸だと思います。
◆リスクはサブプライムにあらず?
勝間 サブプライム問題について、「なんでこんなことになったの?」と関係者に聞く機会が何度かありました。当事者たちは、「その時々において静的なリスク量としては十分コントロールの範囲内だと思っていた」と言っていました。ただ、リスクがリスクを呼ぶという形で増殖をしていき、金融システム全体のシステマティック・リスクにつながってしまいました。金融システムについて詳しくない人たちにとっては、リスクがより恐ろしいものと見えてしまうのかもしれません。
竹中 今年のダボス会議の初日に、いったい今年最大の世界経済のリスクは何かということで議論しましたが、サブプライム問題そのものと答えた人は多くありませんでした。むしろサブプライムローンに端を発して、それに対して政府が対応を誤るとか、マーケットの人たちが対応を誤るとか、まさに人的な対応の悪さということこそが最大の懸念要因であるという意見が多かったです。まさにそういうことが積み重なっているということだと思うんですね。
もちろん、いけいけドンドンといいますか、モノの値段が上がり続けるというようななかで信用リスクの管理が甘くなったということは原因の一つだと思いますが、それに加えて、いま申し上げたような、各プレーヤーの、過剰な対応といえるようなものが積み重なってしまったということだと思います。
勝間 どうしてもリスクの取りすぎてしまうということが時に起きてしまうことがあります。私自身トレーダーをやっていたからよくわかるのですが、やはりギリギリまでリスクをとったほうが、パフォーマンスがよくなるので、最終的に、いわゆる「チキンレース」のように途中で降りられなくなって危険に踏み込んでしまうことがあります。関係者の話を聞いてみると、思ったより危機が来るのが、半年から一年早かったということなんですね。みんなどこかで、サブプライムについて爆発するのはわかっていたんだけれど、「下りるタイミングを間違った」と話していた人が多い。
竹中 まあ、うまく降りた人もいるんだと思います。だいたい将来的にこういうことが起こるということが、かなりの確度で予想されるようになると、それは必ず早く起きますから。
勝間 情報の伝達が早いので、加速して起きてしまうわけですね。
グローバルセキュリティ研究所 所長 |
◆メディアに欠ける政策リテラシー
竹中 先ほど「対応を誤る」と言いましたが、日本でのテレビメディアの反応を見ていると、ものすごく危ういと思います。金融リテラシーの問題が大きなテーマだと思うんですけれども、政策のリテラシーもあるわけです。特に金融というのは、当局の関与というのは依然として非常に強い。政策当局がどのように動くかということが、マーケットを見るうえでも大変重要です。
ところが、政策のリテラシーというものを恐ろしく欠いた発言を、割とテレビメディアで平気で行っていると私は感じるんです。
例えば公的資金です。公的資金を入れるべきだとか、入れるべきでないかを、どこのメディアも議論しているのですが、公的資金とは一種類ではないんです。
今回、米金融当局(FED)が準備したのは、流動性を供給するという意味での、いわゆる公定歩合での貸付です。これは今まではなかったものなのですが、新たにアメリカ政府が、今回の危機に際して準備したものです。
それに対して、流動性の問題ではなくて、資本不足の問題であるということになると、これは資本注入しか道はありません。これは担当からいうと、流動性はFEDだけれども、資本注入をやるかどうかというのは、これは財務省の問題になりますよね。
銀行に関しては、日本でも預金保険法にあるように、公的資金の枠組みはあるわけですが、証券会社、保険会社については、そういうものはないわけです。そういったことを無視して、公的資金を入れるべきだとか、入れるべきでなかったとかいう議論は、何を議論しているのか全然わからない。
勝間 そうですね。いったい何の目的で、何を要求しているのかさっぱりわかりませんね。
竹中 私は今回は、ポールソン財務長官や米連邦準備理事会(FRB)のバーナンキ議長は、非常にしっかりとした対策をとっていると思います。
◆自民総裁選が浮かび上がったリテラシーの低さ
勝間 日本のバブル処理をかなり手本にして、いいとこ取りをしているのではないかという見方もありますね。
竹中 私はちょっと違うと思います。日本から学んでいるという意識は、彼らはあまり持っていないのではないでしょうか。
勝間 やるべきことをやっていると?
竹中 米国では1980年代の終盤ぐらいに、同じようなS&Lの危機を経験しています。むしろ日本から学んでいるとすれば、日本みたいに遅くやったらダメだということではないでしょうか。
勝間 あのスピード感は見習うべきだと私も思います。日米で政策の対応スピードがこれだけ違うのはなぜでしょうか。
竹中 まさに政策に対するリテラシーが、政治家のレベルでも、論評するエコノミストや評論家のレベルでも、メディアの担当者のレベルでも、社会全体で違っているというのが、最大のポイントではないでしょうか。
勝間 厚みが違うわけですね?
竹中 そうですね。金融危機への対応については、「行動すれども弁明せず」という、イングランド銀行の有名な格言があります。議論している時間があったら先に行動して、決着がついてから、ちゃんと説明すればいいんだと。そういう鉄則があるわけです。
勝間 利下げも資本注入も。
竹中 そうです。不良債権ができてしまったら、それは一刻も早く回収するのも鉄則です。そういう鉄則に則って、割と淡々とやっていったらいいのですが、日本では、社会全体としてそういうリテラシーがないために、例えば住専のときから始まって、公的資金ということは、いまだに多くのメディアは混同して使っているわけで、リテラシーが高まっていないというのも非常に大きな問題だと思いますよね。
勝間 そういう金融リテラシーあるいは政策リテラシーのなさが、金融危機をこれから引き起こしかねないわけですね。
竹中 そう思います。自民党の総裁選で候補者たちの討論を聞いていても、金利の話をするにしても、実質金利なのか名目金利なのか、混同して皆さん議論していて、それを司会者がだれも正さない。これはやはりちょっと恐ろしい現象だと思いますね。
勝間 名目金利だけを見て話しているようにしか思えませんね。
竹中 金利が著しく低いというのは、名目金利は著しく低いですけれども、実質金利は著しく低くはないですから。
勝間 普通ですよね。
<子供への金融教育>
◆欧米にあって日本にない「経済学の社会教育」
竹中 やはり金融リテラシーを高めるためにの社会運動は絶対に必要だと思います。
私が経済財政政策担当大臣だったときに、金融・投資の社会教育のための大きなコンファレンスを開きました。大学からも専門家を招いて、そして日銀、金融機関に呼びかけて始めました。いくつかのNPO(非政府組織)もいまできていまして、少しずつ広がりつつはあります。一つ欧米との比較で象徴的なことをあげますと、欧米の経済学には「マクロ経済学」「ミクロ経済学」「開発経済学」などとならんで「経済学の社会教育」という分野があるんです。経済学の社会教育の専門家がいるわけです。これが日本ではほとんどいない。私自身もライフワークの一つにして一生懸命やっていかなきゃいけないなと思っています。
勝間 春、夏に、早稲田大学がキッズ・マーケット・キャンプっていうのを開いていまして、そこに小学生を35人ぐらい招いて教育をしているんですけど、いっしょに見学しているお父さんやお母様のほうが勉強になったといって帰って行きますね。
竹中 私もいくつかそういうのをやっていますからよくわかります。大人に教えるのも難しいですが、子どもにこの経済や金融を教えるのは本当に難しいですね。じつはNHKの『課外授業 ようこそ先輩』っていう番組があって、私も出身校の和歌山の小学校に行って経済のことを教えたのですが、すごく難しかったです。結局、私は和歌山出身の松下幸之助さんの話をして、「松下幸之助さんみたいにみんななろうよ」と。「みんなが松下幸之助さんのようになったら、お金持ちになって嬉しいでしょ。それだけじゃなくて、松下幸之助さんは、そのお金をいっぱい地元に寄付して、図書館や体育館をつくっていますよね。だから、みんなが松下幸之助になったら、みんなもよくなるし、和歌山もよくなるよ」っていう話をしました。どんなふうにしたら世の中がよくなるのかって、自分も儲かるのかっていうことを、やはり子どもの頃から真剣に考えるトレーニングを積む必要があると思います。
勝間 ただ、先ほども話に出ましたが日本では、お金儲けは汚いとか、お金を儲けたら、何かずるいことをしているんじゃないかというような考えが根強くありますよね。。
竹中 日本人のメンタリティは面白いもので「お金儲けは汚い。あんな汚いものはない。しかし、自分自身がいちばん欲しいのはお金だ」と思っているわけです。「お金儲けは汚い」といった誤解にはやはり堂々と向き合って、オープンに議論をするということが、偏った考えを排除していくことにつながると思います。
勝間 そうですね。お金のことについて、ネガティブに考えずに、目の前で見て考えると。もっとお金が欲しいよということを堂々と言いたいということですね。
竹中 だから、お金を儲けた方も、「君たちも僕みたいに儲けてみろ」ということを、やっぱり堂々と言えるような雰囲気にしないといけないですよね。
◆経済教育のネットワーク
竹中 さきほど紹介した経済学の社会教育の専門家がいないというのも大きな問題ですね。社会教育のコンセプトリーダーがしっかり存在していくようにしなければいけない。そして、各地域にそのコンセプトリーダーの代表者のような人がいる。そういう人たちが全国的なネットワークをつくりたいですけどね。
勝間 皆さんバラバラにはやっているんですけど、そういうムーブメントになっていないわけなんですね。
竹中 そうなんです。バラバラなんです。だから内閣府にいたときに、その一種のネットワーク組織をつくろうとしました。経済学の社会教育も競争ですから、一律にやる必要はありません。大いに競ってくださいと。例えばAという証券会社の社会教育がすごくいいと。で、その教育がいいから、そこにいろいろお金が集まってくるという仕組みは、それは悪くないですよ。だから、競争はやってほしいです。しかし、お互い、やはりベストプラクティスを共用できるように、いろんな情報交換、教育とかをしましょうよ、と。そのためのNPOはようやくつくりました。
◆子供とお母さんの経済教育
勝間 私は、キッズ・マーケット・キャンプみたいなことを地道にやっているんですけれども、ほかにどんな手段が考えられますかね?
竹中 私は始めつつあって、ぜひやりたいと思っているのが、母と子の経済教室なんです。
勝間 お母さん?
竹中 お母さんと子どもの経済教室なんですよ。やっぱり家で親子の会話の中にお金のことがもっと自然に出てきてほしいんですね。
勝間 栄養学と同じぐらい自然に出てきてほしいと思いますね。
竹中 子どもの将来のことを考えるときに、お金の話というのはやっぱりついて回るわけで、それを母と子が普段から考えるということは大事なことじゃないですか。なんとなくお父さんは社会のことをわかっていて、お母さんはなかなか社会のことがわからなくて、子どもはもっとわからないと。もちろん、いま女性の社会進出は進んでいますから、いま申し上げたのはあまりに単純化されたパターンではあるけれども、それでも、やっぱり母と子にそういう投資教育をやるということは、大変意味があると思っているんですよ。私もじつはそういうことをやり始めていまして、そういうことをやっぱり広げていきたいですね。
勝間 お母さんが、まるで食べ合わせを教えるように、ちゃんと資産の分散投資の仕方を教えて。
竹中 ええ。じつはね、今度そういう催しがあるところでやりましてね、母と子にチームに分かれてプレゼンテーションしてもらおうと思ってるんですよ。お母さんにもプレゼンテーションしてもらおうと思うんですけれども、一つのゲーム感覚で新しい問題に入っていくきっかけになるんじゃないかなと思うんです。
勝間 メディアはもっと使えますかね? いま金融教育をやろうとするメディアがほとんどないんですよ。あったとしても、株式雑誌がいくつかあるぐらいで。
竹中 まあ、例えばBS、CSを含めて、放送というものが非常に多様化して、コンテンツがないといわれていますから、CSなどでそういう番組が始まっても不思議はないのに、ほとんどないですよね。
勝間 メディア業界の人に「やってみたら」と勧める機会もあるのですが、「投資信託の番組はなんか人気がないんですよ」といった反応です。
竹中 そこはやはりコンテンツをうまくつくれるかどうかの問題だと思いますね。
それと、どうしてもテレビというものの存在感は、いまでも非常に大きいですけれども、しかし、ネットの動画も、もっともっとこれから増えていくわけですし、そういうもので対応をやっていくというのも考えられるんじゃないでしょうかね。
◆ゆがんだ小中学生への金融教育
勝間 いま小学校も中学校も、読書をしようということについては普及が始まっている印象はあるのですが、同じような形で、小中学生にも金融教育はできるんでしょうか。それとも、これもいつも議論がありまして、あまりそういう知識が固まっていない子どもたちにお金の話をするのは、いかがなものか、という考え方がいつもあるんですよ。
竹中 私はやったらいいと思いますよ。中身の話というのは技術論ですから、技術論は専門家に委ねて、できるだけいい方法を考えればいいわけで、技術論が云々だから本質を曲げるというような議論は、私はしないほうがいいと思いますね。
生まれたときから私たちは社会のなかにいるわけで、社会からみるとお金というのはすごく大事です。子どもはお年玉を欲しいわけですよね。お金がいかにいいものか知ってるんです。だから、そのお金のことも感じている子どもに対して、それと健全に向き合いましょうっていうことは、早い時期から教えたほうがいいんじゃないですか。
勝間 そうですよね。それは何か悪いものだとか、あるいは無駄遣いしてはいけないとか、一律的なことばかり言うのでは子どもたちは育ちませんよね。
竹中 いまの議論はね、子どもが何かするから、携帯電話を子どもに持たせないとか、いうことと同じで、非常に歪んだ教育だと思いますね。
◆勉強好きがもうかる
勝間 私は毎年、『日経マネー』と一緒に個人投資家のアンケート調査をするんですが、統計処理をするときれいに結果が出るんです。勉強好きな人ほど儲かっている、あるいは分散投資している人ほど利益が安定しているとか。
竹中 よかったですね。逆じゃなくて(笑)。
勝間 それをファイナンスの論文にしようと思ったら、教授から「当たり前の結果はダメだから」とか言われて却下されてしまったんですけれども。
竹中 いやいや、当たり前の結果が重要じゃないんですか。それはぜひおやりになったらいいと思いますよ。
勝間 そうなんですよ。やはりそういう教育をすればするほど、リテラシーが高まると本人たちにとっても利益になりますから、好循環が生まれると思うんですね。
竹中 そうですね。私、ちょっとこれ、一つの事例として言いますけどね、いますごく相場っていうのが荒っぽく動く日がありますから、きょうは必ず日経平均が2%上がるなって思える日って、けっこうあるんですよ。どうですか?
勝間 ありますね。だいたい相場の予想がつく時はありますね。
竹中 そうでしょ。で、下がったら必ず上がりますから、2%上がるなっていう日はあるんですよね。例えばさっき言ったETFっていうのは何かっていうと、2%上がるなっていう日をね、1年の間に5日見つけたら、利回り10%なんです。
勝間 なるほど(笑)。
竹中 1500兆円の資産で10%だと、150兆円でしょ。GDPの3分の1なんです。3割。もちろんこれは絵に描いた餅だし、そんなにうまくいくわけないですけれど、それだけ大きな可能性、オポチュニティがあるということなんですよね。
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