新人のころもかばん持ちとしてよく海外に出張したが,最近また業務の関係で海外に行くことが多くなった。昔は上司接待も兼ねていたので飛行機内も気 が休まらなかったが,最近は一人で行くことが多いので時間を自由に利用できるようになった。まとまった時間がとれることもあり,機内の過ごし方は自然と好 きな読書になる。
こうして読書量が増えた最近になって気づくのは,もっと若いうちに読めばよかったと思う本が結構あること。そこで今回は,新人の方を対象にし,ぜひ若いうちに(できれば新入社員のうちに)読んでもらいたい本を紹介したい。
KY対策
まずは,山本七平氏の『「空気」の研究』(文藝春秋 発行)。この本では,日本人がどれだけその場の雰囲気に弱く,「空気」が日本人から正常な議論を奪っているかが説明されている。
本の中の説明を借りれば,「空気」は,失敗するとわかっていても大和の沖縄特攻を決定させるだけの力を持っている。そして,戦後何年たっても「空 気を考慮すると,あの決定は妥当であったといえる」と関係者に言わせるだけの拘束力も持っているのだ。現在でも,空気の支配力が強いことは「KY(空気が 読めない)」なる言葉が流行語になることを見ても明らかだろう。
私が空気の拘束力を見せつけられたのは,ある小規模システムの開発。このプロジェクト,規模は小規模だが,内容はお客様の中枢部門の情報系システ ム。なのでこれをきっかけに,大規模システムを持つこのお客様に食い込みたいSIer様としては,決して失敗できない背景があった。
ユーザー数は約300人でクリティカルな処理も少ないことから「Windowsで」と話を持っていこうとしたが,なぜかお客様がオープンソースに ご執着。そこで,まずは製造費で説得することに。実際に両方で多くのシステムを開発してきた経験から,SIerも弊社もオープンソースでの開発は製造費が 意外に高くつくのを知っていたので,説得資料を作成し,調整を開始。
しかし,オープンソース開発のほうが優秀な開発者が必要だから総コストが高い,と言ってもお客様は「そんなのはSIerの努力次第だろう」と聞く耳を持たない。揚げ句の果ては「ヤル気ある?」とののしられる。
お客様なので,「お前は計算もできないのか!」とは口が裂けても言えない我々は別の観点で説得を始めた。当時からオープンソース・システムの保守費がかさむことは知られていたので,その数値を実際に算出してみたのだ。
するとやはりお客様の許容範囲より高い値が出た。内心「やった」と思いつつ,その数値を持っていくと「お前らは失注したくてこの数値を出してるんじゃないだろうな?」と言われる始末。
「お前は日本語も読めないのか!」とは口が裂けても言えない我々は,並行してお客様キーマンへの接触を試みていたメンバーから背景を聞いてびっく りした。結局,その会社の情報部のお偉いさんが,オープンソースのエンジニアとして雑誌などでも取り上げられるような結構有名な方で,アンチMSなだけ だったのだ。
そのため現場のエンジニア,つまり実際に製造を行うほうは“Windowsでやればいいじゃん”と思っていても,この人が最後に却下するので「MS製品は使わない」という空気が醸成されていたのだ。
実際,この人の下で働いていた情報システム部の方々は,Windowsのほうが楽なのを知っていたので説得を試みていたとのこと。しかし,聞く耳 をもたたいので,Windowsでの開発をあきらめたとのことだった。こうして,明らかにお客様見込みを超えた赤字プロジェクトが,何の批判を受けること もなく開始された。
そのプロジェクトから数年後,一緒に製造を担当した方々とお会いしたときに,当時のことを話すと「あのときの流れじゃ,しょうがなかったんじゃない」と軽く一言。うーん,まるで大和が沖縄に行ったときのようだ。
このように正論による議論が重要なSIの現場でも,空気は猛威をふるう。これに比べると他国,アジアは別として,例えば米国やヨーロッパでの現地 システムの開発ではこんな理不尽なことに出会ったことはそうはない。あるとしても赤字プロジェクトの責任を取り,空気を醸成した意思決定者は,次のプロ ジェクトでは消えていることが多いのが実情だ。
ところが日本では空気に反対した人のほうが裁かれる。この日本人のメンタリティを説明するのが次に紹介する本だ。
正論が排除される背景
次に紹介するのは『主君「押込」の構造』(笠谷和比古 著,講談社 発行,押込は“おしこめ”と読む)だ。この本では,現在から見ると改革を進めようとした有能な大名が,家臣によって監禁される様子が説明されている。つま り,大名が絶対的な最高権力者ではなく,しばしば家臣によるクーデターが行われていたことを紹介しているのだ。
クーデターの理由は,主君が無能だったからではなく,その政治姿勢が藩全体の伝統に反するものであった場合が多い。しかも幕府からはお家騒動による罰は無かったことにも驚かされる。
この本からは,伝統を乱すような行動を止める行為を「認めたがる」精神が,日本人にあることがわかる。伝統,現在の会社組織で言えば「和」とも言 えるだろう。日本人の組織では,たとえそれが合理的に正しいと思えても,和を乱すような行動をしてはいけないのだ。これを見せ付けられたのはある大規模プ ロジェクトだった。
ユーザーは約3万人,UNIXにノーツで情報系システムを開発。これをWindowsでやろう,と言えばその時点でおかしいが,ここまでは問題な い。最初は,単にお客様の要件に従ってノーツのデータベースを作り,コードを開発していたのだが,だんだん雲行きが怪しくなってきた。
時が経つとともに,仕様がどんどん膨らむのだ。そのためいつまで経っても製造が終わらず,試験に入れない状態が続いた。プロジェクト・メンバーは まずいと思いつつも,雇われの身なので強いことは言えず,黙々と仕事をこなす。こうした状況を知った弊社のエンジニアが,仲のよいSIer社員に話したと ころ,ヒアリングが行われることになった。
このヒアリング,でかいシステムなのでSIer様からも弊社からも役職の高い方々が出席して行われた。弊社エンジニアが現状の問題点を説明し,間を取り持ったSIerもそれを支持する意見を発言。ヒアリングそのものは,つつがなく終わった。
しかし,現場のエンジニアに問いただすと「そのような問題はありません」の一点張り。ヒアリングで聞いた内容と現場の意見があまりにも異なるの で,お偉いさん達も不思議に感じていたが,問題がないことを熱意を持って主張する現場の意見に押し切られる形で,この件は不問となった。
さらにおまけとして,この件を伝えた弊社エンジニアは,無用な騒動を起こしたという理由でSIerへの出入り禁止となり,間に立ったSIer社員も別部署へ異動になった。
しかし,実際にはトラブルがあったのだ。それに対策がとられないのだから結果は明白。品質の低いシステムをリリースし,お客様に怒られながら修正/メンテを行う日々が続く。結局,当初予定していた一年後にようやく安定稼働するシステムをリリースできた。
ところで,この話には意外な事実がある。先ほど現状改善を申し出た担当者が出入り禁止や異動になったと書いたが,それが行われたのはいつ時点のこ とかわかるだろうか? なんと,このシステムの最初のリリースが失敗し,実際にはトラブルがあったことが明白になった後だったのだ。つまり,罰を下したきっかけが誤りだと証明さ れても,一度下された騒動への罰は生き延びる,ということだ。
この異常な事態を見たとき,私は「六千人のビザ」で知られる杉原千畝氏の話を思い出した。杉原氏も,1940年当時ナチスと同盟をしていた日本がユダヤ人にビザを発給することを止めていたにもかかわらず,ビザを出した罪に問われ外務省を辞職させられた(編集部注:異説もあります)。問題なのは,外務省を辞職させられたのはナチスが滅んだ戦後だったことだ。
ナチスはもういないのだから,ビザの発行を禁止する命令自体は無意味になる。さらにビザ発行は人道的行為として国際的に高く評価された。しかし, 繰り返しになるが,命令自体が無意味になった戦後に,人道的行為を行った人が裁かれたのだ。このように,日本人には普遍的な事実よりも組織内の調和を優先 するメンタリティがある。
前述のプロジェクトで出入り禁止になった弊社の先輩は確かに,業務にトラブルがあると指摘したことで,いわゆる「犯人探し」にも似た雰囲気をプロジェクト内に醸成し,組織内の和を乱しただろう。しかし,それは事実だったのだから,現場は受け入れるべきである。
だが,日本人の組織は正論よりも組織の和,つまり構成するメンバーのメンツや思いを優先する特徴がある。そしてこれに違反すると罰を受ける。これが日本人の作る組織で健全な議論を奪う,つまり空気に反対した人のほうが裁かれる仕組みだ。
空気を読んだ正論を
ここまで読んだ方,特に新人の方々は「やってらんねぇ」と思うかもしれない。または「ウチの現場はこんなにひどくない」というベテランの方もいる と思う。しかし,大手のSIerをはじめ,多くの現場で空気優先によって正論がつぶされるシーンを見てきたトラブル・シューターとしては,これが真実だと 自信を持って言える。
組織内の仲良しクラブ的な和を作り,健全な議論を奪い,議論していると見せかけながら,和によって醸成された既存の結論になし崩し的に持ち込み,和を乱すものを排除して,仲良しクラブの結束を強固にする──これが代表的な日本人の組織だ,と。
もちろん,健全な議論が通るプロジェクトもある。そのような組織では,空気醸成時にほどよく「水を差す」行為がとられている,というのが個人的経 験からわかる特徴だ。つまり,冒頭の話で言えば「オープンソースでシステムを作りたいけど,コストがなぁ」とキーマンが疑問を投げかけることが大事なの だ。
変に熱い「空気」が醸成されつつあるときに,絶妙のタイミングで水を差す。現場でこれができる人は,技術スキルとコミュニケーション能力がともに優れている人だ。そして,それを受け入れられる人は,正論の前で自分の誤りを認めることができる大人である。
このように能力も人格も優れた人がいるプロジェクトでなければ,空気の前に何もできなくなることがある。そのことを新人のころから自覚し,自分の 能力を高めてもらいたい。同時に,ある程度の権力を得るまでは,空気を読んで正論を言う癖をつけてもらいたい。新人の皆さんの健闘を期待している。
●●コメント●●
0 件のコメント:
コメントを投稿