:::引用:::
経営とは“信用”:中国人社長、BPOで市場開拓 第1回
日本企業向けの業務支援サービスを中国で手広く展開し、急成長を遂げている企業がある。東京・六本木の森ビルに本社を構える、 InfoDeliver(インフォデリバ)社。エネルギッシュにこの企業を引っ張る広東省出身の尚捷社長に、この会社がビジネスモデルを確立するまでの経 緯や現在の事業、また今後の展望について語っていただいた。
インフォデリバ社の事業の3つの柱は、日本企業のバックオフィス業務を遼 寧省大連市に構えたセンターで請け負う「BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)」サービス、中国でのオフショア開発、中国進出の日系企業を対象 とした業務支援サービスだ。どういった経緯でこのビジネスモデルを確立し、成長させてきたのだろうか?
――大きな成長が見込まれる中国の南の大都市、広東省ご出身の尚社長ですが、まず、どうして日本で事業をすることになったのですか?
私の家は父親が公務員、母親はビジネスをしているという環境でした。自分でもなにかビジネスをやろうというより、当時はまだ高校生でしたし、中国で“浪 人”になると肩身が狭いので、とにかく親から離れたいと、それだけでの思いで日本に来たんですね(笑) 日本でまずは東京の語学学校に入って、それから大 学を目指しました。大学に入らないとビザもとれませんから。センター試験を受けて、92年に東京工業大学に入学。実は大学院にも入ったんですが、中退しま した。大学4年生の時、渋谷でインターネットカフェの経営を始めたらそれが思いのほか繁盛しまして、大学院の教授に「そろそろ学校辞めたら?」なんて言わ れてしまった。辞めるのはいいけれどその後のビザの問題もあって、自分の会社を立ち上げることにしました。
――インフォデリバ社創業の前に起こしたその会社は、どんな事業内容だったのですか?
実は学生の時、中国の清華大学と共同研究などを行っていて、日本に最初にJAVAという言語を導入したのも僕たちでした。インターネットカフェを経営し ていた時にも感じた先端技術の面白さを追求したくて、マクロソフトやオラクルのようなパッケージを開発する企業をやりたかったんです。96年頃、後のサイ バーエージェントやライブドアが誕生しつつあったのと同じ時代に、僕も会社を興しました。
当時は技術があるから事業はうまくいくだろ うと考えていたんです。でも、日本企業は僕らが持っている技術自体よりも、僕らの会社がどれだけサービスの価格を抑えられるか、ということに興味を示して いたので、中国から技術者を連れてきて企業に派遣する、という事業をやりました。事業はけっこううまくいきましたね。
――ではなぜその会社ではなく、ソフト開発のインフォデリバ社を改めて立ち上げたのですか?
派遣の仕事を2年ぐらいやった後の98年、米サン・マイクロシステムズに勤めていた友人が僕をニューヨークに招待してくれたんです。サン社の社員と話を した時、何の仕事をしているのかと尋ねられて、僕が「エンジニアの派遣だ」と答えたら、相手が「それはシステム開発の会社ではなく、人材派遣会社だろう」 とさんざんに言うわけですよ(笑) それでかなりショックを受けて、日本に戻ったらソフト開発をやろうと決意しました。
ただ、当時、派遣の事業はうまくいっていたので、他の分野に投資する危険性をパートナーに指摘されて、それじゃあ、自分で別の会社をまた立ちあげようということになって、99年に立ち上げたのがソフトウェアパッケージ開発のインフォデリバだったんです。
――来年で創業10周年ですね。
インフォデリバは有限会社からスタートしてソフトウェアパッケージの開発を始めるとほどなく、運良くソニーやベネッセといった大きな企業に採用していた だきました。有名なところでは金融庁のEDINET(エディネット、=金融商品取引法に基づく有価証券報告書等の開示書類に関する電子開示システム)」の 中にあるPDFファイル生成のソフトが弊社製。IBMが代理店になってくださったこともあって、2000年には株式会社に発展させることができました。初 年度から利益が出ていましたし、その後も01年にはベンチャーキャピタル3社が出資してくださって、事業は順調でしたね。
だが、好調なスタートを切ったインフォデリバ社にも試練の時代が訪れる。2001年、尚社長は新たな展開を目指して現在のビジネスモデルの確立に向けた挑戦を始めるのだった。(文責:サーチナ・メディア事業部)
■経営とは“信用”:中国人社長、BPOで市場開拓 第1回|第2回|第3回
●●コメント●●
2008-10-21
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿