福田康夫首相は6日夜、胡錦濤国家主席を東京・日比谷公園内のレストラン「松本楼」に招き、非公式の夕食会を開いた。警備が難しい都心のオアシスをあえて会場に選んだのは、松本楼にまつわる日中近代史の「秘話」に光を当てようという双方の計算があった。
中国民主主義革命の先駆者で「国父」と呼ばれる孫文(1866~1925年)。その政治活動を物心両面から支えた梅屋庄吉という日本人がいたことは、あまり知られていない。松本楼の経営者は梅屋の末裔(まつえい)にあたる。
実家が長崎の貿易商だった梅屋は、19世紀末に香港で2歳年上の孫文と知り合い、その革命思想に深く共感する。日本活動写真株式会社(日活の前 身)を設立し映画事業で財をなした梅屋は、孫文に多額の資金援助を繰り返した。さらに梅屋夫妻は孫文と宋慶齢との結婚を仲介し、東京・大久保にあった梅屋 邸で披露宴を催したという。
2人の友情は群を抜いていたが、梅屋は「孫文トワレトノ盟約」について「一切口外シテハナラズ」と遺言したため、貴重な資料は長く公開されることがなかった。
夕食会では、梅屋のひ孫にあたる松本楼常務の小坂文乃さん(40)らが孫文ゆかりの羽織や宋慶齢の手紙などを両首脳に披露した。胡主席にとって、 孫文をたたえることは、中国共産党とともに抗日戦線を担った国民党の再評価につながり、現在の台湾で国民党を率いてきた馬英九・次期総統への前向きなメッ セージになる。台湾との和解プロセスというわけだ。
福田首相にとって松本楼は、父・赳夫元首相が三枝夫人と結婚式を挙げた場所。自然な形で日本人が辛亥革命を支援した歴史を振り返り、中国の対日感情に訴えることができるメリットがあった。
年1回の「10円カレー」で有名な松本楼は1903年、日比谷公園と同時に開業した。松本楼の創業者である小坂梅吉の孫と、梅屋の孫が後に結婚したため、梅屋の資料は小坂家に引き継がれた。小坂さんは「両国のトップにこの歴史を伝えることができて光栄です」と話している●●コメント●●
0 件のコメント:
コメントを投稿