今年は中国が改革・開放時代を迎えて30年になる年である。30年前の年末、中国の民衆は緊張した胎動にかたずを飲んでいた。文化大革命の後遺症に苦しみ、経済も崩壊寸前に追い込まれた。特に農村は荒廃していた。
30年前の1978年12月、安徽省の最貧困県である鳳陽県の小崗村では、18人の農民が死を覚悟してひそかに人民公社所有の農地、つまり国有地 を農家個人に分けて、自己責任で農業を営む試みをはじめた。もしばれたらこれまでの中国の政治情勢では刑務所行きになるのはまず避けられない。
しかし、意外にも農民たちがひそかに始めたこの試みは、安徽省のトップの支持を得て日の目を見ることができた。翌年以降の農作物の豊作がこの試み の有効性を裏付けたからだ。やがてこの試みは「大包干(家庭請負制)」という名で全国的に知られ、毛沢東時代の象徴である人民公社の崩壊のきっかけを作っ た。家庭請負制の普及は農民の意欲を刺激し、農業の生産性を大きく高めたと評価され、30年間続いた改革・開放路線の象徴的出来事として語られ続けてき た。?小平時代のモデルとされた小崗村も中国の農村の模範になったばかりでなく、世界的に広く紹介された。
数年前、仕事で小崗村の近くまで行った私は、中国中に名を轟かせた小崗村をついでに一目見ようと思った。意外にも地元の幹部たちからの阻止を受け た。「時間の無駄遣いだ。期待するほどのものはなにもない」と言われた。それでもあきらめず、車を同村に向かわせた。言われた通りの小旅行となった。
数十年の歳月が流れても、改革・開放のモデルであるはずの小崗村にはたいした変化がなく、06年の一人当たり年間収入は6000人民元と公称して いるが、小学校、道路、役場など村の主な施設やインフラのほとんどは、省や市、県、または他の地方の地方自治体などの援助で整備されたものである。今では 村民の三分の一に相当する労働力が出稼ぎに行く。改革・開放時代の先陣を切って走っていた成功モデルはいまやその栄光の輝きが失せ、ふたたび貧困に陥る局 面に直面している。小崗村の影響を受けて改革に乗り出したほかの農村が次第に豊かになったなかで、小崗村の彗星のごとく輝きを放った登場と、音もない再沈 没は、中国の農村と農業のいまを暗示的に物語っている。
トウ小平時代のモデルである小崗村が示した農村や農業の進み方に対して、真っ向から対峙する存在が最近になって脚光を浴びるようになった。その典 型的な例とされる安徽省の南街村、山東省の西霞口村を訪問し、こうした時代の流れの変化を強く感じた。農地を農家ごとに分けた「家庭請負制」という名義の 個人農業の道をどちらも拒んだのである。これらの村はある意味、形や看板を変えた「人民公社」であり、集団経営で農業・農村を経営するという道を歩み続け ている。
その典型例の一つの河南省漯河市臨潁県城関鎮にある南街村へ行った。河南省の省都鄭州市を出て、京深自動車道と呼ばれる国道107号線を南へ 120キロほど走り、さらに東へ曲がると、突然、近代的な建物群が現れる。広い通りの両側に、柳、松、柏などの樹木がうっそうと茂り、工場、商店、従業員 食堂、図書館、社宅、村民用住宅、オフィスビルが続いている。街全体が清潔で、すれ違う人々も忙しげだ。大通りに沿って村の中央にたどり着くと、高さ6 メートルの白玉の像が建っている。故・毛沢東の全身像だ。銃を構えた二人の民兵が、その両側に直立不動の姿勢で二十四時間警備している。
電柱に据え付けられたスピーカーからは、「東方紅」、「団結こそ力」など革命の歌が聞こえてくる。街のいたるところに、毛沢東思想をほめたたえる 宣伝文句が大きく書かれ、雷鋒など1950年代か60年代に宣伝された模範的人物の大きな肖像が目を引きやすい街角に描かれている。
文化大革命時代の人民公社でよく見られた光景が、ここでは21世紀になってすでに久しい今でも見ることができる。初めて訪れた多くの人はタイムマシンにでも乗ったような驚きを覚える。
毛沢東思想の村という別名でも呼ばれる南街村もいったんは小崗村に見習って農地を農民たちに分けた。しかし、村に貧富の差が広がり、村民が混乱に 陥ったのを見て、1984年に個人に分け与えた農地を再び集団経営の下に集め、公有制経済の道を再度歩みだした。こうして革命理想を思わせる人民公社の現 代版ともいえる「河南省南街村集団有限公司」(略称は南街村集団)ができたのである。
幹部を含む村民の毎月の収入はみな一律250人民元だ。住宅から日常生活に必要な基本的な商品まで、すべて統一して支給され、家の近くには幼稚 園、学校があり、学費や医療保険など20数項目の福利厚生もすべて村が負担する。かつて毛沢東が夢見ていた豊かな共産主義の雛形である人民公社の理想像 が、この地図を探しても見つからないほど平凡な河南省の農村、南街村で実現されたのである。同村は「中原第一村」と呼ばれ、広く知られるようになった。1991年に村営企業の売上高が河南省内で初めて1億人民元を超え、「億元村」という称号に輝いた。97年には売上高が17億人民元とピークを記録 した。その後、村営はかなり厳しい状況となっているが、共産主義的な特徴がいまでも保たれている。04年、南街村集団は資本主義の方向へ一歩踏み出した。 一部の幹部が同集団の株主となった。
山東省の西霞口村も似たような道を歩む。村民の全員が村営企業で管理職を務め、毎月300人民元の生活費をもらう。年末には配当金を受ける。昨年 の配当金は一世帯平均28万人民元だった。中国の多くの都市家庭の平均年収をはるかに超えた。住宅は村の建売だが、建設コストの20万人民元を支払えばい い。労働能力を失った老人には村営マンションを無料で提供する。家賃は取らない。子供の教育費は大卒まですべて村が負担する。村民の車の普及率は75%に 達する。昼食の時間に村内を散策したら、車で家に帰って食事する数人と出会った。村民の家を覗かせてもらった。家具や内装のどれを見ても都市住民と遜色な い。
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1 件のコメント:
■<改革・開放30周年>元国家主席ブレーンが語る中国・改革の終焉-中国の三つの道
http://yutakarlson.blogspot.com/2008/12/30.html
こんにちは。中国、改革・開放30周年を最近祝ったばかりですね。しかし、実体は、すでに改革・開放は中途半端に終わっていて、中国内で様々な社会的問題が噴出して、新たな社会不安を生み出しています。これを解消するためには、結局は中国はいくつかの国に分裂して、個々の国では、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を推進していく必要があると思います。いずれ、これらの国の中でこれらを早急に導入して確立した国が新興勢力として出てくると思います。詳細は是非私のブログをご覧になってください。
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