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――若さゆえの気負いが空回り、売上げ半減からの立ち直り
日本生まれ、日本育ちの華僑3世です。大学卒業後はリクルート社に入り、採用や人材にまつわる事業に携わってきました。1997年に新規事業立ち上げの ために上海へ駐在したのが、中国ビジネスに関わるようになったきっかけです。中国語による就職情報誌を手がけていたのですが、ちょうどその頃、現在の事業 パートナーである孫立平に出会います。やがてリクルート社は中国事業からの引き上げを決めますが、昔から温めていた「事業家になりたい」という願望と、 「中国でのビジネスに中国人として貢献したい」という想いの実現のために同社を退職し、孫の経営する人材コンサルティング会社への参画を決めました。中国 の発展に寄与することが自分の夢であり、その一歩を踏み出すチャンスだと思ったのです。
共同経営者というポジションを得た私は、移籍 後早々に人事やインセンティブに手をつけ、組織をいじりました。営業でトップの成績を残すなど、リクルートで培ってきた自信やプライドとともに、当時は新 人経営者としての気負いもあったのでしょう、すぐに結果を出して認められたいという功名心が空回りし、あっという間に売上げを半分に落としてしまいます。 中小企業に大企業の理屈を押し付けてしまっては、事業がうまくいくはずがありません。孫と徹底的に議論を重ね、やがて会社は持ち直しますが、このときを きっかけに、パートナーとして私と孫とがお互いを尊重し、カバーし合う関係の下地ができたのだと思います。
――インテリジェンスとの合弁、事業拡大とスピードの加速
その後、私たちは順調に事業を伸ばしてきましたが、競合が増えてくるにつれ、会社の成長も一時横ばいを続けます。本来長期的な展望を持って事業に取り組 んでいかなければならないものを、目先のことばかりを追い、大きな目標を見失っていたんですね。このまま中小企業の経営者として満足して過ごしていくの も、それはそれで悪くはないという気持ちもありました。しかし、私たちの目指す次元は、中国ナンバーワンの人材ビジネス会社として成功することだという共 通認識を、孫と語り合い再確認したのです。そこからようやく次のステージへの光が見えてきました。
大手企業からも提携のお話をいただ くようになり、そのなかから急激に業績を伸ばしていたインテリジェンスと手を組むことを決めたのです。中国の発展スピードに追いつくためには、人材紹介事 業だけではない、次の一手を打つ必要があると考えていた私たちにとっては、インテリジェンスの成長力が非常に魅力的に映ったのでした。
現在は『潜力新人』というサイトを立ち上げ、中国人学生の新卒採用マーケットの開拓に乗り出しています。「新卒採用」という文化が根付いていないところ からのスタートですから、私たちはこれを「啓蒙サイト」と位置づけています。圧倒的な情報不足によって企業と学生がミスマッチを起こし、就職難が続いてい るいまの状況をこの事業によって打破することが私たちの狙いです。そして、中国一の人材サービスとして事業を育てることが、中国社会への貢献にもつながる と強く信じています。
金鋭(きん えい)
英創人材服務(上海)有限公司 常務副総経理
1989年リクルート入社。就職情報誌事業部営業、企画開発部、総合企画部を経て、97年中国市場開発グループへ異動・上海駐在。99年、上海創価諮詢有限公司へ共同経営者として参画。07年インテリジェンスとの合弁により英創人材服務(上
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