2009-08-25

「被就業」(就職させられる)中国の大学生と就職難

:::引用:::
  復旦大学の正門に入ると、「到基層去、到農村去、到人民最需要的地方去」、大きく掲げられている赤い横幕が目に映る。これは、大学当局が卒業生に就職先を大手会社や大都市に限定せず、自分が必要とされる中小企業や農村部まで広げるよう呼びかけているものだが、同時に大学生の就職難も端的に示されている。もっとも、ほかの大学に比べて名門の復旦大学の卒業生の就職難はさほど深刻でもないそうだ。

  中国教育部は7月8日に、今年の大学生の就職率が68%に達し、金融危機前の2008年に匹敵する高い実績だと発表した。その信憑性について疑いの声が上がっている中、7月12日に匿名大卒者による「私は就職させられた」(中国語で「被就業」という)というインタネット投稿が一気に注目を集めた。彼は、自分の人事タン案(出身階級や家族構成、学校成績、党歴、賞罰歴など、出生時より現在に至る全ての個人情報を含むファイル)を見ていたら、身に覚えのない会社からの内定通知書が入れられていて、つまり自分が全く知らない間に「就職させられた」というのだ。「被就業」という言葉は、一躍目下の流行語となった。

  中国語の「被」という助詞は、ここでは接頭辞として用いられているが、他人が勝手に行動した結果、本人が受身的に何らかの被害を蒙る意味が含まれている。近年、庶民が政府の無責任行為を揶揄する言葉の一つとしてもよく知られるようになった。たとえば、警察は殺人事件の被疑者逮捕に努めず、殺害者に「自殺」と決めつけ、「事件解決率」を高めようとする。このようなケースから、「被自殺」という言葉が生まれる。また、市民生活水準をアンケート調査で把握しようとする「上」の指示に対して、「下」の公務員は「答案」を作成し、それに市民が強制的に口合わせられる。言うまでもなく、調査対象者全員が「豊かな生活」を送っていると判断され、「小康」レベルだと政府が自画自賛する。このようなことから「被小康」との言葉が誕生した。

  「被就業」という言葉に、当然ながら政府や大学当局の無責任行為を揶揄する意味がある。しかし、それについて語る前に、就職難は中国の大学教育がエリート教育からマス教育へ転換する過程で生じた構造的問題として指摘しておかなければならない。

  筆者が大学卒業した1991年までに、大学生は「国家幹部」として育てられていた。その後、大学教育の拡大や民営化が進められてきた。それに伴い、大学(中国では四年制大学と専門学校が含まれる)に新規入学した学生数は1991年に62万人にすぎなかったが、1997年に100万人に、2000年に 200万台を超え220万人に、2004年にさらに倍増し447万人に、2008年には608万人にそれぞれ達した(データは断らない限り『中国統計摘要 2009』、国家統計局編による)。

  同時に、1991年に204万人だった大学在校生は、2008年に2021万人に上り、実に10 倍近く増加した。とりわけ2000年以降の増え方は、瞠目させるほどのものである。この間、大学数も急増し、2000年に1041校だったものが2008 年に2263校と倍増した。大学進学者の18-22歳人口に占める比率、つまり大学進学率は、1991年にわずか3.5%だったが、2008年に 23.3%に高まった。また、高校卒業者に対する大学進学者の比率は、1991年に28.7%にすぎなかった。それは、2000年に73.2%になり、 2002年にいったん83.5%のピークに達したが、その後やや下落してきて2008年に72.7%となった。「一人っ子政策」に伴う「少子化」を考慮すれば、中国大学の「全入時代」もさほど遠い未来のことでもなさそうだ。

  構造的問題としては、供給と需要のアンバランスを指摘しておく。格差社会が定着しつつある中国社会の現実の下、大学生は大都市や大手企業に就職し高い生涯賃金を手に入れたいと願う。しかし、大都市や大企業の提供できる就職口は限られていて、「就職難」は自然の結果となって生じた。中国政府は、農村や内陸部への就職、軍隊への入隊などを奨励し、就職難を解消しようとしているが、効果はまだ現れていない。(執筆者:王京濱 大阪産業大学准教授)
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