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3次元CAD(コンピューターによる設計)データの変換ソフトで、世界シェアトップの35パーセントを握る企業が静 岡県浜松市にある。社員数74名(2008年10月末)のエリジオン。全社員中33名を、小寺敏正代表取締役社長(55歳)も含めて東京大学出身者が占め る。1999年創業で平均年齢約31歳と若く、経常利益率は平均30パーセントを超える。地方都市の中小企業が、東大卒の若者を引きつける理由と、その強 さを探る。
取引先は国内外2800社
「独創、そして独走」──フランス・ルノーF1チームのマシンを全面に使い、そう大書された広告が目に留まる。東海道新幹線「浜松」駅のフォーム から階段を下り、1階改札口に向かう中二階。エリジオンは、03年からルノーF1チームの公式サプライヤーになっていて、そのマシン左下に 「ELYSIUM」と社名が明示されている。
自動車の生産工程では、3次元CAD以外に、金型製作のCAM(コンピューターによる生産)、CAE(コンピューターによるエンジニアリング)な どのシステムが導入されている。だが、各工程に関わる企業間で、異なるCADソフトを使用している場合が多い。つまり、それらのCADデータを正確、かつ 迅速に相互共有できる変換ソフトが必要になる。
そこで強みを発揮するのが、変換率99パーセントを誇るエリジオンのCADデータ変換ソフト。小寺社長によると、ルノーのF1マシンの場合、同社 製変換ソフトを利用したことで、レース後のデータ解析が、従来の2週間から約3時間半にまで一気に短縮されるなどの効率化が進んだという。米国フォード社 は、CADデータ交換技術を持つ世界10社のソフトの中から、約3年かけて性能審査を行い、04年からエリジオン社製ソフトを採用。今も独占供給契約を結 んでいる。国内ならトヨタ、日産も主要取引先。
自動車だけに限らない。製造業はその業種や企業によっても、採用している3次元CADソフトは異なる。同CADメーカーは世界に40社近くあり、 それぞれのデータを高い変換率で処理できるエリジオンへの評価は、海外でも高い。ロケット開発ではNASA(アメリカ航空宇宙局)や米国ボーイング社、携 帯電話などを製造する電機メーカーなど、その取引先は国内外2800社。売上高の内訳は欧米4割、国内6割。3次元CADデータの変換ソフトというニッチ 市場ながら、世界シェアは35パーセント。シェア10数パーセントで第2位の英国企業を大きく引き離して、世界トップを独走中だ。
エンジニアの憤まん
浜松発の世界企業の出発点は、一人の元エンジニアの憤まんにあった。
東京大学工学部船舶工学科を卒業した小寺敏正は、大手メーカーに入社。70年代後半、日本がまだ造船業界で世界一を誇っていた頃だ。入社3年目 で、彼は実質的なプロジェクトリーダーとなり、活躍した。だが、優秀な人たちが集まっていたにもかかわらず、職場環境自体は恵まれているとはいえず、会社 の業績もふるわなかった。
30歳のとき、大学時代の同窓会で小寺はがく然とする。当時年収320万円の彼に対して、大手銀行や商社勤務の友人は600万円台、外資系企業は1000万円台だった。
「こんなに差があっていいのか、と思いましたね。他社で技術職になった友人の年収も軒並み低かった。エンジニアという職業に自分なりの誇りを持っていただけに、単に年収額だけじゃなく、その社会的評価の低さがとてもショックでした」
浜松駅前のプレスタワー内にあるオフィスで、小寺は当時をそう回想する。当初はとても落ち着いていて、穏やかな話しぶりだった。
その同窓会後、小寺は会社の希望退職に応募。84年、エリジオンの母体となるソフト会社を起業した。大学の同窓会でそう明かすと、冷ややかな反応が待っていた。
「『おまえ、バカじゃないか』って散々言われましたよ。何のために東大まで行ったのかって。官僚になって昇進して天下れば、大企業の役員にだってなれるのに、わざわざ自分でゼロから会社を立ち上げるなんて、と」
東大卒を学歴競争の最終ゴールととらえ、そのブランドを活用して、以降の社会人生活を安泰に送る。小寺世代の人生観を強く感じさせる逸話だ。
しかし、この約10年でそんな同窓会が一変している。
かつては「俺が日本を支える」と息巻いていた小寺の友人たちが、すっかり変わってしまったせいだ。5年ごとに開かれる同窓会では、自己紹介で愚痴 をこぼす人間が増えた。最近は、今は窓際族だと自嘲したり、悪酔いしたのか泣き出す友人までいる。今では「小寺がうらやましい」と、多くの友人が異口同音 に口にするという。今回の米国発金融危機のはるか以前から、東大工学部卒のOBでさえ、「いい大学・いい会社・いい人生」の構図は崩れ始めていたことにな る。
そんな現実を、近頃の教育ママにも教えてあげたいですよね、と小寺は言う。
「ただね、友人たちが勤める大企業側にも甘えがあるんですよ。技術者は自分の好きなことを仕事にしてるんだから、あまりいい役職や待遇は要らない だろうと。そういう認識の甘さです。もちろん、理工系学生としての学力と、人間としての能力には違う部分もあるでしょうが、彼らだって十分に有能なわけで すから」
先のソフト会社を経て、小寺がCADデータ交換ソフトに特化した会社を設立。ギリシャ語で「理想郷」という言葉を社名にしたのは、昔も今も、技術者への評価が低すぎる日本の企業社会へのアンチテーゼだ。
ソフト開発の全工程に関わりたい
開発スタッフの末益佳子(すえます・よしこ)に、3次元CADデータの変換作業の一部を見せてもらった。彼女は東京大学工学部大学院修士課程卒 で、入社3年目の27歳。パソコンディスプレイ上の3次元画像データから小さな部品ひとつを抜き出し、変換ソフトを使って、別のCADソフトのフォーマッ ト(記録方式)に入れる。作業自体は約30秒で終了。変換前後の画像を見比べても、筆者にはその違いがよく分からなかったが、ズームアップしてもらうと微 妙な違いに気づかされた。そういう微細な相違点にこそ目を配らなくては、製品の製造段階で大きなトラブルになる。高い集中力と根気が求められる仕事だ。
同社は変換以外に、元データの誤りを自動修正できるソフトも開発済み。また、元のCAD自体に不具合があれば、末益が海外のCADメーカーに修正依頼の英文メールを送る場合もある。
「でも、修正を依頼される側には面倒なことですから、できるだけ相手の感情を害さないように、英文の微妙な言い回しには留意しています」 と生真面目に話す彼女とエリジオンの接点は、機械工学科の修士課程時代。学内で行われた企業の合同説明会がきっかけ。彼女の専攻はロボット研究だった。
「小寺社長の事業への熱意と、社員一人ひとりのことを真剣に考えていらっしゃるという印象が、とても強かったんです。映像で見た都会的なオフィス と、広い作業ブース。それに、1人10万円の予算内で世界中のどこに行ってもいいという、ユニークな社員旅行にも、とっても心引かれましたし……」と小さ く笑う。
エリジオンの開発フロアでは、社員一人当たり約25平方メートルのワーキングスペースが与えられている。プログラマーのフロアでは、半ば寝そべる ような姿勢がとれるリクライニング・チェアが印象的だ。総務部を除く、社員の平均年収は1000万円超。技術者の理想郷を目指す職場環境は、小寺の苦い記 憶がその背景にある。
末益は、修士課程時代、大企業に勤務する大学OB数名の話を聞いても、ピンとくるものがなかった。すでに大企業はソフト開発を中国などに全面委 託。東大大学院卒で入社した場合、ソフトの製作管理などを担うプロジェクト・マネージャーか、コンサルタント業務が規定路線。学生時代、携帯電話のアプリ ケーション開発に携わった彼女が希望する、ソフトウエア開発全般に関わる仕事には就けそうになかったからだ。
唯一、エリジオンの先輩社員たちと話した際、この人たちは仕事も会社もとても好きなんだなぁ、という雰囲気が言葉の端々から伝わってきた。同時に、小さい会社ゆえにソフトウエア開発の全工程に関われる点も、末益の希望通りだった。
入社時から第一線でバリバリ働きたい
入社5年目、30歳の平岡卓爾(たくじ)と、エリジオンとの最初の接点は、東京大学工学部4年生在籍時。全国の4年生理工系学生約2万人に、同社 が送付している数学クイズ付き懸賞ハガキだ。約2万通送っても、毎年の全問正解者は5人程度という難問。平岡が記憶しているのは、時計の3つの針がつくる 三角形の面積を求める問題。時針・分針・秒針の長さが等しいという前提で、3つの針の先端がつくる三角形の面積が最大となる時刻を尋ねるものだった。彼に よると、数学に自信がある理工系の学生なら、正解を求めずにはいられなくなるタイプの問題。一方のエリジオン側からすれば、そういう気質と、秀でた数学的 才能の持ち主を探すのが目的だった。
「正三角形では正解にはならないんだろうなと、まず問題を見て思いました。次に、コンピューターのプログラムを書けば効率よく解けるなって」と話 す平岡は、懸賞ハガキを送って賞品のノートパソコンを獲得。だが、当時は大学院修士課程に進む予定だったので、面白い会社があるなぁ程度の認識だった。
2回目の接点は、修士課程1年時に学内で行われた企業の合同説明会。博士課程に進学するつもりで、説明会場を覗いた平岡らを前に、小寺社長は「大 企業は、君たちが行かなくてもつぶれない。将来、会社の浮沈をかけて仕事をしたいなら、小さな会社がいいよ」などと熱く語っていた。最初の懸賞ハガキと、 小寺社長の情熱あふれる会社説明。二つの要素が平岡の中でつながったとき、大企業より、自分の仕事が、その業績に直結する中小企業の方が確かに面白そうだ な、という考えが浮かんだ。
「自分の将来像として、大企業で10年間修行しないと第一線に出れない、というのは想像しづらかったですね。それなら小さい会社でも、会社の浮沈 を背負って、入社時からバリバリ働ける方が自分には合ってるなと。当時の研究テーマは、僕が生きている間に実用化されるかどうかわからないもので、現実的 な進路としては、大学の博士課程か、電機メーカーの研究所ぐらいでしたから」
末益も平岡も現場志向が強いが、それぞれ理工系同期の中では少数派。国内外の金融機関や、大企業に就職した人間が多い。2人は、その受けこたえに 頭の回転の早さと的確さは感じるが、拍子抜けするほど普通で謙虚。筆者の歪んだ先入観かもしれないが、いわゆる「東大修士課程卒」を鼻にかけた感じがまる でない。その代わりに、同社の少数精鋭のチームワークの良さや、同僚のきまじめな仕事ぶり、あるいは週休2日を消化して、ワーク・ライフ・バランスをとれ る充実ぶりを語る。
不透明感が増すばかりの世の中では、「東大」ブランドにいたずらに依存せず、仕事自体にやりがいを求める末益や平岡の方が、はるかに現実的に見える。
(文中敬称略 つづく)
静岡県浜松市にあるエリジオン。総勢74名の同社に、東大卒の若者が集う理由を前回紹介した。今回は、CADデータの変換ソフト市場で、同社が世界シェア35パーセントを握ってトップを快走する理由を探る。
3次元CADデータのマイスター
同社が、CADデータの変換ソフト市場へ進出する最初のきっかけは、前身のソフト会社時代に持ちかけられた相談だった。相馬淳人・取締役最高技術責任者(39歳)が振り返る。
「ある自動車会社さんが、車体開発工程で異なるCADデータ交換で困っていらして、その問題解決を依頼されたんです。データ変換ソフトの開発に取 り組む中で、他の自動車メーカーさんも同じ悩みを抱えていることがわかり、ニッチなテーマだけど市場規模はグローバルで、次第にウチの主要事業に育って いったということなんです」
エリジオンのような規模のソフト会社は、国内外に無数にある。世界には総勢5000人の企業もある。そんな市場で80人にも満たない日本企業が生 き残っていくには、顧客が本当に困っていている問題に、経営資源を集中する必要がある。同時に、いくら有望な市場でも、大企業に大量の資金と人員を投入さ れれば奪われてしまう事業は避けたい。その点で、CADデータ変換ソフト市場がニッチであることも幸いした。また、相馬も東京大学工学部大学院修士課程卒。石油探査技術を専攻し、博士課程への進学か、米国留学を考えていた頃、先の懸賞ハガキでエリジオンを知り、 全問正解でパソコンを手に入れている。小寺の「技術職の理想郷」理念に共鳴して、95年入社。当時の修士同期らが「生涯賃金」の多寡で、大企業の中から就 職先を考えていることへの違和感が、彼は強かった。人生の価値はそれだけか、おれは自分がいないと駄目になってしまうような会社で寝食を忘れて働きたい、 という思いが募ったという。その相馬が、最高技術責任者を担う同社は今、「3次元CADデータのマイスター(ドイツ語で「卓越した技術を持つ職人」)」を目指している。その技 術的優位性は、もはや99パーセントというデータ変換率にとどまらない。同じデータを、取引先の製造部門だけでなく、営業まで含めた他部署が望む形にそれ ぞれ最適化。あるいは、精緻なデータだと重くなってメール送信の時間がかかるため、相手にとって必要な要素に絞ってデータを軽量化することも可能。その技 術力は品ぞろえと奥行きを増している。
小寺の「お客さんの要望に応じて、同じ大根を千切りや輪切りにしたり、大根おろしにしたりする要領で、必要な情報を最適化してお渡しできます」という説明が、そのフレキシビリティを端的に伝える。
かゆい所に手が届くサービスは、世界を感動させる
小寺は、世界市場における同社製ソフトのもう一つの、しかも意外な強みを挙げた。それは日本人的な創意工夫と、相手への思いやり。
「欧米では、『Take it ,or leave it(欲しいなら持っていけ、嫌なら置いていけ)』という文化があります。オレの作ったものは最高だから、それが上手く使えないんなら、それは使えない客 の方が悪いんだ、と。一方の僕らは、変換前の元データに不具合や誤りがあったとしても、きちんと直してあげてお客さんに届ける。そういう日本人的な対応に 外国人は驚くし、とても喜んでくれるんですよ」
プレゼンテーション力と英語力は、欧米企業が強い。しかし、僕たちが愚直に積み上げた技術的優位性は、そう簡単には追い付かれない。僕らの変換ソ フトの優秀さと、相手のかゆい所に手が届く日本的なサービスに、世界中の人たちが感動してくれるんですよ、と小寺はふいに子供っぽい表情になり、小鼻をふ くらませた。
それは、この連載で紹介した家電量販店「ヤマグチ」が、地域社会で生き残るために徹底したサービス手法。世界にも通用する日本企業の優位性と言えるかもしれない。
そもそも、日本のITソフト業界は、まず国内市場を見て製品やサービスを作る。日本の市場規模が大きく、そこである程度売れれば採算がとれるせい だ。携帯電話事業などでもよく指摘されるが、いわば内向きの産業構造。一方、海外のソフトメーカーは、最初から世界で売ることを前提に商品が企画、製造さ れている。
「しかし、ソニーや任天堂が世界進出できて、IT部門だけが出られないはずはない。日本人の作ったソフトウエアで、もっと言えば、知的産業が生み出した付加価値で、日本がもっと稼げるようにならないと、工業だけに依存していては危ないですよ」
労働力の安さでは中国やインドには勝てない。今までのようにまじめに働くだけでは、日本は世界で勝てなくなる危険性がある。だからこそ、日本人が作ったITソフトが、世界中で使われる現実を作りたかった。それが金儲け以上に、小寺の夢だった。
「ピーク値を上げろ!」
一連の取材の中で、前回紹介した開発マネージャー平岡卓爾の バランスの良さが、筆者の印象に残った。エリジオンの企業文化とは何かと尋ねると、彼は「合理性」と即答し、端的な理由をいくつか挙げた。その詳細は省く が、事前の根回しや声の大きい人の意見より、論理的コミュニケーションを尊重する風土。理想的な労働環境を社員に提供するための、地方本社や非上場という 選択。そして資金負担をお願いした上で、その取引先に役立つ新規技術の開発をする堅実な経営などだ。
一方で彼は、会議が多く、彼自身が実際のソフト開発に十分な時間を割けていないことなど、個人的な課題も率直に口にした。初対面の取材者に、それ らの長短所を端的に語れる会社員は多くない。同期に先がけて28歳で開発マネージャーに抜擢されて数人の部下を持つとはいえ、まだ30歳の若さだ。
休日の過ごし方について、「週末は厳密に2日休んでます。近くの公園に出かけたり、子供べったりの時間を過ごしてます」と言い、彼は口元を緩め た。その「厳密に」の意味を問うと、マネージャーとして、仕事と私生活のメリハリを付ける姿勢を部下にも示したい、というニュアンスが感じられた。多くの 企業では名ばかりの「裁量労働制」だが、その理想的な“におい”を、筆者は平岡のその3文字に嗅いだ気がした。
翌日、小寺社長にそれを確かめようとしたら、これも率直な答が返ってきた。
僕の中でも悩みなんですよ、と小寺が明かしたからだ。平岡は若くしてマネージャーをやっているわけだし、そして家庭も守っていて、僕はそれも大事 にと実際言ってます。だけど会社は世界一を目指そうとしているわけだから、一方でそれでいいのか、という想いもあるんですよ、と小寺の口調が少し速くな る。
「僕らは一流になりたいんだと、例えば一流のトップアスリートほどの年収はないけれど、気持ちはやはり世界一になりたくて、そこにプライドを持っ て戦っているわけです。人間には一回頑張って、抜きん出て、頂点に立たないと見えない景色があるんですよ。サーカス小屋のセンターポールは、その全重量を 支える、それを支える人は辛いだろうけれど、彼にしかわからない悦(よろこ)びもある。最近のような世界状況で、ウチのセンターポールを支えてない人間 は、まだ修行中なんです」
小寺から平岡への、いや、全社員への熱のこもったエールだった。
一方で、小寺は、人はすべて人材です、というつもりは私はないんですよ、その方が言い方としてはやさしく聞こえますがね、とも話す。
「その人の仕事の価値が、仮にメキシコなら200万円なのに、日本だというだけで800万円というなら、それはおかしい。他人から抜きん出るから 価値が生まれるんです。100メートル走が10秒2なら駄目だけど、9秒69で走れれば世界記録保持者になれる。自分は人材だと言いたいなら、そのピーク 値をもっと上げて来いと言いたいですね。君のアウトプットで世界を感心させてほしい。エンジニアなら、歌って踊れるエンジニアにならないと、取引先から個 人指名が来るようにならないと、駄目なんです」
「歌って踊れる」とは、もちろん比喩。例えば同社のエンジニアは、ソフト開発だけでなく、取引先との商談にも同席し、顧客のニーズを肌で感じて、 技術をカスタマイズしなければいけない。それ以外に、小寺はピーク値を上げるために、03年に外部から常務取締役を迎えた。次代のトヨタの役員候補と言わ れた矢野裕司(49歳)。一貫して生産技術部門を歩み、トヨタ生産システムのIT化を推進した人物だ。
「欧米のCADベンダーと付き合う中で、エリジオンの変換ソフトの優秀さを実感させられました。企業としても、みんなすごく働くし、大好きな仕事 をとことんやる文化がある。この会社に、自分がトヨタで学んだ組織設計のノウハウをミックスできれば、すごく面白い会社になるなと思ったんです」
そう話す矢野は今、問題解決トレーニングを社員に課して、顧客対応力や問題処理の勘所を見抜く力の育成に努めている最中。あまり挫折経験のない若手社員相手に、「壁に当たれ」、「頭ではなく、自分の腹に落とせ」と説いて回っている。
技術部門のトップである相馬も、「矢野が来てから、品質管理やマネージメントという価値観が導入されて、会社の文化がすごく変わりました。個々の 社員がかなり自律的に動いてくれる形になってきています」と話す。抜きん出た数学力を持つ社員に、顧客対応力と問題処理力が備われば、個人も、組織全体の ピーク値も向上しないはずはない。
「この魂の幸せは、誰にも奪えない」
いったん想いがあふれ出すと、小寺は止まらなくなる。取材前半、パワーポイントで会社概要を丁寧に説明してくれていた彼とは別人だった。
僕は経営学を勉強したり、経営論の本は読んだことがないんですよ、むしろ、宇宙に関する本を読んで、人類はあと100年持たないかもしれないなん て、諸行無常じゃないけれど、そんな気持ちになってしまうこともあるし。だけど、僕たちの会社はこんなに頑張って、(携帯電話会社の)ノキアからこんなお 礼状が来たとか、NASA(アメリカ航空宇宙局)が「エリジオンはスゴイ」って言ってるよとかね、そんな会社をやれている楽しさは、この魂の幸せは、誰に も奪えないだろうと思うわけです。それに比べたら、株式公開して大金をつかんだから勝ち組だなんて、私に言わせればレベルが低い。死ぬときはお金なんて何 の意味もないし、おいしいもの食べすぎてもメタボになるだけだしね。僕の会社と僕の理念に影響を受けて、74人もの人が動いてくれていることも十分幸せだ し、みんなが両親を説得して、浜松の小さな会社に入社してくれている現実に、この国もまだまだ捨てたもんじゃないなぁとも思いますし、そういう人たちを本 当に幸せにしてあげたいし──。
話すほど熱く、速くなる彼の言葉に気圧(けお)されながら、別々に取材した相馬と矢野の両取締役が、くしくも同じことを話していたことが思い出された。
要約すれば、「社長の強みは、経営者として明確で少しもブレないこと。この会社の強みも、『社長の話を自分で直接聞いて入社したんだから、しっかりやろうよ』で、全員の意思統一ができてしまうこと。そういう会社は強いんです」ということ。
明確なビジョンを示し、それに共感して集まった社員たちを牽引し続ける。小寺はその熱棒のような想いで74名の社員を束ね、変換ソフトのデファクト・スタンダードを目指している。
「僕は自分の熱い想いと理念の中で、これが理想なんだと考えることをやってみたいんです、それが僕の喜びなんであって、そんな楽しいことを経営コ ンサルタントに分けてあげたくない。一方で、東証一部上場企業の社長の多くが、大手コンサルティング会社に、経営方針を作ってもらっているという事実があ る、自分の会社のビジョンを、第三者に作ってもらって、それで本当に経営に熱が入るのかなぁって」
小寺の問いかけに、明確に答えられる経営者は今、日本にどれくらいいるだろうか。
例えば、社員たちの小寺評──新たな技術が収益事業になるかどうかを見極める鋭い嗅覚。直情径行タイプだが、相手が筋道立てて話せば聞く耳を持っ ている。社外的には、過去にお世話になった人に損得なく付き合う一方、社内では、能力があるのに努力しない人には厳しい。ストレート過ぎる発言で、時おり 周囲に誤解されてしまう。技術だけでなく売上面にもシビアで、毎日それを把握して、あらゆるコストを絶えずコントロールする──。
筆者の目の前で噴き上がる彼自身の想いは、そんな枝葉末節はどうでもいいんだと蹴散らすかのようだった。
(文中敬称略)
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