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中国を中心に政治・経済から芸能・文化に至るまで、ありとあらゆる情報を日本語で提供するウェブサイト「サーチナ」。すっかり身近になった中国を知るには、いまや不可欠ともいえる存在だ。月間ページビューは4600万を超え、類似サイトを寄せ付けない。
このサイトの運営会社、サーチナを率いる端木正和は、20年前、17歳で単身日本に渡ってきた中国福建省生まれの起業家である。兄いわく「昔から、いちず」、一度決めたら突き進むタイプだった。
端木が日本を意識したのは、地方都市で財政局長をしていた父が持っていた日本語の“六法”のおかげだった。それをのぞき込んだ端木が見たものは、普段見なれた漢字だらけの文章だった。
「日本語は楽勝だ」――。
この“勘違い”が端木を日本に向かわせるきっかけになる。
折しも端木が高校生になっていた1980年代後半は、中国で海外留学ブームが始まっていた。といっても、私費留学生の6割の実態は“出稼ぎ労働者”だった。無理もない。当時の中国は日本との経済格差が大きく、現金を稼げる仕事など、それほどなかった。
当時の私費留学生のほとんどは、200万~300万円を借金して斡旋業者に払い、日本に渡るのが普通だった。だが、父親はすでに他界していたこともあり、巨額の負担は避けたかった。しかし、日本へは行きたい。
そこで役に立ったのが、強力な華僑ネットワークだった。粛清の嵐が吹き荒れた文化大革命の頃、父親は迫害された多くの人を助けていた。その恩を受けた遠い親戚の友人の……の友人という人物が当時日本に住んでおり、日本への渡航の面倒を見てくれた。受けた恩を大事にする中国人らしいエピソードだ。
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2009-11-27
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