長くコンタクト・センターの仕事に携わってきて,気付いたことがある。コンタクト・センターのエージェント業務に従事する人々――そのほとんどが人材派遣会社に登録し,「派遣」の立場で仕事に就く――には,独特の職業観が醸成されるという点だ。例えば,「エージェントの仕事は一時的なもので,いずれは別の仕事に就きたい」という声は若い人に多い。一方,「他に職がないので,仕方なくエージェン ト業務に従事している」という声もある。エージェントに対して何度もインタビューしてきたが,つまるところこの二つに集約される。
では派遣社員としてではなく,社員(含む契約社員)として雇用すれば,このような職業観は払拭できるだろうか?
「3年後もこの仕事を続けていますか?」
以前,コンタクト・センターの従業者を何人か集めて,グループ・インタビューを実施したことがある。対象者の立場は様々だ。ある企業のコンタク ト・センターで働く社員,契約社員,それに派遣社員。電話会社のコンタクト・センターに派遣されているエージェンシー(代行会社)の社員や契約社員,派遣 会社から電話会社のコンタクト・センターに派遣されている派遣会社の契約社員などである。
その場で,こんな質問を投げかけた。「3年後もこの仕事(コンタクト・センターのエージェント業務)を続けていますか?」と。その結果,3年後も コンタクト・センターで働いていると回答した人は1割にも満たなかった。何度もこうしたグループ・インタビューの機会があったが,おしなべて1割以下だっ た。
つまり,9割以上の人々は,「コンタクト・センターは決して長く働き続けられる場所ではない」と感じているわけだ。顧客との接点であるコンタクト・センターの従業員がこのような心持ちで働いているのは,企業にとって大きなリスクなのではないだろうか。
コンタクト・センターは生きた専門知識の宝庫
このインタビューを重ねていた頃筆者は,コンタクト・センターでのキャリアパスにはどのようなものがあり得るか,というテーマについて思いを巡らせていた。
コンタクト・センターにはいくつもの専門的な知識と経験が必要だ。それらを系統的に習得していけば,自ずとキャリアパスが開拓できるというのが筆 者の認識である。訓練を積めば専門的なエージェントとしてどこでも働けるようになるだろうし,コンタクト・センターのマネジメントにも到達できるはずだ。 筆者はこう考えた。
仮に300席のコンタクト・センターだとすると,450人程度のエージェントがそこで働くことになる。仕事の内容はほぼ同じだ。その仕事について の初期トレーニングは容易である。ところが,ひとたび顧客に対するサービス品質を向上させようとすると,とたんに手間がふくれあがる。450名のエージェ ントの職能レベルの評価と,その評価をベースに個々人に合わせた習熟度トレーニングを組む必要が発生するからだ。
加えて,組織として地に足のついたものにしようとすると,一種のグループ活動が必要になる。かつて生産やサービスの現場で行われていたTQC(トータル・クオリティ・コントロール)活動だ。細かな改善を現場で積み重ねないと,チームワークは醸成されない。
もちろん情報通信システムに関しても,特にその運用面で気を遣うべきことが出てくる。情報漏洩がその一つで,実作業はシステム・インテグレータやコンサルタントといった専門家に任せるにしても,ユーザー側として相応の知見をもって対処する必要がある。
また,品質管理システムを利用してコンタクト・センターの顧客対応品質を向上させようとすると,情報通信システムの知識はもちろんのこと,品質管理,教育訓練,顧客サービスなどかなり広範囲の知識が必要になる。
つまり,コンタクト・センターでエージェントやマネジャとしてきちんと働こうとすると,相応のスキルとノウハウが必要になる。そして意志を持って 働き続けていれば,これらの専門性が多かれ少なかれ身に付くことになる。こう考えていくと,コンタクト・センターが将来性のない職場だとはまず思えない。 筆者に言わせれば,コンタクト・センターはマネジメントとマーケティングの生きた専門知識の集積場である。
人材派遣では何も蓄積されない
日本のコンタクト・センターで働くエージェントのほとんどは,人材派遣という立場である。これは企業にとって二つのネガティブな面がある。一つ は,そこで働く人々のモチベーションが高まらないということだ。当たり前だが派遣される人材は定職ではない。よほど素晴らしい就労環境でない限り,エー ジェントはそこでスキルを積みキャリアパスをつける,という発想にはならないだろう。
もう一つは,コンタクト・センターにプロフィット・センターとしてのノウハウが蓄積されないということだ。冒頭に紹介したインタビューの内容を思 い出してもらいたい。「3年後にはどこかへ転職したい」と考えている従業者は,そうそう組織には貢献しない。「組織に貢献しよう」という意志が現場の人々 にない,ということは,「その組織には生きたノウハウが蓄積されない」のと同義である。
それでも多くの企業が,なぜかコンタクト・センターの雇用のあり方について,人材派遣で済ませたり,運営委託の形式を続けたり,という状況を変えずにいる。
サイテル・ジャパンが残したもの
前稿で触れたが,筆者はサイテル・ジャパンというコンタクト・センターの受託業者で1年ほど,マネジメント・アドバイザーとして働いていた。
米オールステート保険会社は自動車保険販売を展開する上で,米サイテルにコンタクト・センター業務を委託。オールステートが日本市場に進出することに併せて,米サイテルは日本法人であるサイテル・ジャパンを設立した。
そのサイテル・ジャパンは,オールステートの業務を開始してからわずか4カ月後,日本のコンタクト・センターを閉鎖することを決定した。オールス テートが日本の自動車保険市場に参入するのを中止したからだった。クライアントの意志決定に沿うように,サイテル・ジャパンのコンタクト・センターは日本 の別のエージェンシーに売却されていった。
米サイテルは,こうした状況は最初からあり得ることと認識していた。業務がなくなったらコンタクト・センターは閉鎖する。従業者は雇用契約に従って猶予期間を経て解雇する。筆者はいわゆる「米国流のマネジメント」を体験した。
しかし,コンタクト・センターの閉鎖を米国本社から伝えられる以前に,筆者には「このコンタクト・センターはなくなるかもしれない」という予感があった。それはその春に始まった宮城県域でのテスト販売のレスポンスが酷い結果だったからだ。
オールステートの日本スタッフはテスト・マーケティングと称して,テレビCMと新聞折り込み広告を投入した。そこからの問い合わせ数が,当初考えていた予測値よりかなり少なかった。マーケティング・プランに不備があったわけだが,筆者はここから直感したのだった。
しかし,閉鎖されたとはいえ,サイテルのコンタクト・センターが残したものがある。サイテルはコンタクト・センターの従業員を育てようとしていた。そこで働いていた人々には,少なからずスキルの向上とノウハウの蓄積があったと今でも確信している。
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