■勝算ゼロからのスタート
「正直、目算や勝算なんてまったくありませんでした。目指すべき目標ははっきりと見えていましたよ。それはあるけれども、そこに間違いなくたどり着けるなんて自信があったかと問われたら、そんなの全然なかった」。
医師を専門とする人材紹介業は『民間医局』がスタートした時点で、すでに他社が手がけていた。「だから単なる人材紹介ビジネスとして考えれば、我々に先進性があったわけじゃありません。ただし我々は従来型の医師紹介をやるつもりはまったくなかった」。
既存の医師紹介ビジネスとは、どちらかといえば一匹狼的なお医者さんに働く場所を紹介するモデルだった。大学医局の 支配力が強すぎたために生まれたすき間ビジネスと言っていいだろう。医局の支配を嫌ってそこから飛び出す医師は、当然干される。勤務医として働く場所を見 つけることが難しくなるのだ。医師の勤務先について医局が持っていた権力はそれぐらい強大だった。医局の指示に背いた医師に残された選択肢は二つ、開業す るかあえて火中の栗を拾う覚悟で自分を雇ってくれる病院を探すかしかない。
こうした医師を雇う病院にはそれなりの覚悟が求められる。少なくともその医師の出身大学とその系列大学からは今後、一切医師を派遣してもらえなくなる可能性がある。そうしたリスクを犯しても医師の定員不足を補わなければならない病院が、どんな状態かは容易に想像がつくだろう。
医師の転職がそんな状況だったから『民間医局』も当然、同じ目で見られることになる。いくら目指すところが違うとはいえ、最初から相手を説得できる実績などあるわけもない。一つ目の成功事例ができるまでは、どんなに理想を語ってもそれは空理空論に過ぎないのだ。
金融マンならではのシビアな視点を持つが故に中村社長は、勝算アリなどと自信を持つことはできなかった。「ただ信じてはいました、我々がやろうとしていることは、社会にとって絶対に必要なことなんだと。必要なことは必ずいつか実現するはずだと」。
日本の医療をより良くしたいというホットな思いと使命感。そしてマクロな流れを読んで見出したチャンスに狙いを定めてクールに組み立てられたビジネスモデル。『民間医局』は21世紀を目前に控えた1999年、静かにスタートした。
■難攻不落の大学医局をどう落とすか
『民間医局』が対象とする医者は、従来型の医師派遣業のようなアウトロー的ドクターではない。大学医局にたくさんいる優秀な医師に、より良い働き場を提供することがビジネスモデルの根幹である。では、彼らにどうやってアプローチをかけるのか。
「正面から入っていっても門前払いされることは目に見えているわけです。そもそも医局にいる先生はみんな、とても忙しい。製薬会社のMRですら、まともに口をきいてもらえないぐらい時間に追われている。そんな相手にまだ誰も聞いたことのないような『民間医局』という名称で、のこのこ行っても相手にしてくれないのは目に見えているじゃないですか」。
そこで中村社長がひねり出した起死回生の策がオリジナルメディアの無料配布だった。『民間医局』開業と同時に同社は月刊『ドクターズマガジン』の発行に踏み切る。医学界に大きな影響力を持つ人物へのインタビューあり、医学界の抱える問題を掘り下げる特集ありと極めて高い問題意識に裏打ちされたクォリティペーパーである。質を高めるためには当然、それなりのコストをかけなければならない。ビジネスはスタートしたばかり、しかも「勝算ゼロ」状況で巨額の先行投資は相当に大きな賭けとなる。
「それでも、これ以外に大学の先生にリーチする手段はないと覚悟を決めました。我々がどんなに信念をもって理想を語っても、医局にいる先生には絶対に届かない。彼らの心に響かせるためには、彼らに影響力のある人に語ってもらうしかない」。
いわゆるインフリュエンサーマーケティングである。確かに一つのセオリーではあるが、本来は資金力に恵まれた大手の打ち手だ。あえて強者の戦略に賭けたことが後の成功につながった。
およそ医局に在籍する医師なら誰もが知っているような人物を取り上げた表紙は、まずそれだけでインパクト十分である。もちろん彼らが語る内容は示唆に富んでもいる。中村社長自らが編集長もインタビュワーも勤めればこそ実現できた、こだわりの誌面である。その訴求力は並みの雑誌の比ではない。
「独立独歩、大学の医局に頼ることなく、それでも高く評価されている先生は憧れの的なのです。そうしたオピニオンリーダー達が、医局に依存するだけが人生じゃないよ。医学をきちんと学ぶ道はいくらでもあるよと語ってくれる。これは効果絶大でしょう」。
もちろん、このメディアを自主発行することにより同社は創業当初から大赤字に見舞われることになる。クォリティをキープするために編集では一切の妥協を許さなかった。従って広告掲載についても極めて厳格な基準が設けられ、それをパスする掲載依頼はほとんどゼロ。それでいて全国の大学医局に勤める医師に対して、毎月5万部を無料で発行・発送する。膨大なコスト負担である。
「ただ、このメディアを発行することが、実は我々のサクセスロードだったのです」と中村社長は語る。『ドクターズマガジン』が切り拓いた成功への道とは、どのようなものだったのだろうか。
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