2009-07-24

「日本版CIA」50年代に構想 緒方竹虎が米側と接触

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1950年代、内閣官房長官などを務めた緒方竹虎氏が、米中央情報局(CIA)の関係者と頻繁に接触していたことが、米国立公文書館で公開されたCIAの秘密文書で明らかになった。緒方氏にとっては情報収集を行う国家機関を設立するのが目的だったが、米側は緒方氏を「POCAPON」という暗号名で記し、協力者に位置づけていたことがうかがえる。

 CIAが保管していた秘密文書で、主に緒方氏の公職追放が解除される51年から56年の死去の後まで。緒方氏は52年10月に衆院選に当選し、吉田内閣の官房長官となった。

 同年11月の報告書によると、関係者と面会した緒方氏は、日本の情報活動を拡大する意向を示し、米国の情報機関について説明を求めた。米側は「情報にかかわるすべての国家機関の報告を集約する必要がある」と説明した。

 日米両政府は中国など共産圏からの日本人引き揚げ者から、その軍事力や経済情勢に関する情報を聞き出す計画を進め、ひそかに協力関係を深めた。文書によると、54年1月、緒方氏と内閣官房調査室(現内閣情報調査室)の初代室長だった村井順氏が米側の当局者と会食。中国、ソ連からの日本人引き揚げ者の尋問計画について話し合った。

 文書は、緒方氏が首相候補として取りざたされる中で、「保守的でソ連圏と政治的親交を持つことはないだろう」と期待を示す記述もあり、55年には本名ではなく、「POCAPON」という暗号名で記すようになっている。

 日本の対中政策の観点からCIA文書を調査している神戸大大学院の井上正也講師(外交史)は「55年の保守合同以前から日本の保守政治家に関心を持ち、緒方氏を親米派として育てたいと思ったようだ」と分析。「CIAは『情報提供者』と見ていたようだが、緒方氏自身は単に米側に協力するだけではなく、日本の自立を考えていたと思う」と話している。(川端俊一)
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