2009-05-15

ベンチ要員を切るインドIT大手の深刻

:::引用:::
中国内陸部最大の都市である西安で、この原稿を書いている。昔の長安、歴代中国の王朝で栄えた都である。秦の始皇帝の兵馬俑とか、唐の時代の三蔵法師と関係が深い大慈恩寺などがある。歴史好きの筆者としては、わくわくとする街である。(竹田孝治のインドIT見聞録)

 しかし残念ながら、この街で遺跡を周り始めると1週間あっても時間が足りない。西安は歴史の街ではあるが、現在では中国最大の科学技術都市である。中国西部の開発拠点として中国政府がこの街を科学技術都市につくり変えていった結果である。

 宇宙開発、軍事研究、中国独自の携帯電話方式TD-SCDMA用の製品開発などは、西安の技術力を抜きにしては語れない。その西安の科学技術を支えるのが大学、研究機関の多さである。約50の大学、500の研究機関が西安に集中している。市内の人口は840万人と聞くが、そのうち80万人を大学生が占めているらしい。

 それだけ学生が集中しているのだから当然、IT産業も発達している。優秀な学生を確保するのには絶好の都市である。日本からもNEC、富士通、日立製作所、東芝、横河電機などが開発拠点を設けている。また、ソフト会社ではソランの開発拠点がある。

 現在の世界同時不況の影響はどうか。やはりオフショア開発は少なくなってきたようだ。現地企業はどこも大連と同じように開発量を維持するのが大変なようだ。しかし大連とは違う面もある。オフショア開発も盛んであるが、やはりここは研究開発の街である。

 総額4兆元(58兆円)にのぼる内需拡大と経済成長促進対策、とりわけIT支援のための6000億元投資の恩恵を最も受ける都市である。TD-SCDMA関連製品でソフトウエア開発の需要も一気に増えるであろう。対日オフショア開発一辺倒の大連と独自製品開発の西安は対照的である。

 さて、中国の軍事研究が西安なら、インドの軍事研究都市はバンガロールである。バンガロールは今でこそ欧米向けのオフショア開発の中心として有名になったが、元々は軍事研究都市である。パキスタン国境から遠いバンガロールの地を、政府が軍事研究の拠点としてつくっていった。

 軍の研究所をつくり、インド科学大学院(IIS)やインド工科大学(IIT)を周りに配置し、インド最大の研究開発都市になった。そのバンガロールの学生の多さがIT企業を生み、育て、世界からIT企業を集めていった。余談ではあるが、バンガロールの交通渋滞の根本的な原因は都市を拡大させる土地がないことにあるが、直接的な原因は市内の中心部を軍隊の施設が占めているためである。

 そのバンガロールの企業の2009年1-3月期の決算はどうなったであろう。やはりインフォシス・テクノロジーズの決算が注目を集めた。前回のコラムでも「非常に好調のようである。ただし、それはルピー建ての話であり、ドル換算するとどうか」と書いた。やはり心配したとおりであったようだ。

 ルピー建てで見ると、売上高は前年同期比24.1%増の563億5000万ルピー、純利益は同29.1%増の 161億3000万ルピーだった。しかしドル建てでは売上高が前年同期比1.8%減の11億2100万ドル、純利益は同2.6%増の3億2100万ドルだった。ドル建てで見ると減収増益だが、ベンチ(待機)要員を大幅に解雇したのではないだろうか。

 同社の創立以来、初めての減収であり、想像できたとはいえ衝撃的である。「サティヤム問題」で世界中から信用を落としているインドIT産業にさらに追い討ちをかけるような話だ。2009年度は連結売上高が43億5000万~45億2000万ドルの間になるという見通しであり、前年度比で3.1~6.7%減になる。

 残るインドIT大手2社、タタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS)とウィプロの09年1-3月期決算もルピー建てでは増収増益だったが、ドル建てでは売上高が横ばいか微減、純利益は2ケタ減だった。

 あるインド大手IT企業に勤める日本人技術者に聞いてみた。まだどこにも発表されていないようであるが、そのIT企業の日本法人でもベンチ要員を次々と解雇しているようだ。中国系企業が、プロジェクトが終わり次第に次々と技術者を解雇したのと同じ話である。

 しかし、ベンチ要員は大事である。ソフトウエア開発で問題が発生し次第、インドITはベンチ要員をつぎ込んで乗り切ってきたのである。言ってみればベンチ要員はインドIT大手にとっての安全弁だったはずである。

 インドでも中国でもオフショア開発のビジネスモデルは最悪の状態である。いつまでこの状態が続くのかはわからないが、製品開発に対する強力な政府施策がある中国のソフトウエア産業の方が早く脱出するのかもしれない。

 いや、インドも早いかもしれない。国会の下院総選挙のためもあって、景気回復策の一環として公務員の給料をいきなり20%も上げることができる国である。研究開発で立ち上がった本来のバンガロールの姿を取り戻せばよいだけである。

 中国には4月29日に入ったのだが、前回のコラムでも書いたように、北京線の機内で「スラムドッグ$ミリオネア」を最後まで観ることができた。スラム出身のジャマールとラティカの恋愛物語で終わったのにはホッとした。29日の夜には寧夏回族自治区の北端で、東・西・北の三方を内モンゴル自治区に囲まれた石嘴山市に着いた。北京から高速道路で1100キロ余りの道程のところにある黄河沿いの街である。

 黄砂による被害で荒地と化した土地に木を植え、畑を耕す、まさに自然との戦いの場である。ホテルから車で4分も行けば内モンゴルで、遊牧民が暮らすテント「パオ(包)」にも行ってきた。イスラム寺院の祈りの場も見せていただいた。実は寧夏行きはITと何の関係もない旅である。
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