2007-11-27

在日華僑4世 「指紋押捺」に思う

:::引用:::
 2007年11月20日から入国審査で指紋採取・顔写真撮影が義務化された。名目上は「テロ対策」ということである。これが私たち在留資格が「永住」であるものも例外なく適用されるということについては、その必要性に「疑問」を感じる。

 日本ではかつて1999年まで外国人登録の際に指紋(左手人差し指)の押捺・提出が義務付けられており、これを人権侵害として在日韓国・朝鮮人を中心と した強い反対運動があった。その運動の高まりと同時に1980年代から1990年代にかけて指紋押捺の義務は徐徐に緩和されて行き、やがて1999年には 永住外国人だけでなくすべての外国人に対して撤廃された。

 しかしアメリカの「9・11」同時多発テロ事件発生以降、アメリカを初めとした世界各国で、テロ対策として入国する外国人に対しての指紋採取、顔写真撮影などの義務化が進められている。これに対する反発も少なくなく、外交問題に発展するなどもした。
 

11月20日、法務省前で新入管法の施行に抗議する人々(撮影:荒木祥)
 日本でも2007年11月20日から入国審査で指紋採取・顔写真撮影が義務化した。これは日本に在住する「永住者」資格を有する者にも例外なく適用され る。ただ、かつての日本の植民地「台湾」「朝鮮」に居住していた人たちだった「特別永住者」だけは除かれている。こうしたことに在日外国人の一部団体では 「人権侵害」であるとして反対の声を上げている。

 私が「指紋押捺」を最初に経験したのは今から45年も前、16歳になって外国人登録をする義務年齢に達した時である。

 当時は現在のように光学的に指紋を採取したりする方法ではなく、油性のべっとりした粘性のある黒いインクをガラス板に伸ばしたところへ左手人差し指を側 面からぐるりと回して指全体にインクを付けて台帳数枚と証明書に直接押捺するのである。まさに自分が犯罪者にされた気分で「屈辱的な不快感」を覚えた。

 その時以降3年(のちに5年)に一度、外国人登録証の切り替えの度にこの「屈辱的な不快感」を経験することとなった。一方、このことはそのつど私に「中国人」を意識させ、より一層私の「民族心」を強くさせるという側面もあった。

 その後「指紋押捺」の方法も「感熱式のシールに押す」という簡便な方法となったが、基本的に犯罪者扱いされているような「屈辱的な不快感」を感じることには変わりない。

 やがて、この「指紋押捺」の義務が廃止されることとなったが、この2007年11月20日から再び入国審査の際に義務付けられ、更に写真撮影もされると いうこととなった。このことは私にとって「不愉快」なことではあるが、日本政府の決定であり「外国人」として暮らしていく以上「反対」することはできな い。

 在日華僑4世として、100年以上も日本在留を続けている我が家の「家訓」の一つに「いかなる悪法といえども、法は法。長期にこの国で安定的に暮らしてゆくためには遵守しなくてはならない」というのがある。

 しかし「不愉快」であることを表明することは自由である。ただその「表明」する方法に「工夫」は必要である。私は親しい日本人に自分の「心情」を「折に触れて話す」ことにしている。

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