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「インド人をだまらせ、日本人をしゃべらせれば一流の議長だ」というジョークがある。議論好きなインド人と、発言が少ない日本人をよく言い当てている。
いろいろな国際会議における日本人の発言は、一時よりは多くなったが、まだ十分ではないといわれる。一つには、日本人がそもそも議論が苦手であるという ことがあるが、さらに外国語、特に国際語になっている英語を使いこなせる人がまだ少ないということもある。会議において発言しないと、賛成していると思わ れるし、意見を持たない人は尊敬されない。
◆日本人は議論が下手
日本人は、議論のキャッチボールが下手である。自分の意見をはっきり言わない。言ったとしても、言い放しになる。人が反対意見を述べると感情的 になる。議論がかみあわない。これは民主主義を育てるためにも問題である。民主主義においては、議論を重ねて意見を集約し、最終的に多数決でものごとを決 めてゆくからである。
私は1960年前後にアメリカのコロンビア大学ビジネス・スクールに留学したが、クラスで米国人学生が積極的に議論するのには驚いた。激論を戦 わせても後に残らない。米国では、子供の時からディベートの教育をしているということで納得がいった。わが国でも小学生からディベート教育を取り入れるべ きであろう。かなり以前から、その必要性が指摘されているが、まだカリキュラムの中に本格的に取り入れられたという話を聞かない。
◆通訳をもっと活用
英語に関しては、とりあえず、もっと通訳を活用すべきであろう。
通訳がいても、発言しない人がいるが、議論が苦手ということもあろうが、通訳を使うことへの後ろめたさがあるのかもしれない。
通訳を使えばコストはかかるが、意思の疎通が十分に行われなければ、会議を開く意味がない。そのことを考えれば、それは、当然かけるべきコストであろう。
通訳を使わない国際会議は、かえって日本の国際化と海外における日本理解を遅らせているような気がする。英語を話せない人の国際会議への参加を阻むことになるし、英語を話せる人が必ずしも日本人を代表しているとはかぎらないからである。
ということで、現状では国際会議などにおいて通訳を大いに活用すべきだが、その間に若者に対する英語教育を充実し、中・長期的にみれば英語を十 分に使いこなせる人の数を大幅に増やす必要がある。すなわち、通訳なしでも国際会議に出席できる人の層を厚くするべきである。直接のコミュニケーションの 方がベターであることは言うまでもない。
そのためには、わが国における英語教育を根本的に改める必要がある。長年にわたりその必要性が叫ばれているが、あまり改善がみられないような気 がする。わが国の英語教育は、もっと実用的であるべきである。アメリカにおける外国人向けの英語コースを受講したことがあるが、非常に実用的なものであっ た。あのようなやり方をもっと積極的に取り入れるべきであろう。
◆低学年からスタート
また、できるだけ早くから英語教育を始めるべきである。今のような英語教育を改めるという前提で、小学校低学年からスタートすることに大賛成である。小学校から始めると、国語の力を落とすことになるという人がいるが、そのようなことはないと思う。
わが国が国際社会の中でより積極的な役割を果たすためには、国際会議などにおける日本のプレゼンスを高める必要がある。そのためには、ディベート教育と英語教育の充実、とりあえずは通訳の積極的な活用が必要となろう。
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2008-12-04
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