「今はどこもエコ、エコって地球の温暖化に警鐘を鳴らしてますよね。でも松井さんは、長い地球の歴史から見れば、地球がちょっとくしゃみしただけというんです。『ああ、そういう発想もあるんだ』と、物の見方が変わりました」
講演会に出席したある社員はそう話す。松井さんとは松井孝典(まつい・たかふみ)さんのこと。「地球温暖化の主因はCO2」説が騒がれる状況に懐疑的な惑星物理学者である。
講演は2008年11月、博報堂内にある人材育成組織「HAKUHODO UNIV.」、通称「博報堂大学」の主催で行われた。博報堂大学では、2005年4月の“開校”以来、年に4回程度、外部のゲストを招き、こうした社員セミナーを開催している。
前回取り上げたソフトバンクの社内セミナーでは、その目的は「家庭と仕事の両立」を支援しようというもの。福利厚生の王道ともいえる目的だった。一方、博報堂では人事人材開発施策の一環として社内セミナーを開催しているという。
イマドキの福利厚生を紹介する今特集。最終回は、企業内大学を組織し、人材育成に力を入れる博報堂のケースを紹介しよう。
すぐに業務に結びつかなくてもいい、大局的視野を養うのが目的
博報堂は、4社から成る博報堂DYホールディングスという持ち株会社傘下のグループ企業の1つだ。博報堂のほか、大広、読売広告社、博報堂DYメ ディアパートナーズから成る。博報堂と博報堂DYメディアパートナーズの社員が博報堂大学で「構想力」を身に付けていくという。
博報堂大学とは、社員の構想力を高めるために企業内に設置した人材育成組織だ。大学では講義やセミナーなどを用意。社員は受講したり自主的な研究活動を行う。
構想力とは、既成概念にとらわれない自由な「発見」力と、チームワークの中で切磋琢磨していく「共創」力、そしてクライアントの抱く課題を解決する「設計」力の3つを兼ね備えたもので、博報堂社員が持つべき必須用件としている。
「講演会は社員の構想力を高めるために開催しています」。人材開発戦略室の渡邉啓(わたなべ・けい)さんはそう説明する。渡邉さんは博報堂大学の運営に携わっている。
広告会社という業種柄、社員は日常業務を通して自由に発想する人々に接する機会も多いだろう。十分、構想力も高められそうだ。「だからこそ、敢えて広告畑とは違う畑の人を呼ぶようにしている」。日常業務とはまた違う大局的な視点が養えるはずというわけだ。
社員の参加は自由で、1講演の参加者は100~150人ほど。登壇者は冒頭の松井孝典さんやノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さんをはじめ、これまで学者、ジャーナリスト、演劇関係者など幅広い人選を行ってきた。
参加者から業務に直接役立ったという声はそれほど挙がらない。だが冒頭ように「物の見方が変わった」という声は聞くという。「今すぐ業務には結びつかない。でもいつか、新しい発想が業務に結びつく時が来るはず」と、渡邉さん。
「人がすべて」だから大学を開校
社内セミナーだけではなく、博報堂大学ではさまざまな人材育成プログラムを用意している。2007年度で述べ約7700人が受講したという博報堂大学とは一体どういう組織なのだろう。
人事制度ともいえるし福利厚生ともいえそうだが、どちらかといえば人事制度に近い「人材開発施策」だという。広告代理業では、弁護士や銀行員など のように公の取得免許による客観的な人材評価は一切ない。「人がすべて」なのだ。だから人を資産ととらえ、よりいい「人財」を育てるため、手厚い人材開発 施策として博報堂大学を開校した。
大学は大きく2段階に分かれている。一般教養に当たるのが入社8年目までで、専攻に当たるのが入社9年目以降だ。専門研究に移る期間はあくまで目 安。3年目以降の社員なら“飛び級”して専攻に移ることも可能だ。大学といっても卒業単位はないから、中退も卒業もない。社員は学びたい時にいつでも自主 的に学べ、新しい挑戦ができる。
とはいえ入社8年目まではやや強制的。一定水準の「人財」になるためのこの基礎課程「構想BASCS」では、主に座学による研修が必須だ。9年目 以降は、社員はよりプロフェッショナルな人材を目指し、各自が自発的に研究を進める。こうした研究活動の場は「構想サロン」と「構想ラボ」という。構想サ ロンでの研究テーマの中から、より実践的なテーマを選び、派生ビジネスまで昇華させているのが構想ラボだ。
構想サロンには、冒頭で述べた社内セミナーやゼミがある。ゼミでは、「人口減少問題」や「大震災時に必要なデザイン力」など、日常業務では触れな いようなさまざまな問題提起とその解決に向けた研究活動を行う。部署の横断型の研究も多く、研究テーマによっては産学協同で行う場合もあるという。
「物の見方を変えながら」進化する構想ラボ、こどもごころ製作所
もっとも実践的な研究活動を行う構想ラボは現在、1つだけ。「こどもごころ製作所」である。このラボは「大人が無意識に従ってしまっているルールや恥を取っ払うための心持ち」=「こどもごころ」を引き出すきっかけ作りを、一般向けのイベント企画として行っている。
こどもごころ製作所の活動は、単なる企業内研究の枠を越えて、一事業として回り始めている。人事に特化した博報堂大学という福利厚生。そこから自然発生的にビジネスが生まれた第1号といえるだろう。
その活動はユニークそのもの。例えば目隠しをしたままフルコース料理を味わってもらう「クラヤミ食堂」は、チケット争奪戦が繰り広げられる人気企画だ。Biz.IDでも以前、リポートした。
2007年に始まったこの企画は、一般客を対象に東京のみで開催してきたが、10回近く開催した2008年夏以降、立て続けにある変化が起こる。 引き合いがあったのだ。まず大阪のビジネスホテル、スイスホテル南海大阪から。さらに京都の学習教材出版社である新学社からも声がかかった。「噂を聞きつ けて声をかけてきてくれた」と話す軽部拓(かるべ・ひろむ)所長の声も明るい。
特に新学社からのリクエストは、イベント企画ではなく、あくまで「社員研修として」だった。リポートでも伝えているように、目隠しの食事を体験することで参加者同士の距離を縮めたり、自分自身を再発見できる効果があるようだ。そこに目を付けた企業からのリクエストとなった。
さて、冒頭で、構想サロンでのセミナーの感想を「物の見方が変わりました」と話したある社員とは、実は軽部さんである。
ある時は最後までメニューを明かさなかったり、ある時は食事中の会話を禁止したりと、参加者の反応を見ながら、毎回少しずつアレンジを変えて改良を重ねてきた。リクエストにより開催した大阪と京都でのクラヤミ食堂も、東京同様成功したという。
以前から「(忘れていた)こどもごころを呼び起こして、なんらかの形で世の中を変えていきたい」「企業の研修にも向いていると思う」と、軽部さん が話していた。地道に種をまき、育てた企画が活動2年目にして結実した。これらは「物の見方が変わった」からこそ実ったのかもしれない。
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