世の中では一般に、華やかに事業を展開している大企業以外の企業のすべてをくくって中小企業と呼ぶが、この呼称は日本の産業経済を底辺で支えているごくごく小さな企業たちへの正確な認識を損ないかねない。
いわゆる『中小企業』の階層構造は複雑で、上場されているものや優に近い将来上場に漕ぎつけられるものから、家族数人で手内職に近く運営されているものま で形も規模もさまざまである。かつまたその特質もさまざまで、他では不可能な技術によって体をなしているもの、例えばアメリカが最先端のロケットやミサイ ルを開発しようとする際、完了した設計をまず試作モデルとして出現させる段階でその後の多量生産に乗せるため設計図通りの第一号製品を作り出すためには超 微妙な膨らみを持つ尖端(せんたん)部分の制作には日本の職人のみが可能な『へら絞り』という、高速で回転させる金属硬盤を遠心力を使って立体的な丸みを 搾り出す技術が不可欠だし、後者の事例としては、規模は小さくとも鋭意な発想を持つ限られたスタッフが全く新しい製品を作り出すケースが沢山(たくさん) ある。
そうした人材のほとんどは世間で有名な大企業には属してはおらず、社会の底辺近くで努力し続けている。
例えば東京都が始めた、東京で開発されたベン チャー技術を表彰するコンテストで昨年高位で受賞した、人間にとっての業病の一つ糖尿病で壊疽(えそ)を起こして壊滅しつつある足の治療に画期的に役立 つ、なんとキンバエのウジを使って腐食した部分を食い尽くさせ健康部分を維持蘇生(そせい)させる技術などまさにコロンブスの卵に似た発想だが、わずか二 人だけの研究所の所産だった。その他毎年表彰される新技術には驚嘆させられる。
こうした試みは本来国家規模で行われるべきものに違いない が、科学技術振興のための役所がありながら国がそうした零細な企業を援助する姿勢を示したことは一向にない。そうした試みが成功すれば、その商品化は大企 業が担当すればいいというつもりだろうが、わずかな資金不足で途中で挫折してしまう企業も数多い実情だ。そうした多大な可能性を秘めた零細企業は金の鉱脈 としてではなしに、いわば川の底に潜む砂金のような存在だが掬(すく)って精練すれば多大な価値ともなるのに。
人間の歴史の進歩は何に よってもたらされたかといえば、それはあくまで人間が新しい技術を手にしてきたことによる。人間は火を手に出来たことで他の動物たちから分化したともいえ る。ついで石器時代、銅器時代、鉄器時代、そして暗く長かった中世は印刷技術、火薬、大洋における航海技術の獲得によって終わり、その延長の現代において さらに過去の三つの新技術に似た、コンピューターに表象されるIT機器による情報革命、原子力技術、宇宙遊泳技術と繋がっている。そしてこの現代、それら の技術体系から派生すべき数多くの技術が保証されているはずだ。そしてその可能性が、大規模なラボをかまえた大企業だけではなしに、なんと社会の底辺に近 い零細な企業に眠っているということが強く認識されるべきだ。
知事に就任して以来私は東京に埋蔵される新しい発想や技術の可能性を信じて私なりに幾つかの試みを行ってきた。その一つはいわゆる中小企業の可能 性開発のためにアメリカのジャンクボンド市場にヒントを得てマイナーな企業の設備投資のローンを担保にかまえた『ローン担保証券』を、ついで社債を担保に 据えた『社債担保証券』を発行し今ではおよそ一兆円の市場となり、関係企業の内すでに七十社が上場に漕ぎつけている。
しかし実は本当に大 切なのはそうした規模の下のさらに下のろくな担保も持たぬ、しかし可能性に満ちた零細な企業の窮地をいかに救うかということなのだ。就任して間もなく NHKの放映したある番組をみて私はショックを受けた。都東の信用組合の支店がお上の目をごまかしてもある零細企業にいかに融資を続けるかと苦労するルポ だった。
私の前任者の時代に都下の信組が事故をおこしそれをきっかけに金融庁はその管理に乗り出してきて、融資の条件についての通達を出 した。しかしそれはきわめて厳しすぎて順守すれば融資の幅がせばまり、つぶれる零細が増えてしまう。ルポの対象となっていたのは老夫婦二人、片やは四十代 の息子と七十代の親たち三人で運営している零細企業で、ともに大企業の製品の重要な部品を下請けしているのだが機械が古くなり欠陥品が出だし思い切って新 しい機械を買い入れた。そしてそのローンを払い出した瞬間から零細な会社としては債務超過となってしまう。故にも金融庁の新しい規制では融資を受けられな くなる。が、実情を知る地元の金融機関としてはこの企業だけはつぶせまいということで、いかにお上の目をごまかして融資するかの苦労だった。そして最後に 役所の高官がインタービューに答えて、『何であろうと決められたルールに合致しないものは、借りる方も貸す方もこの世界から消えてってもらうしかない』と 冷然といい放っていた。この限りにおいては、地元の金融機関の判断の方がはるかに正しいと思う。
以前私の選挙区だった大田区に岩井さんという、物を削ることに関して名人とされている人がいる。以前夫婦二人でやっている彼の工場、といっても機 械が一台据えられただけの十坪ほどのものだが、そこを訪ねていった時、彼がちょうど手がけていた製品について質(ただ)したら、なんと今建設中の原子炉の 芯の軸だった。それを発注した親の親のさらに親の会社はそんな現場を知ることはあるまい。ましてエネルギー政策を司る国の役所などは。
今 批判に晒(さら)されている新銀行東京を私が敢えて作った理由はそこにある。都はすでにいくつかの制度融資で零細企業対策を行ってはきたが、それでもなお それらの制度の対象にもなり得ぬ零細な企業にさらに手を延べる必要は絶対にあると信じている。現にこの経済危機の中で、この秋口の零細企業の倒産は例年比 で三倍となっている。
ただ銀行の運営での思わぬ杜撰(ずさん)さが銀行の危機を招いてしまったが、幸い新しいスタッフは身を削ぐ努力を重 ね最近の決算報告では立ち上がりの兆しをみせてきた。それも評価せずに野党は銀行問題を参議院で敢えて取り上げ政局に利用しようとしている様子だが、新し い金融機能強化法の付帯決議を見ても新銀行東京が欠格しているのは自明であり、第一銀行自体が新法による援助を要請などしたこともありはしない。メディア などによる実態を踏まえぬ批判がまきおこす風評被害に銀行は悩まされてきたが、この経済状況の中でますます金融による救済を必要としている零細企業たちの ためにも、根源的な認識を持たずにこれを政局の具にする不見識は慎まれるべきだ。
日本の経済産業を支え発展させるためにも国政は金融問題 の視点からも、日本の社会における零細企業の、大袈裟(おおげさ)ではなしに無限の可能性について認識しなおすべきに違いない。日本の国家が動かないな ら、どこか身近な外国との提携で東京が埋蔵する新しい発想や無類の技術の育成を計りたいとも願っているが。
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