2008-09-25

大前研一:日本語に強いアウトソーシング拠点、大連の研究

:::引用:::
BPO(Business Process Outsourcing)が注目されて久しい。BPOとは、要するにホワイトカラーがやっていた業務の一部を外部業者に委託することだ。1990年ごろか らは国境を越えたよその国に間接業務を委託することが増えてきている。請負先として特に有名なのはアイルランドやインドだ。またEUの東方拡大とともにハ ンガリーやチェコなども活発にBPOを取り込んでいるし、コールセンターに関してはフィリピンもインドに負けないくらい活発にやっている。変わったところ ではインド洋のアフリカ側にあるモーリシャスが英語とフランス語で業務系の仕事を取るようになってきた。今回はそのBPOの可能性について見ていこう。

 日本にとって最大のBPOの受注国になっているのは中国だ。中国にはアウトソーシングを請け負う地域が11カ所もある。その中でわたしが10年く らい前からアドバイザーとして積極的に支援しているのが大連だ。ここは昔から日本企業の進出が活発なところだが、製造に関しては広東省や上海周辺にお株を 奪われてきたので、日本語や朝鮮語の能力を生かした間接業務のアウトソーシングの基地にすればどうか、ということで当時の市長をしていた薄煕来さん(現四 川省書記)にアドバイスしたのが事の始まりだ。

 まずは大連の位置から確認しておこう。

大連周辺図

 大連は遼東半島にある。東北三省のうち、最も海に出たところだ。地図で見れば分かるように、大連は中国のなかでも特に日本に近い。さらに、日本の各地の空港からも直行便が出ている。直行便なら東京から2時間半、福岡から1時間半くらいで着く。首都北京にも近い。

遼寧省・大連の地図

  大連のある遼寧省の省都は瀋陽である。大連、瀋陽を含めて100万都市が六つもある。大連の先には旅順という軍港があるが、大連もまた昔から有名 な港町である。緯度的には、日本の仙台とほぼ同じで北緯38度だ。といっても冬は平気でマイナス10度、15度に下がる寒い地域である。

 大連の人口は600万人と、シンガポールと比較すると倍近い。デンマークが人口600万人だから、それとほぼ同じだ。言ってみれば大連は、行政区分では「市」ではあるものの、規模は「国」なのである。面積は1万2000km2と、新潟県程度だ。

歴史的にも日本語に強い土壌があった

 遼東半島にある大連という都市は、歴史的に日本との関係が深い。昔は満州地区の代表的な街だった。1898年の日清戦争の後、ロシアが遼東半島を租借した。このとき特別市として扱われた。そういう意味では、大連の基礎はロシアがつくったともいえる。

 その後、日露戦争が起こり、今度は日本が遼東半島を租借した。日本は大連と街の名前を変え、日本の関東州総督府を設置した。いわゆる関東軍がここにいたのである。

  そして1945年、第二次世界大戦で日本が敗戦した。大連には、中国共産党の支配下で大連市人民政府ができた。その後、都市の名前が変わったりも したが、最終的には都市の名前は大連に戻ったのである。もっと古く時代をさかのぼれば、この地(瀋陽=奉天)から飛び出した満族が中国全土を抑えていた時 代もある。金や清である。そのころは満族発祥の地として瀋陽がもてはやされていた。

 このように、この地域は非常に波瀾万丈で、ロシ ア、日本、中国によって支配されてきたのである。それでいまでも日本語やロシア語に強く、中学、高 校から日本語を学ぶ者が少なくない。また大連市も日本語人材の育成に力を入れている。そのために、日本企業がBPOを発注する先としては、中国のなかでも 大連が最も適している。現に日本企業、日本向けのBPOが8割から9割を占めているのだ。

 また隣の吉林省には朝鮮族も200万人と数多く暮らしている。そのうちの半分は延吉(えんきつ)市に固まって生活している。朝鮮語は、中国語よりも日本語に近い。だから、そちらでも日本語を学ぶ者は多い。そして彼らが仕事を求めて大連に集まる。

  わたしも日本語がうまい人にはいつも出身地を聞くことにしているが、吉林省の延吉、と答える人が一番多い。日本語能力を生かすために大連に出てき ているのだ。だから虎穴に入らずんば、ということで延吉に行って日本語が堪能な人を探そうとしたことがあるがうまくいかなかった。というのも、そういう人 材は大連に移ってきているので、もはや大連で人材募集したほうが早いのだ。

 このようにして大連には日本のBPOを請け負うのに適した土壌ができていたのだ。

 大連の現在の市長は夏徳仁氏だ。大連は「計画単列都市」といって、北京政府も重視している重要な街である。特に市長は強い権限を持っており、「この土地をどう活用するか」などは自分で決めることができる。基本的に工業都市であるが、港湾、航空貨物、造船にも強い。

 2003年には国務院から「一つのセンター、四つの基地」というスローガンで、国際海運センター、造船・石油化工・工作機械製造・電子情報産業の基地が設けられた。

  もともと海運に強い地区であったが、港湾もだんだん近代化してシンガポールのPSAインターナショナルなどの助けも借りながら世界一の港湾を目指 して頑張って発展してきた。その港湾を支えるために造船も盛んになったという経緯もある。インテルは現在半導体の上流工程の巨大な工場(投資額3000億 円)を大連に建設中である。これも中国では始めてのことである。

上海などと競合しない道を探せ

 わたしは1990年代に何度か大連を訪問している。当時の市長は薄煕来氏だ。わたしは彼に、次のようにアドバイスをした。

  「部品まで含めた産業クラスターが南の方に次々に出来上がってきているので、大連の工業基地としての魅力は次第に薄れてきている。知的産業で勝負 する、それも得意の日本語能力を使った間接業務のアウトソーシングにシフトしてはどうか」「日本の会社の二人に一人は間接業務、ホワイトカラーですよ。製 造業の会社に行っても半分は間接業務。この部分を下請けしてやることができたら、商いは無限だ。日本語ができる人が多いのが東北三省の特徴なのだから、ア イルランドやインドのようにBPOができるかもしれない。製造業は卒業です」――と提案したわけだ。それを聞いた彼は「名案だ」と答えた。

  その後、彼は数カ月でプロジェクトを起こし、ソフトパークからBPOセンターまで一気に作り上げていった。要するに、技術開発区でも企業の進出は 止まり、南の上海などにはかなわないのは明らかだったので、南と競わない道を探し当てたのである。それは日本語か韓国語でのオフィスのバックルームであ る。日本からなら仕事がいくらでも持ってこられる状況だった。今では電話線一つで、雇用が国境をまたぐ時代である。当時アイルランドやインドがそれを実証 し始めていた。だからわたしは全く新しいことを言ったのではなく、世界の先端事例から類推して、大連=日本語、と結びつけて発想しただけなのだ。

  わたしも実例をもって協力するために日本でジェネラルサービス(GSI)という間接業務のアウトソーシング請負専門の会社を作り、それと現地の有 力ソフトハウスであるNeusoft(東軟集団)で合弁事業を立ち上げた。これが大連Neusoftインフォメーションサービス(DaNIS)という会社 だ。大連に出かける機会があったらNeusoft大学に隣接したこの会社も是非訪問してもらいたい。同時にアルパインや東芝、そして世界中の有力企業がい かに大連の日本語環境をうまく取り込んでいるかを見学することはとても有意義なことだと思う。実はわたしは世界中のBPOセンターを見てきているが、国境 をまたいで仕事が電話線一本で移っていく(!)と15年くらい前の著作で叫んでいたことが、今では「当たり前」になっているのだ。

 その後、市長である薄煕来氏は昇進して遼寧省長になったため、わたしは遼寧省特別経済顧問になって、遼寧省全体の経済アドバイスをするようになった。

 そして副省長であった夏徳仁氏が大連市長になったのだ。すると彼はわたしに「省だけでなく、大連のこともまじめにやってくれないか」と言ってきた。さすがに省と市の両方の経済顧問は無理だ。そこで、大連市については名誉市民として必要なアドバイスをしている。

 中国の人は今でも義理堅く、現地のテレビや新聞などの取材ではわたしのことを「大連BPOの父」と紹介されることが多い。

生産基地から「ソフト」「情報」「サービス」へシフト

 大連には経済技術開発区やハイテクパーク、ソフトウエアパークなどがそろっている。特に1984年に経済技術開発区となったのは中国で初めての例だった。その面積は388km2で、空港にも近い。戸籍上は20万人が居住していることになっている。しかし実際には、それよりはるかに多い人が周辺都市から通勤している。日本人も2000人、日本企業も600社以上進出している。極めて計画的な工業都市である。

  ここにあるのは工場だけではない。ホテル、銀行、ショッピングセンターもある。主な業種は、石油化学工業、電子情報、大型のエアコン、設備製造、 バイオ、金型などの産業である。進出企業は2200社以上あり、有名なところだけでも、東芝、キヤノン、TOTO、三菱電機、オムロン、マブチモーター、 ファイザー(米国)、大宇(韓国)などが名前を連ねる。

 大連に進出した企業についてもっと具体的に見ていこう。

向研会訪問先地図
経済技術開発区進出企業の概況

  進出企業は日本が非常に多く、実に631社だ。投資額も圧倒的に日本が多く、47億米ドル。次いで韓国、米国、香港と続く。気になるのはここに台 湾が少ないことだろう。台湾から交通の便が悪いこともあり、彼の地から大連への進出はマンションやレストランなどを除いてあまりないのだ。

  進出のピークは1990年代の半ばから後半にかけてである。当時は中国が世界の生産基地として隆々と成長していた時期である。しかし、大連のピー クは短かった。世界の生産基地としての役割は、大連よりも南の地域、例えば上海周辺や広東省、青島、天津に移ってしまったのだ。

 だか ら、大連はほかの道を探していた。その答えが上述のように「ソフト」「情報」「サービス」だったのである。そしてすぐにそちらにシフトして いった。もしこの大胆なシフトがなければ、今ごろは寂しい街になっていたのではないだろうか。見事な切り替えであった。そこには薄煕来氏の「IQとITに シフトしよう」という強烈なリーダーシップがあったことを強調しておきたい。

税制や法律が突然変わるお国柄

  ちょうどそのシフトを起こす直前は、大連だけでなく、付き合っていた日本企業も困っていたことが思い出される。進出当初は、日本で部品を作り、そ れを中国に持っていって組み立てて、輸出に回した。ところが部品工場がだんだん中国南部に移転した。そうなると、中国で部品を作り、中国で組み立てて輸出 するという構造に変わる。

 ところが大連周辺には部品業者が少ない。だから、地元で部品調達 → 組み立て、というビジネスモデルに転身することはできなかった。そのため広東省で部品を買って輸出手続きをして、もう一度大連で輸入して持ってくるのだ。 陸路では9日間もかかっていた時代である。こんなことをしていたら、大連も日本企業も困る。上海や広東なら6万社の部品業者があり、ジャストインタイムで 部品が買える。部品製造から組み立てまでが早い。当然、資本は広東やグレーター上海(江蘇省、せっこう省、上海特別市)に流れる。

 大連はBPOの基地として成功したのだが、安穏とはしていられない。最近は外資系企業の法人税優遇の撤廃など、ブレーキをかける変化が起こってきている。

  まずは企業所得税。これまでは中国企業に高く、外資系企業に低く設定されていた。これが中国企業にも外資企業にも等しくかけられるようになった。 だから今までが特別優遇されていただけで、フェアになったというのが正しい認識だ。新しい税率は25%である。ゆとりのない企業には20%に抑えるなどの 例外も用意されている。

中国の企業所得税法のポイント

 しかし、今年(2008年)1月1日に突然施行されたので、とまどう企業が多い。とはいえ、日本の40.7%よりははるかに安いのだ。日本企業に文句を言われる筋合いはないというのが中国の気持ちだろう。

人件費アップでも中国に依存する理由

  もう一つは労働契約法だ。こちらも今年1月1日から変わった。労働者の待遇を改善するのが目的である。しかしこれによって中国の良さ(というと、 失礼に当たるかもしれないが)が失われてしまうのも事実だ。この場合の中国の良さとは、人材の調達のしやすさである。特に広東省については労働力を斡旋す る人がいて「1000人使いますから1000人連れてきてください」と言うと、本当に1000人用意するのだ。そして忙しいピークが過ぎたら「集めたうち 300人はもう要りません」と言えば引き取ってもらえる。さすが世界の生産基地である。雇用する側から見れば非常に便利だった。

 とこ ろが、そういうことは長くは続かないものだ。今度の新しい労働法では、勤続10年以上の労働者は終身雇用を提供しなくてはいけない。またある 期間だけの契約を2回結んだら、3回目以降は事実上の終身雇用をしなくてはいけない。仮に企業が正しい雇用契約を望まないときは、しかるべきペナルティ、 つまり退職金を払って解雇することになる。その目安は勤続年数と同じ月数の月給を払うことである(例えば5年勤続なら5カ月分がペナルティとなる)。内部 規定を定める際には労働組合にも関与させる必要が出てきた。

中国の労働契約法のポイント

 これが突然決まったので、パニックを起こしている企業も少なくない。利にさとい韓国の企業は夜逃げ状態で撤退している。広東省の香港系企業なども急速にやる気を失っている。一気に変えるのではなく、中間的な段階を経て、徐々に変革させる手もあったのではなかろうか。

  この大きな変革により、人件費がアップするのは間違いない。それでもまだ中国の方が日本よりも人件費が安いことに違いはない。むしろ人件費が上 がってもその分、生産性を高めてくれれば、利益は出るだろう。わたしも中国の企業の経営者であるが、政府の突然の施策変更〔おふれ〕に関してはもう諦めて いる。

 それは中国に変わる生産基地が世界広しといえどもないからだ。ベトナムへの移転を考える経営者もいるだろうが、同国の人口は 6000万人強であ る。広東省の人口よりも少ないので、中国からベトナムへ一気に移ることはあり得ない。産業基盤(工業団地、道路、港湾、住宅、鉄道)や汚職のことを考えれ ばベトナムで中国以上のことができる状態ではない。

 次回は、今回名前が出てきたNeusoftをはじめとする大連の企業を中心に解説する。

現在、大連を代表する会社を二つ挙げるとすると、NeusoftとDHC(日本の化粧品会社とは別である)になるだろう。

 Neusoftについては前回も 簡単に触れた。東北大学のコンピューター学部の教授(現副学長)であった劉積仁氏が作った会社である。東北大学といっても日本の仙台にある大学ではなく、 中国東北地方を代表する国立大学である。Neusoftは、もともとは東北大学のある瀋陽に本社を置いていたが、大連にも進出して大成功を収めている。

 劉積仁氏は若いころに米NBS(アメリカ連邦標準局)に留学していた。そこで開発に適した環境をつぶさに見てきた。中国から米国に留学した学生は、その学術環境の良さからそのまま帰国しない者も少なくないのだが、彼は帰国して、中国にも米国並み環境を作ろうと尽力した。

劉積仁 博士 プロフィール

  折しも、カーオーディオやナビゲーションシステムを作っている日本企業のアルパインが中国でパートナーを探していた。そのときに劉積仁氏とアルパ インの沓澤虔太郎社長(当時)が出会ったのである。劉積仁氏はにわか仕込みのプロポーザル(提案書)を手に「我々は資本金1億円くらいの会社を作りたい。 ぜひ5000万円出してくれ。自分たちも5000万円出すが、お金はないので汗で出す」と都合のよい訴えをした。

 それを承諾したアルパインも大したものだと言えよう。こうして、彼は汗を出して(つまり無報酬で)、大学の教授をやりながら、合弁会社Neusoftを設立したのだ(詳しくは「日中合作―中国No.1ソフト企業誕生の物語」小学館スクウェア、参照)。

東軟集団有限公司(Neusoft Group)概要

  こうしてNeusoftは、アルパインからカーオーディオやナビゲーションの地図を作成する仕事を請けることになった。カーナビゲーションは目的 地を入力すると、「右に曲がれ」「左に曲がれ」と逐一指示を出してくるが、あの内容はこのNeusoftで手がけていたのである。わたしも2001年に初 めてその様子を目の当たりにしたときは驚いたものだ。中国人が日本語でGPSの内容を入力しているのだ。当然、地名もすべて日本語で難なく入力している。

  Neusoftはほかにも医療機器であるCTスキャナー、MRIなども手がけている。彼らはコンピューターサイエンスを大学で学んでいるだけあっ て、コンピューターが得意だ。それで、医療機器も自分たちで開発し、GEなどの4分の1のコストで作ってしまった。その結果、中国のシェアの半分を1年で とってしまったのである。大学発の企業(校弁企業)であるので基礎研究にも強いし、人材も豊富なので、自分たちでゼロからいくらでも作ることができるのが 彼らの強みだ。

 Neusoftはそれから4~5年して上海の株式市場に上場するまでに成長した。ソフトウエア会社としては中国で最初 のことである。いまでは従業 員数を見ると1万3000人という大会社で、中国を代表する堂々たるソフトウエア会社だ。金融や通信などの大きなシステムも、政府やいろいろな企業に成り 代わって開発している。

 また組み込み系ソフトも得意で、こういう仕事もBPOで請け負っている。売上そのものはまだ日本円にして 600億円、700億円にすぎないのだ が、成長性を見込まれている。時価総額が3000億円と高いのはそのためだ。海外では日本、米国、香港、UAE、ハンガリー、インドに支店を持ち、中国内 外で1万5000社向けのソフトウエア開発をやっている。

即戦力を育てる教育事業

  なかでもすごいのは教育事業である。大連にNeusoft Institute of Information(東軟情報学院)という大学を作って、(その後作った成都および南海のキャンパスと併せて)2万3000人の学生を集めて教育し、 自分のところで雇用したり、クライアントに紹介したりしている。いわば職業トレーニングをして、優秀な人(特にエンジニア)を育てて自分たちの関連の深い 会社に優先的に紹介しているのだ。もちろん自分たちのところには一番優秀なのを採ってくる。ここはいわゆるアカデミックな大学ではなく、実務大学なのだ。 特にコンピューターサイエンス、プログラム、CADや分野別組み込みソフトを重点的に教えている。また英語と日本語は必須科目となっている。仕事のほとん どが日本からのものであるし、ITでは今後、英語でインドと競争しないといけないからだ。

Neusoftの人材開発事業(大学事業)

  こうして大学を中心にして周りにハイテクパークを作ると、企業が寄ってくる。文字通りの産学協同で先進的な研究が進み、地域経済にも寄与する。こ うして大連の例が成功すると、ほかの都市でも「負けてはならじ」と真似をする。それが成都だ。Neusoftは成都の書記および市長から依頼されて、ここ にも大学を作った。これがまた成功して、次には広東省の南海でも同じようなものを作った。こうして中国の3カ所にこういう大学を中心としたハイテクパーク ができているのだ。

 また社会人になった後の教育を引き受けているのもNeusoft大学の特徴だ。ITは進化が早い。それに対応するために社会人になってからもここで学ぶことができる。あるいは社会人になってから日本語を身につけることもできる。

 いまでは劉積仁氏は中国ソフトウエア協会の常務理事、インターネット協会副理事長、APECの中国代表、晴れて共産党員にまでなっている。中国のビル・ゲイツとまで呼ばれる人物だ。

もはや中国のメリットはコストだけではない

  本稿冒頭でも触れたDHC(大連華信計算機技術有限公司)はハイテク中のハイテクの会社だ。非常に難しい構造計算をやっていると同時に、日本では ソフトウエア技術者が非常に少ないシステムまで手がけている。例えばNECのACOS(エイコス)やNTTのDIPS(ディプス)といったメインフレーム 向けの開発・メンテナンスは、日本ではそれを扱える技術者がほとんどいなくなってしまった。

 しかし、DHCではそれを扱える人材を確 保している。つまり、日本企業がここに仕事を頼むのはコストだけが理由ではないのだ。日本ではもう扱えな い仕事をやってくれる人材がいるというメリットがあるからこそ、ここに仕事を委託しているのである。DHCは大連では第2のソフトウエア会社になってい る。東北地方にある大連では、中国のほかの地方と違って「農耕民族」的な粘り強い人がまだまだ採用できる。転職が「国民的スポーツ」といわれる中国では珍 しく、やり方次第では離職率を低く抑えることができる。

 わたしが関与したDaNISにも触れておきたい。ここは大前研一グループであるGSI(ジェネラルサービシーズ)と Neusoftの合弁会社だ。DaNISとは大連ニューソフト ソフトウェアサービスの略である。産学協同で日中の架け橋のような事業を展開している。業務内容は、データ入力、CAD、間接部門のアウトソーシング、ソ フトウエアの開発だ。高い日本語能力を持ち、ISOも取得している。

DaNISの概要

人材が集まるハイテクゾーン

  大連市長だった薄煕来氏が「これからはITだ、IQだ、ハイテクだ」と大幅にかじを切ったころに、大連にはハイテクゾーンが作られた。ここが大連 のソフトウエアの生産基地の中心だ。主な産業としてはソフトウエア、情報サービス、マルチメディア、バイオ・製薬、デジタルエンターテインメント(アニメ など)がある。そこにはNeusoftが作った二つのソフトウエアパークが存在する。

大連ハイテクゾーンの概要

  異なる産業ごとにエリア分類されており、ソフトウエアパーク、DDパークなどがある。ちなみにDDパークはデジタルとDNA(バイオのこと)を扱 うエリアだ。デジタルとDNAだからDDパークということである。このようなパークが集合して、「国家ソフトウエア産業基地」「国家ソフトウエア輸出基 地」という認定を受けている。

 このハイテクゾーンには理工大学、経済大学、さらにはいろいろな国から来た企業が研究所を作っている。 まさに中国のブレーンのような場所になって いるのだ。また、ここには日本からも松下、ソニー、NEC、日立、オムロン、沖電気が進出し、米国からはデル、GE、IBM、アクセンチュア、欧州からは シーメンス、SAP、ノキアといった世界の名だたる企業が約2300社も進出している。2300社とはすごい数ではないか。薄煕来氏の考えは「大当たり。 大成功」といったところである。

 また米国に留学していた中国人の帰国を想定してインキュベーター(起業支援の業者、制度、設備)も用 意してある。彼らのためにブロードバンド環境 のある事務所を低価格で貸してくれるような施設が準備されているのだ。帰国する者が少ない留学生を、中国に、いや大連に帰ってきてもらうためのものであ る。

 これらが実現したのも大連政府が誠実に取り組んだからである。こうした政府や企業、労働者の尽力でいろいろな会社が発展し、地場産業も豊富になってきた。NeusoftやDHCが成長したのも、このような背景があったからこそである。

 このような大連の発展に寄与した人物を二人挙げるなら、大連市長だった薄煕来氏とNeusoftの設立者である劉積仁氏以外にいない。

「中国一、世界一」を目指せというスローガン

 中国のような社会主義の国では、企業のリーダーの資質も重要だが、政府の指導力も軽視できない。では、中国政府におけるBPOの取り組みはどのようなものなのか。

 これについては温家宝首相も胡錦涛国家主席も同じスタンスだ。ほかの人からヒントを得て、それがよければ「それをもっとやりなさい」という、中国おなじみの手法である。指導者が自分からアイデアを出すわけではないのだが、いいものを見つけたらそれを積極的に推進する。

  2007年に大連でダボス会議が開かれたが、それに出席した温家宝首相はNeusoft、あるいはDHCを見て、「これはすごいではないか。 BPOなんて聞いたことがないが、大連の人はみんな使っている。もしかしたら国家繁栄の基になるかもしれない」と考えたに違いない。そして「大連のソフト 産業、アウトソーシングサービスは中国一の、そして世界一の座を獲得してください」と訓示したという。そのため、大連では至る所に「大連は中国一、世界 一」というスローガンが大きな看板に書かれている。

温家宝首相の訓示

  この「良いものを見たらそれを積極的に推進する」という手法は鄧小平の伝統ともいえる。彼の「先富論」は、「先に金持ちになりたい人はなりなさ い」というものだった。多くの場合、先に金持ちになったら、ねたまれて足を引っ張られるのだが、彼の考えでは「どんどん金持ちになって、中国人でも金持ち になることを証明しなさい。そしてうまい事例があったら、ほかの者も真似をして金持ちを目指しなさい」というものだった。

 この手法はリーダーとしては楽である。自分では指針やアイデアを出す必要はないのだから。既に誰かが考えたいいアイデアを見て、「ほかの者よ、あれを真似してやりなさい」と言えばいいのだから。温家宝首相の「中国一、世界一」という言葉も、それを継承したものであろう。

BPOで活性化を図る中国政府

 中国政府がアウトソーシング産業の振興拠点として指定したのは、下の地図にある11カ所である。2006年10月に指定されたのが、深セン、上海、西安、成都、済南、大連。その12月に指定されたのが広州、武漢、南京、天津、北京だ。

中国政府がアウトソーシング産業の振興拠点として指定した「国家軟件服務外包基地

 中国政府は、いまのインドやフィリピン、アイルランドなどを研究して、「BPOを伸ばしていくことが非常に重要だ」と分かってきている。製造業だけでなくIQ、ITの重要性を理解したからこそ、この11地域を指定したのだろう。

 挙げられた地域を眺めてみると、ごく妥当なところである。というより妥当すぎて逆におもしろみのないところばかりだ。わざわざアウトソーシング振興として指定する必要は感じられない。「工業化振興」として指定されてもおかしくないような都市ばかりではないか。

 ところでBPOが中国全体で活性化しているということは、逆から見れば地域間の誘致競争が激しくなっていくことを意味する。「BPOの受注先を探している」と声をかければ「ぜひうちに来てください」といくつもの手が上がる。

 日本語が使えるBPOとして見るならば、やはり大連が圧倒的に強い。ほかの地域は、日本語もさることながら、英語などほかの言語が含まれてくる。わたしもいろいろ検討してはみたのだが、大連以上の地域を探すのは難しい。

日本語ができるBPOとなるとやはり大連

  世界規模でBPOの拠点のランキングを見ると、強いのはインドである。BPOの元祖ともいえるバンガロールにはインフォシス、ウィプロという企業 がある。ニューデリーにも結構なハイテク企業がある。マニラは最近赤丸急上昇中だ。10万人規模の米国のコールセンターを請け負っているほどである。

オフショア拠点としての都市ランキング

 大連は9位には落ちるものの、日本語でのBPOとしては世界一である。それには各都市の傾向を比較してみるのがよい。

代表的な都市の言語能力・コスト比較

  北京や上海は、そもそも人材獲得競争が激しい。そして英語はよいが、日本語についてはレベルが落ちる。大連はといえば、英語も日本語も強い。競争 は中くらいということであるが、実際には日本人が人材を奪い合っている状況だ。大連においても日本語ができる人材は不足しているのだ。

  ちなみにインドのバンガロールは競争が極めて激しい。「インドは人材が豊富」というイメージがあるが、実際に行ってみるとそんなに生やさしいもの ではない。希望するレベルの人材を得るのはなかなか至難の業である。離職率が30%もあるので今や数万人規模となったBPO・IT企業の現状の規模を維持 するだけでも年間1万人以上採用し、教育しなくてはならない。大連の離職率の低さは実は隠れた競争力、とわたしは見ている。

人件費の優位性が下がってきた中国

 今後のBPOの将来について、一番の懸念は人件費だ。人件費の安さが中国にBPOを委託する大きな要因であることは否めない。しかし、中国は以前ほど人件費において優位性がある状況ではないかもしれない。あるいは、優位性があったとしても長くは続かないだろう。

中国の主要都市の人件費(元/月、2006年)
大連市の人件費の推移(元/月)

 都市別に人件費を比較すると、広州や北京、上海に比べ、大連は3割ほど安い。安いといっても大連市では人件費が年間12%程度上がり続けている。

 さらに元高も人件費アップに影響している。元そのものがスライドしてきて、6.8元が1ドルにまで高くなった。かつては8.2元だったのだから、25%くらい高くなったのである。人件費で見れば、大連の競争力はかつての半分くらいに落ちている。

日本の半額で済む大連の人件費

 次に大連の日本語人材の給与を見てみよう。

大連市の職種別の日本語人材の給与レンジ(千円/月、2007年)

  月給で計算すると、事務職なら3万円から6万円、営業職なら10万円を超える人もいる。BPO/データ入力は3万円から6万円だ。しかしコールセ ンターとなると高く、5万円から13万円となる。もちろん今ではこれに福利厚生費や退職金の準備金、そして管理費や教育費がかかるから、ざっと考えて日本 の半分、とみればいいだろう。しかし、最近では日本での採用・教育がかなり難しくなっているので、コストよりも雇用の安定性などの理由で大連に進出する企 業も少なくない。

 コールセンターが高いのは、「日本語を流ちょうに話す」能力が求められるからだ。データ入力なら、読み書きする能力 だけで十分だ。しかしコールセ ンターは電話で直接相手をするので、無理難題を言うモンスターカスタマーに対応しなくてはいけないケースもある。そういうのは日本人でも難しい。

  わたしはコールセンターに関してはどちらかというと否定的だ。ヘルプデスクや社内向けのものならよいが、顧客の場合、トラブルとなってしまうとこ じれることが多いからだ。実際、大連にコールセンターを移してCS(customer satisfaction:顧客満足度)を大きく落とした大手の会社がある。トラブル処理できるほどの日本語能力は期待しない方がよい。

  SE(system engineer)ならさらに月給は高く、8万円から16万円になる。組み込みソフトを例に考えると、日本で開発するなら外注費としてSE一人あたり月 100万円程度とみて計算する。コストを抑えるために小規模企業に委託するとしても一人あたり60万円から70万円はかかるだろう。それが大連では(給料 と管理費を合わせて)30万円程度に抑えられる。

 実際には給料以外に設備費や交通費もかかるので単純計算はできないが、同じ仕事を大 連に移すだけで、その経費は半分くらいに抑えられるのである。 また最近では、開発人員が不足している場合や急いでいる場合など、コストはそれほど差が無くても、人員確保が比較的容易な中国のIT企業へ業務を委託する ケースが出てきている。

BPOの委託先、日本と欧米では競争がない

 日本からのBPOの委託先を欧米と比較してみよう。

日米における現状のオフショア開発の委託相手国・地域(%、MA)

 欧米が委託する先は圧倒的にインドが多い。しかし、日本からの委託が多いのは中国だ。インドは2位である。つまり、日本と欧米ではBPOの委託先で競争することは少ない。少なくとも東北三省に行けば欧米企業とは競わない。

 次に日米における開発委託先の選定ポイントを見よう。

日米における現状のオフショア開発委託先企業の選定ポイント(%、MA)

  1番のポイントは語学だ。特に日本語の場合は、ここのパーセンテージが高い。日本における2番目のポイントは価格だ。逆に欧米は価格によりも技術 力や実績のポイントが高い。ちゃんとした結果を出すところ、良い品質で納期を守ってくれるところを評価するように、構造が変化してきているのだ。

 ここでわたしが思い出すのはNeusoftの劉積仁氏の言葉だ。「米国ではIT技術者が育たない。弁護士やクリエーターになったほうがいい。IT技術者のように、こつこつやるような仕事は外国に持っていかないと仕方がない」

 つまり、米国では、SEのような仕事はコストが高くなっても外国に持っていかないと成り立たなくなってきている。だからこそ、インドや中国にBPOが委託されているのだ。

日本語のコミュニケーションを過度に心配する日本企業

  日本企業がBPOに取り組む上での課題を見ると、言語問題でのコミュニケーションが一番に挙げられている。しかしわたしは逆に問いたい。本当に現 地の人とコミュニケーションを取ったことがあるのかと。現地に社員を送り込み実際にコミュニケーションを取ろうともしないで、ただ印象だけで「日本語でコ ミュニケーションが取れるか心配」と言っているだけの人も多いのではないだろうか。

 例えば、VoIP(いわゆるインターネット電話) を使って一日中、日本と連絡を取りながら品質管理をしている人もいる。もちろん日本語でコミュニ ケーションを取ってである。全員が日本語に堪能とは限らないが、リーダー格の人材ではコミュニケーションに問題がない人も少なくない。

  次に挙げられるのが情報セキュリティーだ。これは当然、心配する向きも多いだろう。しかし、これについては相手任せでは駄目なのだ。発注側が現地 に責任者を送り込んで、社員トレーニングも含めてセキュリティーを管理しなくてはいけない。そこさえしっかりやれば克服可能な問題だ。

  ここでもう一つ見ておきたいデータは、日本国内の組み込みソフトウエア技術者の推移だ。組み込みソフトとは、家電製品などの機械に組み込まれてい るソフトウエアのことだ。携帯電話や自動車はもとよりデジタルカメラや炊飯器にも使われている。この開発者は日本に24万人ほどいるが、約10万人不足し ている。この不足分を海外に求めなくてはいけない。

国内組み込みソフトウェア技術者数の推移(万人)

  特にGPSのようなものは、日本の人件費で作ろうとしたら、企業がパンクしてしまう。「四つのレーンのうち右のレーンだけが右折可能」といったよ うな細々とした情報を入力できるのは、大連のような人件費の安いところで作業しているからである。そうでもしないと、現在のカーナビの価格では収まらな い。だからこそ、Neusoftのように瀋陽で開発する価値が生まれるのだ。

さらなる日本語人材を育成することが大連発展の道

  BPOは人件費の問題が大きい。しかし、大連も含めて中国では賃金が上昇し、コストメリットが2000年代当初よりも薄くなっている。ただ、上 がったとはいえ、人材の能力を考えれば、決して悪くはない値段である。また、大連などは人材の定着性も良い。中国の南の都市では、すぐに転職する者も多い のだから。

 一方、日本でも雇用が難しくなって、派遣やパートを雇うことが難しくなっている。それを補完する目的でBPOとして海外に 持っていけば、日本企業 はパートナーや派遣の問題を気にしなくて済む。それでいて、大連なら日本語で業務もこなせる。しかも、中国であれば24時間体勢でのコールセンター業務も 可能だ。もはや日本では24時間体勢を敷くのは極めて難しくなっている。

 そうはいっても大連には日本語ができる人材は10万人程度し かいない。それを多くの日本企業が奪い合っている状況だ。だからわたしは大連で50万 人規模の日本語人材を早急に育成しなさいとアドバイスしている。そのためには中学、高校で日本語のコースを取ったら奨学金を出すなどの対策を大連政府がや るべきだ。大連は古くから日本語教育に熱心ではあったが、これから「中国一、世界一」を目指すのであれば、さらなる強化が求められる。

 いずれにせよ、大連市は古くから日本語人材の育成に注力しており、日本にとって重要な地域である。そこを支援するのは日本企業にとっても得なことだ。大連は、今後も日本語人材の供給拠点として、BPO拠点として、大きな可能性を秘めている。

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