2008-09-25

歴史的グローバル経済

:::引用:::
2008年9月は市場関係者にとって、後々歴史的大イベントとして振り返ることになるだろう。9月9日の福田康夫首相の辞意表明、9月15日のリーマン・ ブラザーズの破綻、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)への米国政府による救済支援、それに続く日米欧6中銀による米ドル資金の供給、そ して米国政府の75兆円にも及ぶ不良資産買い取り策の発表と非常事態が次々と押し寄せている。即断、即決で金融クラッシュはひとまず回避された 米国の金 融株が一斉に急落したのはリーマン破綻のニュースが出た9月15日である。5大証券会社のうち3位のメリルリンチはバンク・オブ・アメリカによって買収さ れ、4位のリーマンは倒産、5位のベアー・スターンズもJPモルガン・チェースによってすでに5月に買収されたことにより、上位2社のゴールドマン・サッ クスおよびモルガン・スタンレーのみが残された。その2社も9月18日の取引では日中価格でゴールドマンが25%安、モルガンが46%安になるという、ま さに金融システムの全滅的崩壊を暗示させる展開となった。 山一証券や北海道拓殖銀行が倒産した1997年の金融危機は、あくまでも日本という地域限定型 の問題であり、世界経済に及ぼす影響もほぼ皆無であったが、同じ公的資金注入といっても今回は世界の金融マーケットを巻き込んだ壮大なものである。そし て、スピードという点ではたった数日間で決断を下さなければならないほど緊迫した綱渡りであったが、さすが金融大国ということだけあって、米国政府の動き は迅速だった。 リーマンが破綻した時点で「公的資金は発動しない」と言っておきながら、翌日には「AIGを公的資金で救済する」というのは矛盾している のではないか、という意見もあるが、米国4位の証券会社と米国最大手の生命保険会社とでは破綻した場合の意味がまるで異なる。AIGが破綻していたらそれ こそ、世界中の株式市場の時価総額は一気に失われていたことだろう。それを寸前で回避したというのは前向きに評価せねばならない。株式市場は困難と向き合 うことに 今回の事態は現在の金融システムがいかにグローバルにつながっており、かつあまりの巨大化により米国といえども一国の力で容易にコントロールで きないかをまざまざと見せつけた。そして、世界の株式市場もまさに全員が一緒に手をつないで同じ籠の中に入っていることも我々はあらためて認識した。 救 済策の発表後、とりあえず株価は世界同時に急反発する展開となっているが、行き過ぎた下げ相場のリバウンドが一巡した時点で先行きは再び不透明になるだろ う。そして、知恵を絞って繰り出された数多くの施策が我々の直面している難問題を本当にひとつひとつ解決できるかどうかで世界の株式市場の今後のトレンド は決まっていくだろう。米国の不動産市場の一段の下落はないか、不良債権の処理はスムーズに進められるか、米国政府の財政問題の悪化は大丈夫か、金融機関 のさらなる破綻はないか、世界経済の減速は大丈夫か、など今後残されている懸念材料は尽きない。外国人投資家の日本株への判断 世界同時株安で見えづらく なってしまったが、外国人投資家による日本の見方はいっこうに良くなっていない。最近のコラムでも何度か触れたように、日本市場における売買の50%以上 が外国人投資家によって占められている。この比率は年々上昇傾向を続けているが、いま一度この事実を我々日本人投資家は再確認しておく必要がある。なぜな ら、日本のマーケットを短期的にも長期的にも動かすドライバーはもはや外国人の手に委ねられているからである。 近年の日本のマーケットの上昇局面を見る と、必ず外国人投資家による日本買いが巨大な力となって働いている。そして、それは日本が非効率的な面をぶち壊し、企業および国が同時に活性化するための 行動を起こすことを示すイベントがカタリストとなっているのである。最近の非常に困った傾向 さて、最近の日本が世界に発しているメッセージを考えてみよ う。「自発的にメッセージなど何も発していない」と政府関係者は言うかもしれないが、当事者の意識に関係なく、重大なメッセージを送り続けている。安倍晋 三首相に続き福田首相も辞任を表明したが、トップのリーダーシップの欠落ぶりや日本国運営の情熱の無さを露呈したことによって、「日本は立て直せないし」 「立ち上がろうともしない」というメッセージを外国人投資家は受け取っている。また、規制強化や外国人投資家を締め出すような動きも強まっている。 それ に加えて、私が最近痛切に感じるのは日本の外交力の低下である。昔から日本は外交が得意ではなかったが、最近はその許容範囲を超えているとこちらが地団太 (じだんだ)を踏みたくなるほどの状況にある。多くの読者の方々も同じ思いだろう。 外交とは常に国益と国益とがぶつかり合う場である。「ぶつかり合う」 ことこそが出発点であり、そこから妥協点や発展的解決策を見出して「調和する」というのが一般的なプロセスである。ところが、最初から意見をぶつけようと しない態度が極端に増え、日本の国際社会における地位低下を印象づける現象が頻繁に出現している。なぜ、いまだに拉致問題は全く進まないのか、なぜ日本の 領土問題は不利な立場にどんどん追い込まれているのか、なぜ実害を被っている食品問題にあれほど穏やかなのか、なぜ得るところのない軍事的活動のサポート を続けているのか――など、本当なら日本の主張すべき立場を主張していないことが多すぎるのである。世界の国々はたとえ状況が不利な場合でも精いっぱい主 張している。それがあるべき姿であり、お互いどうし理解することができる。 日本の最近の外交は相手国との問題点をぶつけようとせず、むしろそれに触れな い、最初から避けようとするシナリオで切り抜ける態度でおこなっているため、世界中から非常におかしなヤツだと見られているのである。「こいつはいいカモ だ、徹底的に利用してやれ」とはもちろん表立っては言わないものの、世界の目は皆そう思って日本を見ている。各国による無理・難題の押しつけはまさにその 裏返しである。 もちろん日本人として居たたまれないことであるが、それ以上に外国人投資家たちは首をかしげると同時に、日本の「負」の特異性に対してま すます顔をしかめることになる。 調和とはぶつかり合うことなくして決して生まれてこない。まもなく新首相が選ばれる。5名の立候補者のうち麻生氏が最も 有力とのことだが、新体制において適正なる調和とは何たるものかを、身をもって示して欲しい。(JPモルガン・アセット・マネジメントマネジングディレク ター シニア・ポートフォリオ・マネジャー 太田 忠 氏寄稿)
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