2007-09-07

TV:シリーズ 証言記録 兵士たちの戦争

:::引用:::

TV:シリーズ 証言記録 兵士たちの戦争 

無数の人命を奪い国土の多くを灰燼に帰したアジア・太平洋戦争。その“敗戦”から60年あまり、戦場体験を持つ元日本兵は大半が80歳を超えている。この番組は、高齢化が進む元兵士の証言を、NHKの全国の放送局で収集し記録するシリーズ番組である。
 戦時中、陸軍は日本各地に師団や連隊を置いて兵士を召集し郷土部隊と呼んだ。また、海軍や航空隊は地域ごとの招集を行わなかったが養成所や拠点は日本各地に置かれ、地域ごとに特徴がある。
 番組では、各県の設置部隊(郷土部隊)を取り上げて、戦争体験の証言記録を網羅的に行う。各部隊は特定の戦場に部隊ごとにまとまって派遣されているため、一つの部隊の証言はそのままインパール戦やフィリピン戦など重要な戦場の記録でもある。

第1回 西部ニューギニア 死の転進 千葉県・佐倉歩兵221連隊

 千葉県佐倉で編成された歩兵第221連隊。西部ニューギニアに派遣され、本格的な戦闘がなかったにもかかわら ず、餓死や病死で死亡率は8割にも及んだ。作戦の混乱によって繰り返された転進命令でジャングルを放浪する兵士達。膨大な死の実像に迫るとともに、戦友達 の死をどう受け止めるべきか今もなお自問を続ける生存者達の証言を聞く。

第2回 北部ビルマ 最強部隊を苦しめた密林戦 福岡県・久留米第18師団

 第18師団は、別名・菊兵団。陸軍最強の証として「菊」の名を与えられ、中国・シンガポールなどの激戦地で4 年間勝ち続けた。しかし、ビルマでは苦戦に次ぐ苦戦の果てに敗北。過酷なジャングルの戦いに戦略よりも精神論を重んじて臨んだ菊兵団。日本最強と謳われた 師団が、いかに追い詰められていったのかを証言でたどる。

第3回 マリアナ沖海戦 失敗した新戦法 三重県・鈴鹿海軍航空隊

 操縦士養成機関の鈴鹿海軍航空隊。ここで基礎訓練を受けた若者の多くがマリアナ沖海戦に投入された。劣勢挽回 を狙って綿密な作戦を立案した海軍。しかし、兵士の技量や敵の能力を考慮しなかったため失敗に終わり要衝サイパンは米軍の手に落ちた。日米戦の天王山の一 つであるマリアナ沖海戦での敗北の実態を航空兵達の証言から浮き彫りにする。

第4回 退却支援 崩壊したビルマ戦線 福井県・敦賀歩兵119連隊

 インパール作戦で壊滅状態にあった部隊を収容する“退却支援”の命令を受けた敦賀連隊。しかし補給を無視した 救出作戦のため、餓死者や病死者が続出し味方の支援どころか自らが壊滅した。生き残った兵士達には終戦後も過酷な境遇が続いた。連合軍の収容所で強制労働 を強いられ戦犯にされる恐怖に苦しんだ。国や戦争に翻弄された兵士達のビルマ戦線を描く。

第5回 大陸打通作戦 苦しみの行軍2000キロ 静岡県・歩兵34連隊

 歩兵34連隊が投入されたのは半年で中国大陸2000?`を南進する「大陸打通作戦」。大陸縦断路の確保と、 米空軍基地の占領が狙いだった。しかし、縦断路を使って運ぶ物資は既になく、B29を開発した米軍はサイパンに爆撃基地を移していた。過酷な行軍で次々と 命を落としていく兵士達。戦況を考慮せずに立てられた大作戦に翻弄された兵士達の戦争体験を描く。

第6回 陸の特攻 フィリピン最後の攻防 岡山県・歩兵10連隊

 太平洋戦争末期、マニラ北方バレテ峠で爆弾を胸に敵陣に突っ込む「斬り込み隊」という‘陸の特攻’を繰り返し ていた岡山第10連隊。米軍圧倒的優位のフィリピンで、援軍もなく補給は皆無。餓死者続出の中で繰り返された「斬り込み隊」。生と死の極限状態に置かれた 戦場の実態を生存者の証言で浮き彫りにする。

第7回 ソ満国境 知らされなかった終戦 青森県・野砲兵107連隊

 昭和20年8月、旧満州に進攻してきたソ連軍戦車部隊と戦った野砲兵第107連隊。混乱の中で終戦の報が届か ず8月末まで戦闘を続けた。8月25日にはソ連軍に攻撃して応戦され多数が戦死、食料もなく敗走したため餓死者を続出した。そして、ようやく終戦を知った 生存者に待っていたのは、シベリアでの長期にわたる抑留生活だった。


●●コメント●●
NHKハイビジョン終戦記念日周辺で特集していた番組

0 件のコメント: