●●コメント●●日本の中の「中国IT」 - 在日同窓会ネットワークで成長するPSB(1)
IT技術者の慢性的不足に悩む日本。その前途は、少子化と理数系教育水準の全般的な低下傾向とも相まって、すでに決して楽観できるものではない。そ こで、企業は必然的に国境を越え、優れた海外の頭脳を取り込みにむかう。だが、海外の優れた人材を移入し、日本の社会と企業がこれを受容していくには、な によりもまず日本の社会や企業そのものが、これまでの純血志向の閉鎖主義を超えて、より開放的な在り様に変わっていくことが求められている。
本稿では、東京でソフトウェア会社PSB( http://www.psb.co.jp/ )を経営する北京出身の企業家・賀乃和氏への取材を通し、日本市場での成功をめざす一人の中国人IT企業家と、日本社会との関わりをレポートしてみたい。
賀乃和氏は、北京工業大学を卒業後、勤務先の中国科学院でエンジニアとしての職を辞し、86年に同大OBのコネだけを頼りに私費留学で来日した。だが、賀氏を待っていたのは、決して楽な条件ではなかった。
昼は慶應義塾大学の大学院に通いながら、夜は皿洗いからゴミ処理作業、ビル清掃まで、学費と生活費捻出のために歯を食いしばりながら働き、がんばった。
仲間たちと三人で旗揚げした「PSB」(Pacific Soft Bankの略)は1996年に東京で産声を上げた。創業当初から全てが順調であったわけではないが、第1期の売上高6,000万円が、第3期には5.2億 円、第4期は6億円を超えている。会社設立後は上々の出来と言っていい。おりしも、IT需要が日本でも高まるなか、技術者不足が深刻になってきた頃だっ た。着眼点も良かった。
現在、PSBの主な業務内容は、基本ソフトウェアの開発、販売、クライアントのシステム開発への業務支援等だが、実質的にはいわゆる業務委託=人材 派遣が事業の中心。要は、プロジェクトごとに、顧客にエンジニアを派遣する請負契約ベースの技術者派遣業である。とくに金融系クライアントのWebシステ ム開発は現在も非常な活況を呈している。しかし、目前の巨大なビジネスニーズにもかかわらず、国内のインターネットシステム技術者は、すくなくとも30万 人は不足しているといわれる。
賀社長はこうした状況に、北京工業大学( http://www.bjpu.edu.cn/ )計算機学院一期生としての同窓会ネットワークを駆使することで対応してきた。
北京工業大学計算機学院は、同大のコンピュータサイエンス学科とコンピュータセンターが、79年2月に設立されていた北京計算機学院と合併する形で発足。現在中国国内の至るところで次々に設立されているコンピュータ専門学科のまさに草分けであった。
北京工大計算機学院の李建氏(北京工大ソフトウェアパーク委員会副主任 http://pcweb.mycom.co.jp/news/2001/07/02/18.html )は、賀社長とはもともと同期生の間柄。こうした濃密な人間関係を背景に、賀氏は顧客の日本企業から寄せられる業務委託--実際には中国人ソフトウェア技術者の派遣--ニーズに応えてきた。現在でも、いわゆる業務委託が総売上高の7割を占めている。
「品質と納期を守ることが、日本企業との取引を拡大させる最大の秘訣」と賀社長は言う。だが、実際には日本国内のソフト業界では、「仕様書を書けな い発注者がザラ」(業界関係者)。しかも徹底的に「契約書重視」の欧米企業と比べて、日本では顧客からの一方的なオーダーに製作の過程でキメ細かく対応す る姿勢の方がより重要とされる。
このため、製作は実質的に100%中国国内で行い、顧客とのインタフェースを東京でというPSBのような会社では、日本語はもちろん、日本企業の取 引慣習などまでを理解把握できる優秀なプロジェクトリーダーをどれだけ社内に留め置けるか、ないしはそうした人材をネットワークのなかで駆使できるかが、 業容をどれだけ拡大できるかを大きく左右する。
日本との業務協力を重視する北京工大を背景にもつPSBは、人材供給力という意味で非常に競争力のある会社と言えるだろう。現在、同大計算機学院の 卒業生OBは日本国内だけで400名以上を数えるが、賀社長はその同窓会長でもある。創業わずか4期目で年商6億になったのは、PSBを必要とする日本の 業界ニーズのあらわれでもあった。
ところが、順風満帆にみえるPSBの企業成長にも、常につきまとう不安があった。それは、北京などから呼び寄せた中国人エンジニアたちの就労ビザをめぐる問題であった。
中国人エンジニア
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