2009-07-23

定年技術者活用への道

:::引用:::
 団塊世代が就職した1970年代初めは、日本の企業の多くがコンピューター導入の草創期。時代の先端を行く仕事として、将来性のある分野として、ハード・ソフトメーカーなどに就職した人は多かった。また、一般企業でも、入社後は理系・文系出身を問わず電算部門に配属され、全社業務システムの構築プロジェクトにかかわった人もいた。この人たちが、今、どっといなくなる。この技術力、日本の情報システム化に貢献した彼らの力を、定年だからといって、用済みと切り捨ててしまっていいのだろうか。
定年を迎えた元SEの憂鬱

 そもそも「2007年問題」という言い方は、コンピュータの黎明期から企業システムを支えてきた団塊の世代が定年でいなくなることで、既存のシステムを今までのように円滑に動かしていくことができなくなるのではないかという企業などの不安から始まったという。

 確かに、団塊が就職する当時はすでに、コンピューターメーカーだけでも、IBM、ユニバック、NCRなどの外資系から、NEC、東芝、富士通、日立、三菱、沖電気などの国産勢まで出そろっていたから、多くが就職先に選んだのは間違いない。また、それに連なるベンダーやソフトハウスも生まれていた。

 さらに、これから情報システム化に力をいれるという企業に入社し、メーカーやソフトハウスと協力して、自社の電算システム構築と運営に携わった人もいるはず。このnikkei BPnetの読者にも、そういう人は多いことだろう。これらを総合したら、退職する団塊SEの数はいったい、どのくらいになるのだろうか。この経験者たちが一斉にいなくなることを考えると、やはり、そら恐ろしいような気もしてくる。

 一方、去っていく側にとっても、不安と不満がいっぱいだ。まだまだ役立つと思っている自分のスキルと経験を生かす場がなくなり、力を持て余し気味なのだ。

 私が所属するNPOには、情報システム分野で生きてきた会員が結構いる。企業の電算室でSE一筋から情報システム部長にまでなった人、メーカーで多くの企業のためにシステムを開発してきた人などなど。彼らの多くは、やはり技術系の活動をしたがる。NPOだから、手近なところでパソコン関係となる。まずはパソコン教室を始めたり、障害ある人に教えたり、中古のパソコンを動かしたり。しかし、よく話を聞いてみると、実は鬱々としていて、それほど満足していない様子。本当はもっと本来のスキルを生かす仕事がしたいようなのだ。 話は少しそれるが、NPOや市民活動でのシニアの活躍の場は総じて、福祉系・文科系の内容が多い。しかし、コンピューターにかかわらず、今後は技術系・理科系シニアの退職者が増えるのだから、理科系・技術系の能力を生かした活動も考えるべきだろう。福祉に必要な技術だってたくさんある。NPOも変化していく必要がある。
次世代に受け継がれているか

 ところで、今や基幹業務システムといえど、オープンシステムに移っているから、団塊世代あたりの古い知識やスキルは通用しない、必要ないという意見もある。確かに、この年代のSEは、メインフレームやオフィスコンピューターといったシステムが主流の時代に活躍した人たち。オープンシステム、PC サーバーが主流になった時代には、開発言語も大きく変わり、次の時代のSEにとって代わられて、現場からは外れていた。実は、そのときにも面白くない思いをしている。

 しかし、何しろ顧客の懐に入り込み、業務そのものの内容を熟知し、それに合わせたシステムの構築をしてきたという経験はオープン系のSEにはない強み。しかも、基礎知識はしっかりしているから、最新技術を理解することも、そう難しいことではない。今までのノウハウをオープンシステムの開発に生かすことができるはずなのだ。

 問題はむしろ、多くの人が指摘するように、その技術や経験が次の世代にきちんと受け継がれていないのではないかということ。日進月歩の世界だから、目線は新しいことにばかり向きがちで、彼らの貴重な知識と経験が引き継がれていないことが多い。新しい技術を誇るあまり、若い世代は古いものに目を向けない傾向もある。団塊が去った後、それがトラブルにつながらないようにと祈るばかりだ。

 では、どんな活躍方法があるのか。いちばんは、やはり人材の不足している中小企業だろう。オフィスコンピューターというと、今ではバカにされるかもしれないが、中小企業の中にはまだその状態にあるシステムも多い。新システムを開発しようにも、古いシステムを理解できる人がいないので、移行することすら容易ではない。だが、団塊世代のSEならどうにかできる。実際、その昔に主流だった言語・コボル(COBOL)を理解できる技術者はないかという問い合わせを受けたソフトハウスもあるそうだ。ご心配なく。まだまだ、たくさんいるようだ。 最近、わがNPOの不満分子だった元SEから、ある中小企業に再就職が決まったという報告がきた。本人も会社も問題解決につながり、ハッピーであることを願っている。

 問題は、どこにどんな技術者を求めている会社があり、だれが求める技術を持っているかが分かりにくいことだ。両者のマッチングシステムが必要となるだろう。技術者同士が集まって、そうした派遣業を始めた定年技術者のグループを取材したことがある。待っているだけでなく、自ら働く場を開拓している逞しいリタイア世代だ。

 コンピューターに限らず、日本の産業界にとって、リタイア技術者の力を使わないことは大きな損失につながるかもしれない。最近は世界的な金融危機で動きが鈍いようだが、以前は、日本の定年技術者は世界中から引く手あまただった。ここには当然、技術の流出が伴う。日本の技術が進んでいるからといってアグラをかいていると、いつの間にか、後ろから足音が近づいてきて、追い越されたということにもなりかねない。それを指導したのは日本のリタイア技術者だったということもあり得る。だから、リタイア技術者の活用方法を考えることは急務だし、重要なのだ。
庶民技術者の仕事と声を記録に

 またまた当NPOの話で恐縮だが、NPO活動のひとつに『ききがきすと』というのがある。これは、語り手の話にじっくり耳を傾け、その話を書きとめることによって、語り手に代わって“その人なりの自分史”を残す手伝いをするものだ。聞き書きをする人のことを『ききがきすと』と呼んでいる。

 今のところ、主に戦争を経験した高齢者の話を聞くことをメインしているが、私は、この活動の中で、各産業界で自分なりに語りたいことを持っている人から、いわゆる“個人のプロジェクトX”を残す活動をしていってもいいと思っている。孫正義氏や西和彦氏などといった偉人ではなく、いわば、庶民の技術者として、企業で、現場で、あまたの“プロジェクトX”に携わった人の話は貴重な日本の産業史になるのではないだろうか。 最初は「そんなことはたいしたことはしていない」などと言うかもしれないが、なによりも自分自身に向けて、多くの人が体験を語りだしたら、そこには日本という国をここまで発展させた、小さいけれど偉大な歴史がたくさん残るだろう。それは、後世の人にも共感でき、役立つものになるような気がする。

 コンピューター業界は特に、どんどん進んでいくだけで、その過程がきちんと記録されているとはいえない。まだ草創期を語れる人がいるうちにやっておくべきだろう。

●アリア
事業内容
・シニア世代の暮らしと行動研究
・シニア世代への情報提供
・シニアコミュニティの企画・運営など。

●NPO法人シニアわーくすRyoma21
「Ryoma21」は、主に50代を対象に、アクティブに生きるための仲間つくり、活躍の場作り、仕事作りを支援している会です。何かやりたいと思っている人が、それを実現するために仲間を募り、自己表現を行い、社会との接点を創り出す場です。モットーは、「いくつになっても、人は夢を語れる、学べる、成長できる、活躍できる」。

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