2009-05-23

【ベトナム就労就学支援(下)】「勉強を続けたい」未来に光

:::引用:::
 ベトナムの伝統的玩具の販売を通し、同国の障害者や孤児らを支援するNGO「マイニャーベトナム」(長野県伊那市)が実施したスタディツアー。ベトナム・タイビン省を訪問したスタッフや支援者14人が、次に訪れたのは2つの学校だった。

 NGOではトンボ玩具の売り上げの4分の1を、家庭が貧しいなどの事情で就学できない高校生への奨学金に使っている。地元の教育委員会などの協力で選考を行い、昨秋からの新学期には同省に住む5人に奨学金を送った。

 今回のツアーではそのうち2人が通っている高校を訪ね、授業の様子を見学するなどして交流を図った。

 ファム・テ・アン君は7歳で父親を失い、中学2年の時に母親をガンで亡くした。成績は学校でもトップクラス。残された家族は年老いた祖母だけで、進学をあきらめかけていたところに奨学金のことを知った。

 「合格が決まったとき、勉強を続けられるのは天国の父母からのプレゼントと思った。母親はお金がなかったので医師に診てもらえず、自宅で苦しみながら死んでいった。大学の医学部に進学し、貧しい人には無償で医療を施すような医師になりたい」と夢を膨らませる。

                   ◇

 今回のツアーで参加者を最も驚かせたのは、次に訪れたドン・フン中学での出来事。今年9月からの新学期に奨学金を贈る6人はこの学校の3年生から選ばれた。

 奨学証書授与といっても、会議室で生徒に証書を渡す程度と思っていたが、学校に着いて案内されたのは校庭。吹奏楽演奏と全校生徒の拍手が一行を出迎えた。

 壇上で1人1人に証書を手渡した宮島洋子代表(36)は、学校を挙げての歓迎に感激の涙を抑えながら、「奨学金はベトナムの障害者や孤児ががんばって働いてくれたから贈ることができます。今年は6人だったけど、私たちも日本でトンボをたくさん売って、来年はもっと多くの人の奨学金を贈れるようにしたい」とあいさつした。

 一行はその後、奨学生に決まった女生徒、ダオ・ティ・フォン・アンさんの自宅を訪問した。「納屋」と呼んでもいいような小さな一間に家族4人が暮らしている。父親は心の病で働けず、母親が農作業で得る月1500円ほどが家族の収入。8歳の妹もいて、奨学金がなければ進学をあきらめていたという。

 自宅から中学までは15キロも離れているが、フォン・アンさんは嵐の日も、燃えるように暑い日も、毎日休まず、自転車で通い続けた。

 「学校も、勉強も大好きだから。奨学金をいただき、勉強を続けることができるのが何よりもうれしい。将来に明るい光が差しました」と語った。

 ツアー終了後、宮島代表は「子供たちの勉強したいという気持ちが痛いほど伝わってきた。話だけ聞いているのと、実際に現実を見るのでは全然違う。参加者にこうした実情を知ってもらえたことでツアーの意味は大きかったし、自分たちの活動の励みにもなった」と決意を新たにしていた。(高砂利章) ベトナムの伝統的玩具の販売を通し、同国の障害者や孤児らを支援するNGO「マイニャーベトナム」(長野県伊那市)が実施したスタディツアー。ベトナム・タイビン省を訪問したスタッフや支援者14人が、次に訪れたのは2つの学校だった。

 NGOではトンボ玩具の売り上げの4分の1を、家庭が貧しいなどの事情で就学できない高校生への奨学金に使っている。地元の教育委員会などの協力で選考を行い、昨秋からの新学期には同省に住む5人に奨学金を送った。

 今回のツアーではそのうち2人が通っている高校を訪ね、授業の様子を見学するなどして交流を図った。

 ファム・テ・アン君は7歳で父親を失い、中学2年の時に母親をガンで亡くした。成績は学校でもトップクラス。残された家族は年老いた祖母だけで、進学をあきらめかけていたところに奨学金のことを知った。

 「合格が決まったとき、勉強を続けられるのは天国の父母からのプレゼントと思った。母親はお金がなかったので医師に診てもらえず、自宅で苦しみながら死んでいった。大学の医学部に進学し、貧しい人には無償で医療を施すような医師になりたい」と夢を膨らませる。

                   ◇

 今回のツアーで参加者を最も驚かせたのは、次に訪れたドン・フン中学での出来事。今年9月からの新学期に奨学金を贈る6人はこの学校の3年生から選ばれた。

 奨学証書授与といっても、会議室で生徒に証書を渡す程度と思っていたが、学校に着いて案内されたのは校庭。吹奏楽演奏と全校生徒の拍手が一行を出迎えた。

 壇上で1人1人に証書を手渡した宮島洋子代表(36)は、学校を挙げての歓迎に感激の涙を抑えながら、「奨学金はベトナムの障害者や孤児ががんばって働いてくれたから贈ることができます。今年は6人だったけど、私たちも日本でトンボをたくさん売って、来年はもっと多くの人の奨学金を贈れるようにしたい」とあいさつした。

 一行はその後、奨学生に決まった女生徒、ダオ・ティ・フォン・アンさんの自宅を訪問した。「納屋」と呼んでもいいような小さな一間に家族4人が暮らしている。父親は心の病で働けず、母親が農作業で得る月1500円ほどが家族の収入。8歳の妹もいて、奨学金がなければ進学をあきらめていたという。

 自宅から中学までは15キロも離れているが、フォン・アンさんは嵐の日も、燃えるように暑い日も、毎日休まず、自転車で通い続けた。

 「学校も、勉強も大好きだから。奨学金をいただき、勉強を続けることができるのが何よりもうれしい。将来に明るい光が差しました」と語った。

 ツアー終了後、宮島代表は「子供たちの勉強したいという気持ちが痛いほど伝わってきた。話だけ聞いているのと、実際に現実を見るのでは全然違う。参加者にこうした実情を知ってもらえたことでツアーの意味は大きかったし、自分たちの活動の励みにもなった」と決意を新たにしていた。(高砂利章)

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