2009-10-15

中国一豊かな村ルポ 江蘇省華西村 複数の高級外車、海外旅行も

:::引用:::
 揚子江の下流、江蘇省南部に「中国一金持ちの村」と呼ばれる集落がある。改革・開放政策の波に乗り、稲作中心の農村から一大企業集団に変身して成功を収めた華西村だ。都市と農村の経済格差が広がる中国の中で、異質の存在となっている「豊かな農村」。そこで生まれている旧住民と新住民の格差は、中国社会が抱える構造的矛盾を映し出していた。(華西村 矢板明夫、写真も)

ユートピア

 目的の村には、上海の虹橋空港から高速道路を西へ約2時間走ってようやくたどり着いた。村の招待でともに取材に訪れた欧州の男性記者が漏らした。「ここがユートピアか」

 緑の中を真新しい舗装道路が走り、欧州風の別荘と見間違うような3階建ての住宅が整然と並んでいる。村の中心部にはホテルや飲食店が入った高層ビルがそびえ立っていた。

 案内役の趙友高氏(37)は「別荘はすべて村民の住宅で平均面積は400平方メートル以上だ。ほとんどの家庭はベンツやBMWなどの外国産高級車を複数台所有している」と説明した。独自の年金制度や医療保険制度があり、大学までの教育費、年1回の海外旅行の費用も村が負担しているという。

 村の傘下には約60の企業がある。鉄鋼、紡績、観光が最大の収入源。今年から新たに海運業にも参入し、農業収入は1%以下となった。2008年の総売り上げは約5百億元(約6千5百億円)で、村民の平均所得は農民の全国平均の40倍以上にもなるという。成功導いた決断

 華西村の成功は、50年以上も村党書記などとして村に君臨してきた呉仁宝氏(82)の指導力による所が大きい。

 文化大革命の嵐が吹き荒れた1970年代、中国全土が政治運動に明け暮れる中、呉氏は村民を率いてひそかに金属加工工場を創設した。改革・開放以降の80年代、全国の農村が相次いで町工場を始めたときには、すでに販路、経験、資金面で大きくリードしていた。その後も工場建設や投資などの決断が次々と当たった。「政治的リスクを冒して最初に工業を始めたことが今日の成功につながった」と呉氏は振り返る。

 村は毛沢東時代の集団主義体制をいまだに維持している。村民の就職や生活はすべて村の管理下にあり、貢献度に応じて利益が分配される。収入の8割は村への投資が義務づけられており、個人が使う場合は許可を得なければ1元も引き出せない。

 花壇の花を勝手に摘めば罰金1万元、賭博をしたら罰金100万元など、独自の厳しい規則がいくつもある。そのすべてが呉氏の独断によるものだ。

広がる格差

 華西村の村民はもともと1500人余。ここ数年、周辺の20の村を吸収し戸籍人口が約3万人に膨らんだ。新住民には旧村民のような手厚い福利厚生はない。このほか、村は約2万人の出稼ぎ労働者を雇用しており、その収入は新住民よりもさらに少ない。 河南省出身の出稼ぎ労働者は「同じ仕事をしているのに、こっちは住む家も狭く、収入は地元の人の3分の1にもならない。惨めな思いがあるが、でも故郷の暮らしよりはずっといいので帰りたくない」と複雑な心境を口にした。

 出稼ぎ労働者はみな、華西村の戸籍取得を夢見ている。数年前までは、村民と結婚すれば簡単に戸籍を取得できた。しかし今は不可能に近い。村幹部は「高学歴や特別な才能など、村に必要な人材でなければ認められないケースもある」と話した。

 村内の至るところに、「共同富裕(共に豊かになろう)」というスローガンが掲げられていた。長年の奮闘で村民は豊かになったが、産業規模拡大で新住民や出稼ぎ労働者が急増し、村内の格差が際立つという皮肉な結果をもたらしている。

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