エジプト料理店で、アラブ料理やシーシャ(水たばこ)を楽しむアラブ首長国連邦(UAE)から来た旅行者。家族連れだという男性らは「妻たち女性陣は買い物で戻ってこないから、我々も今日は飲み明かす」とビールを何度も注文していた=バンコク、山本写す
●医療・商品「安くて良質」
「バンコクは涼しくて過ごしやすい。腕を骨折した母親の治療で家族そろって来た」
バンコク中心部の商業地域ナナの一角にあるエジプト料理店。イスラム教徒の断食月(ラマダン)が明けた10月上旬、アラブ首長国連邦(UAE)から来たアルカデアさん(25)は、隣のテーブルに座った男性に話しかけた。
「僕は友人と旅行だ。夜遊びざんまいさ」とバーレーンから着いたばかりというワヒドさん(23)。
シーシャと呼ばれる水たばこを吸いながら、あちこちで中東からの旅行者同士の輪が広がる。シーシャ用のパイプを奥から次々と客に運んでいたのはエジプト人店員のデリニさん(31)。「これがないと商売はできない」と話す。
大通りのスクンビットに接する脇道が別名・アラブ通りで知られるソイ3。周辺は、中東の旅行客でにぎわうアラブ人の街だ。ここでホテルや飲食業などを営む人たちは年に一度、ラマダン中に店舗改装などの大工事をする。
「長期滞在者はほとんどいない。繰り返しやって来る短期滞在者で成り立つ街なんだ」。ナナで8年間、旅行代理店を経営するイラク人のナジブさん(44) は説明する。「目的は医療、買い物、それに夜遊び。いずれも自国より格段に安い。質もいいから旅行者はリピーターになる」
ソイ3に面するバンコク最大規模の総合病院バムルンラード・インターナショナルは、年間約43万人の外国人患者を受け入れる高度医療の国際病院 だ。アラブ人の年間患者数は01年からの7年で10倍に激増し、約10万人に達した。バンコク駐在者の通院が多い米国人や日本人とは対照的に8割以上が中 東各国から医療ツアーなどでやってくる。最も多いのがUAEで、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、バーレーンと続く。
病院側もアラビア語を話す医師らによる専用チームを作るなどサービス拡充を図ってきた。入院時には豚肉などを避けたアラブ料理を出し、院内にはバ ンコク最大と言われる礼拝所を作った。患者家族らの短期滞在用に病院の敷地内に建てられたアパート2棟約120室は、アラブ人でいっぱいだ。
バンコクではサミティベート病院やバンコク病院でも中東からの患者への専用サービスがあり、こうした病院と患者との橋渡しをするのもナジブさんの代理店の仕事だ。
「欧米並みの高度医療が受けられる一方で、欧米のような反イスラム感情がないのが魅力。中東の病院は深刻な人材不足で立ちゆかない。航空券を払ってもタイに来るかいがある」
夜になると、街は雰囲気が一変する。宿泊客の9割をアラブ人が占めることもあるナナのあるホテルの前には、午後10時をすぎるとタイ人女性たちが集まってくる。ホテル内にはクラブ「アラビアン・ナイト」があり、ここが中東からの旅行者との「出会いの場」にもなっている。
「中東の人は夜型なので、特別な配慮が必要だ」とホテル副社長で中国系タイ人のサゴブさん(49)。エジプト料理店にいたワヒドさんもここの常連客だ。「タイの女性は性格が温厚で優しい。本気で結婚相手を探しに来る独身者も多い」と話す。
●米同時テロ後に加速
ナナと中東との関係は古い。今も周辺の土地の一部を所有するユップ・ナナさん(51)によれば、1850年代に先祖一族が中東の湾岸地域から開拓者としてタイを訪問し、スパイスを扱う商売を始めたのが始まりという。
バンコク各所で土地を購入して不動産業も始めた。国のインフラ整備への貢献で道路と周辺の土地を寄付したことなどが評価され、その道路周辺が一族の名前の「ナナ」と呼ばれるようになった。約80年前のことだそうだ。
当時は大きな商業施設もなく、静かな街だった。それが一気に繁栄したのはベトナム戦争の影響で米軍がタイ国内に駐留するようになった1960年代。特に62年にこの街にできたホテルを多くの米兵が利用するようになり、米兵相手の商業施設が次々と開業した。
ベトナム戦争後は米兵にかわって欧米観光客でにぎわった。今もアラブ街の近くには西洋人向けの一大歓楽街があり、欧米客を引きつけている。80年 代に入ると、多くのタイ人が出稼ぎに出ていたサウジアラビアから旅行客が来るようになり、アラブ人向けの宝石店や香水店が営業を開始。90年代にはアラブ 料理店もできはじめ、今のアラブ街の出発点となった。
01年の米同時多発テロ事件でイスラム教徒の欧米への入国が難しくなったこともあり、中東各国からのタイ旅行ブームが訪れた。医療ツアーで訪れる アラブ人の患者も急増。中東客の受け入れに熱心なこの街のホテルに客が集中し、ソイ3周辺の「アラブ化」はますます進んだ。(バンコク=山本大輔)
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