10年前、オフショア開発は挑戦だった。それが今、オフショア開発は当たり前になりつつある。現在はその規模を1,000人単位で拡大することが挑戦である。ここで、日中オフショア開発の歴史をかいつまんで振り返りたい。
日中のソフトウェア交流は1980年代前半から
中国の人材を使って日本向けのソフトウェア開発やデータ処理をしようという考えは1980年代からあった。
80年代前半、中国は文化大革命で受けた傷がようやく癒えようとしていた。人々は人民服を着、自転車に乗った。トウ小平の改革開放政策は始まってい たが、当時にあって21世紀の現在の中国の姿を想像できる者はいなかったし、ましてや西側諸国から見たら相変わらず得体の知れない共産主義国家である。
それが80年代後半に入ると、日本の一部の製造業が大連に設置された経済技術開発区に進出するなど、中国の門戸が開いていく様子が外国からも見える ようになった。そして日本のソフトウェア産業にもこの変化を捉えた人々がいた。オフショア開発などという言葉のない時代である。しかし、この先駆者たちは 中国の地方政府機関などと組んで現地に合弁企業を立ち上げ、中国向けシステム・ソフトウェア開発や、今で言うオフショア開発に乗り出したのだった(※)。 こうした先駆者は、戦前の少年時代・青年時代を旧満州などで過ごし、中国に特別の思い入れがある場合が多い。
※ オフショア開発ではないが、ソフトウェア関連での最初の日中合弁事例は、1980年の日中ソフトウェアセンター(中日軟件中心)であると言われる。これは中国電子工業部(部は日本の省に当たる政府機関)とNECによる北京における合弁事業である。
日中を結ぶ通信インフラもほとんどなく、パソコンもろくにそろわない当時の中国で、大規模なオフショア開発は無理であろう。実際には技術者を日本に派遣してもらって、育成もかねて日本で作業してもらっていたケースもあったようである。
天安門事件で水を差されるも、91年にはブーム到来
80年代の中国進出の機運に水を差したのが89年の天安門事件だった。日本企業による中国進出は一時的に縮小したが、しかしソ連や東欧諸国と違い、 その後の中国は国内情勢の安定を保った。そのため、91年になると手控えられていた投資が一気に戻ってきた。おりしもコンピュータ技術の世界ではオープン 化も進み、中国でもパソコンを導入した開発がしやすくなってきたのである。この頃、オフショア開発と中国人材活用は最初のブームを迎えた。
しかし中国側、日本側ともこのような事業のノウハウはなく、成功事例もあったが、派手な失敗事例もあった(※)。このころ大きな失敗を経験した日本 企業の中には、その後の10年間以上、社内で「中国」が禁句になってしまったというところもあり、2001年以降のオフショア開発の波にかえって乗り遅れ る結果となった。
※ 1991年に中国東北大学との合弁企業設立に踏み切ったカーエレクトロニクス大手のアルパインの事例は一つの成功事例といえる。これをきっかけとして現在 の中国ソフトウェア大手である東軟集団(Neusoft)が生まれた。この経緯に関しては「中国の産学連携」(関満博編、新評論)や「日中合作―中国 No.1ソフト企業誕生の物語」(沓澤虔太郎著、小学館スクエア)が参考になる。
80年代~90年代前半の中国活用は、戦前生まれの日本側の企業経営者の思い入れと、外国の胸を借りてコンピュータという新しい産業を何とか立ち上 げたい中国側の思いのマッチングで成り立っていた側面が強い。想像ではあるが、現場からしてみれば「とにかくやることにしたから、がんばってくれ」という 経営者に付き合わされた形での立ち上げだっただろう。
意思決定層の世代交代により、オフショア開発ビジネスは成熟期へ
91年のブームが一段落したあと、95年前後に富士通、東芝、NECなどのメーカー系ベンダーが新たに中国にソフトウェア開発拠点を構えるなどの展 開を経て、次のブームが訪れるまでに10年を要している。2001年に中国がWTOに加盟すると、日本のソフトウェア企業による中国進出の新たな波が訪れ た。しかしブームとはいっても今回は地に足着いたものである。90年代の経験により、中国に過剰な期待は禁物であることはよくわかっているし、このころに なると意思決定のバトンは戦後生まれの世代に渡っている。特に団塊世代は中国というと毛沢東と文化大革命のイメージであり、警戒感が強いために思い入れで 突っ走るようなことはしない(逆に慎重すぎるかもしれないが)。それだけに、よりドライに中国ビジネスを展開できた。そして、受け入れる中国側も90年代 後半の目を見張るような経済発展を経て成熟度を増してきたのであり、ビジネスパートナーとして日本企業と対等に向き合うことができるようになったのであ る。
2001年の小ブームは2003年までには落ち着いている。いま日中オフショア開発は持続的な発展期にある。だから、今これに乗り出すことは決して ブームに踊らされてやるわけではない。先駆者たちの経験を踏まえた上で、以前から比べると格段に成熟したビジネス環境の中でオフショア開発ビジネスを立ち 上げることができるのである。
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